小学生が考えた未来のテレビ、アイディアコンテストでグランプリ
今から10年後の「未来」に現れるのは一体どんなテレビ? をテーマに「こんなかたちのテレビがあったら……」「テレビでこんなことができたら……」など、「未来のテレビ」の夢とアイディアを文章やイラストで競うコンテスト。総合グランプリを受賞したのは、小学生が考えた「おじいちゃんのテレビ」だった。
今から10年後の「未来」に現れるのは一体どんなテレビ? をテーマに「こんなかたちのテレビがあったら……」「テレビでこんなことができたら……」など、「未来のテレビ」の夢とアイディアを文章やイラストで競うコンテスト。総合グランプリを受賞したのは、小学生が考えた「おじいちゃんのテレビ」だった。
●難病を患ったおじいちゃんでも使えるテレビを
「未来のテレビ」アイディアコンテストは、東芝が創業130周年を記念するイベントの一つとして行われた。10年後にどんなテレビが登場しているか、「未来のテレビ」への夢を募集するもの。新聞、雑誌、Webなどを通じて、今年の2月から5月の間一般に公募し、「小学生部門」、中学生以上60歳未満の「一般部門」、60歳以上の「シニア部門」の3部門で作品審査が行われた。文章とイラスト、あるいは文章のみで描かれた「未来のテレビ」のアイディアは、全国から実に1万292件も寄せられた。応募作品の最終審査は、AV機器評論家の麻倉怜士氏、タレントのはしのえみさん、サイエンスプロデューサーの米村でんじろう氏を特別審査員に迎えて行われ「総合グランプリ」「最優秀賞」のほか、特別審査員にちなんだ各賞などが決定した。そして総合グランプリの表彰式が、東京・上野の国立科学博物館で開催中の東芝創業130周年記念イベント「万年時計からはじまった情熱のDNA 驚き!130年モノづくり物語」会場の一角で9月11日に行われた。
総合グランプリを受賞したのは、小学生の南 秀亮くん。南くんの応募作品は「おじいちゃんのテレビ」という、まばたきでチャンネルや音量を変えられるテレビである。南くんのお祖父さんは、ALSという病気で2年前に亡くなった。ALSとは、運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく原因不明の「筋萎縮性側索硬化症」という難病である。テレビ好きのお祖父さんは、最初こそなんとか指先でリモコンを操作できていたようだが、ついにはそれも難しくなったそうだ。作品に添えた作文の中で、南くんは、「おじいちゃんのテレビ」を考えたきっかけをこんなふうに書いている。
「そこでぼくは目でぱちぱちと合図をすれば、テレビの画面も変えれて、音の大きさも変えれるテレビがあったら便利だと思いました。ビデオも見れたらもっとよいです。毎日話す事もできないで美味しい物も食べられないで、何も楽しみもなくて、治らない悲しい生活が続いて泣いてばかりだったおじいちゃんを思いだすとこんなテレビがあったら、ぼくはうれしいです。元気な人の便利なテレビより幸せにして役に立つテレビだと考えました。」
誰かを幸せにしたいとの願い。誰かの役に立ってほしいと望む心、そこから始まるものづくりへの夢。「総合グランプリ」を受賞した南くんをはじめ、子供たちの応募作品にはどれも、夢と情熱があふれていた。
また、はしのえみさん選定の「ユニーク賞」を受賞した杉本みさきさんが、お母さんと会場を訪れていた。杉本さんは、新聞でこのコンテストのことを知ったそうだ。受賞作品は、ランドセルと一体型で太陽電池で動くテレビ「テレビつきランドセル」。道徳の時間によく見るテレビで、発表したいときに使える機能があるなど、小学生ならではの文字どおりユニークな発想のテレビで、とても楽しい作品だ。一般部門やシニア部門の受賞作品では、「最優秀賞」一般部門に輝いた村川雅則さんの「Bookvision」(有機ELディスプレイを使ったブック型の多チャンネルテレビ)のように、いますぐ実用化できそうなアイディアも見受けられた。
●江戸時代の万年時計の復刻から、人気のホームロボットまで
ここで「万年時計からはじまった情熱のDNA 驚き!130年モノづくり物語」について少し紹介しておこう。9月9日から11日までの間行われたイベントで、特別展示、シンポジウム、サイエンスショーなどを通じて、モノ作りの情熱を伝えようというものだ。中でも目玉企画は国立科学博物館と東芝が共同で進めてきた「万年時計 復元・複製プロジェクト」の「万年時計」だ。
今から150年も前の江戸時代、当時の最新技術を結集してひとつの時計がつくられた。二組の真鍮製ゼンマイを動力に、洋式時計や、昼夜をそれぞれ六等分する不定時法による時計など、6つ(6面)の時計を動かし、さらに干支や七曜、二十四節気、月の満ち欠けの表示機能まで持った完全機械式の和時計「万年時計」がそれである。これをつくったのが、「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重。その久重が後に起こした会社が後の芝浦製作所となり、さらに現在の東芝につながっていくことになるのである。
久重のつくった「万年時計」は、あまりの複雑さに再生不可能と言われてきたが、これを復活させようという取り組みが国家プロジェクトとして持ち上がった。そして、見事に復活した「万年時計」の動く複製品が、東芝130周年記念イベントとして国立科学博物館にお目見えしたわけだ。このほか、藤岡市助が発明した国産白熱電球といった歴史的逸品から、現在の東芝が世界に誇る半導体技術の粋を、この特別展示で見ることができた。
また特別展示の人気者・ホームロボット「アプリアルファ」は、いわば現代の“からくり”最先端。人の声を理解して、照明やエアコンなど家電製品を制御したり、インターネットで必要な情報を集めてきたりしてくれるロボットだ。将来はこうしたロボットが、留守番や警備、掃除、家事手伝い、介護が必要な方や高齢者を手助けする役割が期待されている。そのほか、ギネス認定の世界最小HDDや、世界最小の燃料電池なども展示された。
●応募作品には、人を幸福にする夢の力が詰まっていた
こうしたものづくりの原点は、やはり夢。「未来のテレビ」アイディアコンテスト審査委員長も務め、グランプリ表彰式ではプレゼンターを務めた東芝デジタルメディアネットワーク社の藤井美英社長に話を聞いた。
まず「未来のテレビ」アイディアコンテストを開催しようと考えた理由について尋ねた。「将来どんなテレビを世に出していくか、社内にすばらしいアイディアはたくさんある。しかし、それが本当に人々に望まれているものなのか、子供やお年寄りや障害を持った方など、さまざまな人たちに合っているのか、本当にほしいと思ってもらえるテレビなのだろうか、それを謙虚に聞いてみたかった」(藤井社長)という。テレビについて人々が何を望んでいるのかを、「未来のテレビ」という夢の姿を借りて見てみたい、というのがこうしたコンテストを初めて実施した背景にあるようだ。
1万件を超える応募作品の中でも、小学生の作品はとくに多かったようだ。「小学生からの応募作品には本当に感動させられた。子供の感性はとても瑞々しい。日本はまだまだ捨てたものじゃない」と、藤井社長はとにかくうれしそうだった。どこがそれほどすばらしかったのか? 「目が見えない人でも見えるテレビ、木のように成長して根からの栄養が電気になるテレビ、など人へのやさしさ、環境へのやさしさを考えたテレビのアイディアが寄せられたことは、正直予想外だった。子供たちがこうした視点をちゃんと持っている。日本の健全性はいまだ失われていない」と藤井社長は言う。
そして、「テレビは、そのエンターテインメント性、コンビニエンス性において、数ある家電製品の中で最も人を幸せにする力を持った製品だと思う。そのテレビをつくるメーカーには、人々を幸せにする責務がある。総合グランプリ受賞作をはじめ、今回の応募作品は、そのことを改めて気づかせてくれるものばかりだった」と語る。メーカーの原点は、夢を実現させたいという思いにこそあるのではないだろうか。子供たちの作品にはたしかにその夢があふれていた。ものづくりの心、手づくり感を忘れないために、夢を育むこと。藤井社長自身も、そのことを再認識したコンテストだったようだ。
日本の子供たちの学力が低下している??経済協力開発機構(OECD)が昨年末発表した国際学習到達度調査の結果を受けて、ゆとり教育の見直しなどが叫ばれ始めているが、危惧すべきは、学力の低下よりもむしろ、子供たちの夢見る力がどうなっているか、ではないだろうか。
未来に夢を描くことができなければ、描いた夢を実現させたいという情熱がなければ、この国の明日はどうなってしまうだろう。誰もがあこがれるスポーツ選手も宇宙飛行士も、最初は「こうなりたい!」という夢から出発している。ましてや、日本はものづくりで世界をリードしてきた国。誰かの役に立って、誰かを幸せにするものをこれからも生み出し続けていくには、夢を見る力が絶対に必要なはず。「こんなものがあったら」「こんなことができたら」といった夢こそが、ものづくりの出発点。日本の子供たちは、ものづくりの心を決して失ってはいない。そんなことを改めて実感したイベントとなった。(フリーライター・中村光宏)
今から10年後の「未来」に現れるのは一体どんなテレビ? をテーマに「こんなかたちのテレビがあったら……」「テレビでこんなことができたら……」など、「未来のテレビ」の夢とアイディアを文章やイラストで競うコンテスト。総合グランプリを受賞したのは、小学生が考えた「おじいちゃんのテレビ」だった。
●難病を患ったおじいちゃんでも使えるテレビを
「未来のテレビ」アイディアコンテストは、東芝が創業130周年を記念するイベントの一つとして行われた。10年後にどんなテレビが登場しているか、「未来のテレビ」への夢を募集するもの。新聞、雑誌、Webなどを通じて、今年の2月から5月の間一般に公募し、「小学生部門」、中学生以上60歳未満の「一般部門」、60歳以上の「シニア部門」の3部門で作品審査が行われた。文章とイラスト、あるいは文章のみで描かれた「未来のテレビ」のアイディアは、全国から実に1万292件も寄せられた。応募作品の最終審査は、AV機器評論家の麻倉怜士氏、タレントのはしのえみさん、サイエンスプロデューサーの米村でんじろう氏を特別審査員に迎えて行われ「総合グランプリ」「最優秀賞」のほか、特別審査員にちなんだ各賞などが決定した。そして総合グランプリの表彰式が、東京・上野の国立科学博物館で開催中の東芝創業130周年記念イベント「万年時計からはじまった情熱のDNA 驚き!130年モノづくり物語」会場の一角で9月11日に行われた。
総合グランプリを受賞したのは、小学生の南 秀亮くん。南くんの応募作品は「おじいちゃんのテレビ」という、まばたきでチャンネルや音量を変えられるテレビである。南くんのお祖父さんは、ALSという病気で2年前に亡くなった。ALSとは、運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく原因不明の「筋萎縮性側索硬化症」という難病である。テレビ好きのお祖父さんは、最初こそなんとか指先でリモコンを操作できていたようだが、ついにはそれも難しくなったそうだ。作品に添えた作文の中で、南くんは、「おじいちゃんのテレビ」を考えたきっかけをこんなふうに書いている。
「そこでぼくは目でぱちぱちと合図をすれば、テレビの画面も変えれて、音の大きさも変えれるテレビがあったら便利だと思いました。ビデオも見れたらもっとよいです。毎日話す事もできないで美味しい物も食べられないで、何も楽しみもなくて、治らない悲しい生活が続いて泣いてばかりだったおじいちゃんを思いだすとこんなテレビがあったら、ぼくはうれしいです。元気な人の便利なテレビより幸せにして役に立つテレビだと考えました。」
誰かを幸せにしたいとの願い。誰かの役に立ってほしいと望む心、そこから始まるものづくりへの夢。「総合グランプリ」を受賞した南くんをはじめ、子供たちの応募作品にはどれも、夢と情熱があふれていた。
また、はしのえみさん選定の「ユニーク賞」を受賞した杉本みさきさんが、お母さんと会場を訪れていた。杉本さんは、新聞でこのコンテストのことを知ったそうだ。受賞作品は、ランドセルと一体型で太陽電池で動くテレビ「テレビつきランドセル」。道徳の時間によく見るテレビで、発表したいときに使える機能があるなど、小学生ならではの文字どおりユニークな発想のテレビで、とても楽しい作品だ。一般部門やシニア部門の受賞作品では、「最優秀賞」一般部門に輝いた村川雅則さんの「Bookvision」(有機ELディスプレイを使ったブック型の多チャンネルテレビ)のように、いますぐ実用化できそうなアイディアも見受けられた。
●江戸時代の万年時計の復刻から、人気のホームロボットまで
ここで「万年時計からはじまった情熱のDNA 驚き!130年モノづくり物語」について少し紹介しておこう。9月9日から11日までの間行われたイベントで、特別展示、シンポジウム、サイエンスショーなどを通じて、モノ作りの情熱を伝えようというものだ。中でも目玉企画は国立科学博物館と東芝が共同で進めてきた「万年時計 復元・複製プロジェクト」の「万年時計」だ。
今から150年も前の江戸時代、当時の最新技術を結集してひとつの時計がつくられた。二組の真鍮製ゼンマイを動力に、洋式時計や、昼夜をそれぞれ六等分する不定時法による時計など、6つ(6面)の時計を動かし、さらに干支や七曜、二十四節気、月の満ち欠けの表示機能まで持った完全機械式の和時計「万年時計」がそれである。これをつくったのが、「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重。その久重が後に起こした会社が後の芝浦製作所となり、さらに現在の東芝につながっていくことになるのである。
久重のつくった「万年時計」は、あまりの複雑さに再生不可能と言われてきたが、これを復活させようという取り組みが国家プロジェクトとして持ち上がった。そして、見事に復活した「万年時計」の動く複製品が、東芝130周年記念イベントとして国立科学博物館にお目見えしたわけだ。このほか、藤岡市助が発明した国産白熱電球といった歴史的逸品から、現在の東芝が世界に誇る半導体技術の粋を、この特別展示で見ることができた。
また特別展示の人気者・ホームロボット「アプリアルファ」は、いわば現代の“からくり”最先端。人の声を理解して、照明やエアコンなど家電製品を制御したり、インターネットで必要な情報を集めてきたりしてくれるロボットだ。将来はこうしたロボットが、留守番や警備、掃除、家事手伝い、介護が必要な方や高齢者を手助けする役割が期待されている。そのほか、ギネス認定の世界最小HDDや、世界最小の燃料電池なども展示された。
●応募作品には、人を幸福にする夢の力が詰まっていた
こうしたものづくりの原点は、やはり夢。「未来のテレビ」アイディアコンテスト審査委員長も務め、グランプリ表彰式ではプレゼンターを務めた東芝デジタルメディアネットワーク社の藤井美英社長に話を聞いた。
まず「未来のテレビ」アイディアコンテストを開催しようと考えた理由について尋ねた。「将来どんなテレビを世に出していくか、社内にすばらしいアイディアはたくさんある。しかし、それが本当に人々に望まれているものなのか、子供やお年寄りや障害を持った方など、さまざまな人たちに合っているのか、本当にほしいと思ってもらえるテレビなのだろうか、それを謙虚に聞いてみたかった」(藤井社長)という。テレビについて人々が何を望んでいるのかを、「未来のテレビ」という夢の姿を借りて見てみたい、というのがこうしたコンテストを初めて実施した背景にあるようだ。
1万件を超える応募作品の中でも、小学生の作品はとくに多かったようだ。「小学生からの応募作品には本当に感動させられた。子供の感性はとても瑞々しい。日本はまだまだ捨てたものじゃない」と、藤井社長はとにかくうれしそうだった。どこがそれほどすばらしかったのか? 「目が見えない人でも見えるテレビ、木のように成長して根からの栄養が電気になるテレビ、など人へのやさしさ、環境へのやさしさを考えたテレビのアイディアが寄せられたことは、正直予想外だった。子供たちがこうした視点をちゃんと持っている。日本の健全性はいまだ失われていない」と藤井社長は言う。
そして、「テレビは、そのエンターテインメント性、コンビニエンス性において、数ある家電製品の中で最も人を幸せにする力を持った製品だと思う。そのテレビをつくるメーカーには、人々を幸せにする責務がある。総合グランプリ受賞作をはじめ、今回の応募作品は、そのことを改めて気づかせてくれるものばかりだった」と語る。メーカーの原点は、夢を実現させたいという思いにこそあるのではないだろうか。子供たちの作品にはたしかにその夢があふれていた。ものづくりの心、手づくり感を忘れないために、夢を育むこと。藤井社長自身も、そのことを再認識したコンテストだったようだ。
日本の子供たちの学力が低下している??経済協力開発機構(OECD)が昨年末発表した国際学習到達度調査の結果を受けて、ゆとり教育の見直しなどが叫ばれ始めているが、危惧すべきは、学力の低下よりもむしろ、子供たちの夢見る力がどうなっているか、ではないだろうか。
未来に夢を描くことができなければ、描いた夢を実現させたいという情熱がなければ、この国の明日はどうなってしまうだろう。誰もがあこがれるスポーツ選手も宇宙飛行士も、最初は「こうなりたい!」という夢から出発している。ましてや、日本はものづくりで世界をリードしてきた国。誰かの役に立って、誰かを幸せにするものをこれからも生み出し続けていくには、夢を見る力が絶対に必要なはず。「こんなものがあったら」「こんなことができたら」といった夢こそが、ものづくりの出発点。日本の子供たちは、ものづくりの心を決して失ってはいない。そんなことを改めて実感したイベントとなった。(フリーライター・中村光宏)