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内ポケットに入るPCをつくれ!──「Dynabook」ぶっちゃけ裏話(その2)【道越一郎のカットエッジ・特別編】

特集

2025/03/03 17:30

 dynabook(ダイナブック)誕生35周年を機に、黎明期からノートPC事業を支えてきた4人に、今だから言える当時の「ぶっちゃけ裏話」を語ってもらう第2回。Dynabookの歴史は、1989年に発売した世界初のノートPC「DynaBook J-3100 SS001」から始まった。今では当たり前になった「日常的にPCを持ち歩く」ことを初めて可能にしたのがこのマシンだ。持ち歩く、といえば、東芝時代で強烈な印象が残っている、ミニチュアみたいなノートPCがある。それが96年発売の「Libretto 20」だ。

1996年発売の「Libretto 20」。
「リブラ―」なる熱狂的なファンを生み出すほどの人気だった

 リブレットと読み、イタリア語で「小さな本」を意味する。当時ノートPCの大きさは、小さくてもせいぜいB5ファイルサイズぐらい。ところが楽に片手でつかめるほどに筐体を小型化。キーボードには豆粒みたいなキーが居並び、それでいて、当時の最新OS、Windows95が普通に走る……。もちろん、世界最小で840gと最軽量だった。「小さなPCは売れない」というのが海外の常識だが、日本だけは別。盆栽と相通じるものがあるのか、小さなものがよく売れる。Librettoは超小型ノートPCの先駆者だ。この、何から何まで規格外の「異端児」ぶりを熱烈に愛する「リブラ―」なる人たちも生み出すほど、一部で大人気を博した。
 
Dynabook ニューコンセプトコンピューティング統括部の
辻浩之 統括部長

 Dynabook ニューコンセプトコンピューティング統括部の辻浩之 統括部長は、長らくこのLibrettoの開発に携わっていた。開発の動機は「とにかくPCを持ち歩きたかった」から。いくら世界初のノートPCと言えど、重さは3kgほどあって、大きさはA4ファイルサイズ。常に持ち運ぶには、やはり大きく重い。そこでLibretto、といわけだ。「スーツの内ポケットに入るPCを開発するのが目標だった。実際の大きさは、スーツ屋に行って嫌がられながらもポケットの寸法を測って決めた。しかし、当時一般家庭に普及していた、ビデオテープの大きさともほぼ同じだったことから、VHSカセットサイズというのが一般には広がった」(同)。現在のスーツのポケットは当時より小さくなっているようなので、もう入らない事も多いようだが……。「dynabookのチームからは『そんなのパソコンじゃねぇ』と言われたりしたこともあったが、誇りを持ってやっていた。一見無理なことをやれと言われると逆に燃える。パソコンのサイズの限界を攻めていた。時にはキーボードを攻めすぎて、キーが入りにくい、という問題が起きたことも」と、辻 統括部長は振り返る。
 
当時集大成のマシンとも言われた「dynabook SS RX1」

 設計統括部 の島本肇 統括部長は「2007年に辻と一緒に取り組んだdynabook SS RX1が一番思い出深い」と話す。光学ドライブ搭載で薄さ19.5mm、重さ848gと世界最薄、最軽量を実現。世界最長12.5時間のバッテリ駆動時間、世界初の半透過型液晶画搭載と、世界一、世界初のオンパレードだ。「とにかく1gでも軽くしろと言われていた。日々1gまた1gと削っていき、毎日のように重さを上司に報告していた」(島本 統括部長)という。dynabookのDNAともいえる「軽薄短小」は、ここでも存分に発揮されていた。Dynabookの初号機「DynaBook J-3100 SS001」開発時、技術者たちが試作機を手に、途中経過をパソコン事業部長の溝口哲也氏に報告しに行くと、試作機を水が入ったバケツに突っ込み、取り出して水が漏れてくる様を指さして「まだスペースがある証拠だ。もっと薄く」と指示したという逸話は、今でも語り継がれている。
 
Dynabook 設計統括部 の島本肇 統括部長

 辻 統括部長も「ちょうどdynabookのチームに移って最初に担当したのがRX1。Libertto精神が出てしまい、攻めに攻めた。まず基板の厚さをペラペラの0.63mmにして軽量化。それを支えるために筐体をハニカム構造にした」と話す。さらに「部品の厚さを合計すると、何回計算しても20.7mmになる。19.8mmにはならない。しかし、計算が違うの一言で許してもらえなかった。結局誤差分を0.1mmずつ刻んでやっとの思いで19.8mmに収めた。実は、この0.5mm分を厚くしていれば、品質はもう少し安定する、ということが後にわかった」と明かす。
 
コストを意識して方向転換を果たした「dynabook R631」
(「CEATEC JAPAN 2011」東芝ブース)

 ノートPCの最先端を走っていたdynabookだが、PC全体がコモディティ化し始め、徐々に方向転換を迫られるようになる。島本 統括部長は「よくRX1と引き合いに出されるのが、2011年に発売したR631。できるだけ標準品を使ってコストを抑える方向に向かい始めた」と話す。エンジニアとしては「記者ウケ」がいい「世界初」に走りがちだが、主導権が技術陣から営業サイドに移行し始め、この頃からコスト重視の開発体制に変化していった。Dynabook 国内マーケティング本部 国内商品開発部の松村岳 副部長は1990年東芝入社組。ユーザーサポートや販売支援などを経験し商品企画にも加わった。「最初に携わったのがDynabook Cシリーズなどのいわゆる白いパソコンだった。2010年頃からPCがコモディティ化してデザイン勝負になってきた。色が重要ということで、グループインタビューで消費者の方々にサンプルをお見せして意見を聞いて色を決めたりしていた」という。
 
Dynabook 国内マーケティング本部 国内商品開発部の
松村岳 副部長

 黒モノともいわれるデジタル家電。製品の色は、ほとんどが黒かシルバーの時代が長かった。「ある年の7月、大学生協から『PCも白じゃないと』と言われ、白いPCをリリースすることにした。ただ9月には実機を出せと」。製品の色を決めるのは結構ホネの折れる仕事。ひと口に白と言っても無数にバリエーションがある。そのどの白にするか、サンプル作りを繰り返さなければわからない。色を決めるだけでも何カ月もかかる作業だ。「やむを得ずデザイナーと設計者と私と3人で中国の工場に乗り込んで、現場で1週間ほどかけて納得のいく色にたどりついた」(松村 副部長)。実は白はコストがかさむ。何層も重ねて塗らなければ、きれいな色にならないからだ。結果製品の重量増にもつながる。「筐体素材の色自体を調整し、重ね塗りの回数を減らして重量を軽くする技もあった」(辻 統括部長)。
 
パソコンに「白」を取り入れた「dynabook CX」

 軽薄短小と真逆のラインアップもあった。dynabook Qosmio、いわゆるAVパソコンだ。「PCが家庭の中心になりつつあった時代。性能の高さより、使いやすさや見た目が重視され始めた。そこに録画できるテレビという要素が入ってきた。遜色ない画質と起動時間を技術陣に求めた。途中から東芝のテレビ『REGZA』のエンジンを採用するなどで、『持ち運べるテレビ』化が進んだ」(松村 副部長)という。2004年に初号機E10が発売されて以降、新モデルが登場するごとにどんどん巨大化していったのを、よく覚えている。シリーズは2013年に終息したが、もし現代によみがえるとすれば、ゲーミングPC、あるいは、クリエーター向けPCとして活躍することになるだろう。(つづく)(BCN・道越一郎)