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今蘇るカレンの歌声──トリ・ホルブの完コピを超越した完コピ【道越一郎のカットエッジ】

レビュー

2025/01/26 18:30

 初めて聴いたときは耳を疑った。カーペンターズの「Close To You(邦題:遥かなる影)」をTori Holub(トリ・ホルブ)がカバーした動画だ。彼女の歌声は、まさに故・カレン・カーペンターそのもの。「カレンが生き返ったのか?」と思うほどだ。ボーカルだけでなく、バンドもコーラスも、きわめて完成度が高い。「オリジナルの音源を流しながら口パクしているだけじゃないのか?」と疑うほどだ。注意深く耳を澄ませば、わずかにオリジナルとニュアンスが異なる部分がある。そのおかげで、口パクではないことが、かろうじて分かる程度だ。こうも完璧に仕上げられると、なぜか涙が出てくる。すごいとしか言いようがない。カバーとかコピーとかを超えた、別の次元の何かに達しているように思える。カーペンターズを知っているなら、ファンだった人も、そうでなかった人も、是非聴いてみてほしい。

カーペンターズの「Close To You(遥かなる影)」を
カバーするトリ・ホルブ

 生まれて初めて買ったレコードは、カーペンターズの「プリーズ・ミスター・ポストマン」のEPだった。EPとはいわゆるシングルレコード。表裏で計2曲入って500円ぐらいだったと思う。はるか昔、小学5年生の頃だ。特にカレンの澄んだ歌声のファンだった。カーペンターズは兄のリチャード・カーペンターと妹のカレン・カーペンターの兄弟デュオで、ロサンゼルス出身。1970年代から80年代初頭にかけて一世を風靡した。まさに「スーパースター」だ。プリーズミスターポストマンは、もともとアメリカの女性4人組、マーヴェレッツがヒットさせた楽曲。ビートルズがカバーして広がり、カーペンターズもカバーしてさらに有名になった。代表曲「イエスタデイ・ワンス・モア」をはじめ、「トップ・オブ・ザ・ワールド」「雨の日と月曜日は」「スーパースター」などなど数多くの曲をヒットさせた。もちろん「遥かなる影」「プリーズ・ミスター・ポストマン」も大ヒット。彼らのレコードの売り上げ総数は1億枚を超えたとも言われている。しかし83年、カレンが拒食症によって32歳の若さでこの世を去ったことで、輝かしい歴史は深い悲しみとともに幕を閉じた。
 
ジェームス・ウィルカス率いるバンドの
演奏も極めて完成度が高い

 多くのカバー曲を手掛けたカーペンターズだが、いずれも原曲に寄り添いつつ、新しいオリジナリティーが加わった全く別の楽曲として楽しめるものばかりだった。ところが、トリ・ホルブのカバーはまさに「完コピ(完全コピー)」。いや完コピを超えた完コピだ。歌い方のクセまでカレンとそっくりそのまま。普通のコピーなら「上手なそっくりさん」として楽しめるわけだが、そのレベルをはるかに超えている。カレンの声ばかりでなく、兄のリチャードのコーラスも自ら収録するなど、デジタル多重録音を駆使して仕上げている。トリは「歌い始めてまだ数年しか経っていない。人前で歌ったのは去年の4月が初めて」という。オリジナルのクリスマスソングも発表しているが、まるでカレンの新曲を聴いているかのようだ。今後の活躍に期待したい。

 もう一つ、紹介したいカバー曲がある。「10cc - I'm Not In Love 完全再現レコーディング」だ。70年代に結成されたイギリスのバンド、10ccの代表曲の一つを「完全再現」。複数のミュージシャンと録音エンジニアが集まって結成した「スタジオ・レダ×ササニシカ with フレンズ」なる制作集団がつくりあげた。オリジナル版の最大の特徴は「マルチトラック・ボイス」と言われるコーラスだ。人の声がまるで楽器のように整然と奏でられている。多重録音したコーラスの録音テープをループ再生しながら、ミキシングコンソールのフェーダーやチャンネルのON/OFFスイッチを駆使して「演奏」することで実現させた。きわめて実験的な作品でありつつも、幻想的で美しい楽曲に仕上げたことで「録音芸術の金字塔」とも呼ばれている。
 
デジタル技術を駆使しつつ
当時と同様にフェーダー操作でも「演奏」

 完全再現版は、現代のデジタル技術を駆使しつつも、フェーダーやチャンネルスイッチの操作といったアナログ要素も残して制作。金字塔の再構築を目指した。曲調はほぼオリジナルのまま。細部で微妙に異なる部分はあるものの、それは、むしろオリジナルをさらに磨き上げた結果といってもいいほどだ。特にボーカルの登坂亮太氏は素晴らしい。その切ない歌声は、オリジナルをも凌駕している。オリジナル曲を知っている人はぜひとも一度聞いてみてほしい。完コピの域を超えた完コピが発する凄みを実感できるだろう。(BCN・道越一郎)