『セクシー田中さん』作者の訃報に接し権利と法律を考える~成蹊大学法学部教授 塩澤一洋~
クリエーターの権利とそのパワーの伝え方
人気マンガ「セクシー田中さん」の作者である芦原妃名子さんが亡くなられたとのニュースに接し、心が痛む。ファンの悲しみは計り知れない。私も心より哀悼の意を表する。多くの人に親しまれた作品たちの新作にはもう出会えない。著作権法の世界観から見ても、著作物を生み出す源である作者の逝去は喪失感が大きい。はたして作者の主張や利害を代弁する弁護士はいたのだろうか。マンガの作者から依頼を受けた弁護士がドラマ化以前の段階から彼女を支援していたのだろうか。クリエーターにも「かかりつけ医」のような顧問弁護士が必要
クリエーターの権利が持つパワーは強い。しかしそれをうまく使うには深い知見と技術が必要だ。マンガ家に限らずクリエーターは自身が持つ権利やその前提となる法律について理解を深めるとともに、代理人となる弁護士に依頼し、出版社や放送局といった相手方との折衝にあたってご自身の意向を代弁してもらうのが得策である。権利に基づき法律に則って交渉できるし、何より創作活動に専心する時間を犠牲にせずに済む価値は大きい。もし作者→出版社→テレビ局(プロデューサー)→脚本家という伝言ゲームがなされたならなおさらだ。作者の意向をどんなに強く出版社に伝えたとしても、それがテレビ局や脚本家まで届く間にトーンダウンしたり変容していくかもしれない。
もし作者と出版社との利害が異なる状況が生じたら、作者の希望がストレートに伝わらない可能性が高まる。作者の意向を出版社に伝える時点で法的な意味を込めた書面にし、さらにテレビ局や脚本家まで間違いなく伝わるよう目を光らせる弁護士がいれば、その存在感は相手方にとっても大きいはずだ。
病気になってから病院に駆け込むより、日頃からかかりつけ医のアドバイスを受けて健康を維持する方が幸せだろう。法律家の存在も同じだ。クリエーターの方々にはぜひ、顧問弁護士を見つけることをご検討いただきたい。各都道府県に弁護士会があり、相談に乗ってくれるはずだ。
またネットで「著作権 弁護士」と検索すれば、たくさんの法律事務所がアピールしてくる。いろいろ眺めて自分のフィーリングに合う弁護士にコンタクトを取ってみると良い。できれば複数の弁護士に会って相談し、自分の伴走者として相応しいか、見極めていただきたい。
本事案について報道されている以上の事実関係を存じ上げない私は、具体的なコメントを書ける立場にない。編集部からの依頼は、このような事案を考える際の基盤となる法的な枠組みについての平易な解説だ。つとめて易しく書くことで正確性が犠牲になる点もあろうがあらかじめご容赦いただきたい。
民法+著作権法でクリエイティブな社会に
法律はクリエーターの味方だ。新たな著作物をゼロから生み出すクリエーターが権利や契約ルールを味方につけてこそ、その作品の価値が生かされる。作品が社会で大切に扱われ、一人一人の作者が望む進め方で作品を世に広めることができるのは法律があるからだ。作者の願いは人それぞれ異なる。多くの人に楽しんでいただきたい、コアなファンだけに理解されれば十分、映画化したい/したくない、二次創作していいよ/しないでね、グッズのマーケットが広がってほしい、キャラクタービジネスで儲けたい……。多様な作者の願いを実現していくツールが権利と法律である。
そのような法律の中心が民法だ。人々の多様性を尊び、お互いの違いを尊重して生かし合う。さまざまな主張や利害関係に優先順位をつけて交通整理をする。損害が発生したらその責任を明らかにする。罰則を規定することで人々の自由を保障する。それらが法律の役割であり、その基盤をなすのが民法だ。権利の使い方や契約の組み立て方について、その原則ルールを規定している。
一方、著作権法は、この日本をクリエイティブで多様な社会にしていきたいという世界観を描く。それを実現するためにクリエーターの味方となる権利や著作物の使い方を定め、民法に上乗せする形で規定されているのだ。
民法+著作権法が用意した道具立てをうまく使うことによって、作品が生かされ、作者が望むように利用され、望まない利用のされ方を拒むことができる。一つの作品が礎となって新たな作品が生み出される好循環により、文化的に豊かな社会を育むのだ。
「著作者の権利」が持つパワー
マンガとドラマは別個の著作物である。しかしマンガを原作としてドラマ化する場合、マンガの著作者の意向が優先される。その根拠が「著作者の権利」だ。著作権法第2章(第10条~第78条の2)に規定されており、著作権法の中核をなす。著作者の権利は2種類の権利からなる。「著作者人格権」と「著作権」だ。著作者人格権は著作物に関して、著作者の気持ちを尊重するための権利、著作権は著作物の使い方、使われ方をコントロールする権利だ。
どちらも著作物の創作と同時に発生して著作者が持つ。手続きは不要だ(17条2項)。個人で創作した著作物はその個人が著作者(2条1項2号)、会社など法人の業務に従事する者が会社側の発意に基づいて職務上作成する著作物は勤務規則などに別段の定めがない限りその法人が著作者である(15条)。
著作者人格権は著作者のみが持つ権利であり、他人に譲渡できない(59条)し、相続もされない。著作者が存しなくなるとこの権利は消滅するものの、著作物を公衆に提供、提示する者は原則として、著作者が存するならば著作者人格権を侵害することとなる行為をしてはならない(60条)。
著作者人格権に含まれる権利は三つ。その著作物を公表するかしないか決めることができる公表権(18条)、著作者の実名や変名を表示するかしないか決めることができる氏名表示権(19条)、そして著作者の意に反してその著作物やタイトルに変更、切除その他の改変を受けないための同一性保持権(20条)である。加えて著作者の名誉や声望を害するような著作物の利用をすると著作者人格権を侵害したものとみなされる(113条11項)。
一方、著作権は、著作物の財産的な価値を享受するための権利である。他人にあげたり売ったりできる(61条)し、相続の対象にもなる(62条参照)。
著作者が法人など団体名義の著作物は、原則として公表から70年を経過するか法人が解散すると著作権が消滅する(53条、62条1項2号)。著作者が個人である場合は、著作者が亡くなった後70年を経過するまで、相続人がいる限り著作権が存続する(51条2項)。死後70年を経過するか、相続人がいなければ著作権は消滅する(62条1項1号)。
著作権に含まれる権利は21~28条に規定されている。著作権の対象は著作物を「利用」する行為だ。
具体的には著作物を複製する行為、翻訳し、編曲し、変形し、脚色し、映画化し、その他翻案する行為、公衆に直接視聴してもらうことを目的として(これを「公に」という)上演、演奏、上映、口述、展示する行為、放送やネット配信といった公衆送信をする行為やそれを公に伝達する行為、そして頒布、譲渡、貸与する行為である。実際はもう少し厳密なので、条文をご参照いただきたい。
これらの行為をまとめて「利用」と呼ぶ。著作者は他者に対して、著作権に基づいて、自分が創作した著作物の利用を許諾したり(63条)、許諾を受けていない者が利用する場合にはその行為をやめさせるために差止めを請求できる(112条)。もし損害が発生したらその賠償を請求することもできる(民法709条)。
さらに著作者は、その著作物を翻訳、編曲、変形、脚色、映画化、その他翻案することによって創作された「二次的著作物」の利用についても、その二次的著作物の著作者が有するのと同種の権利を有する(28条)。
ただし、「利用」でありながら著作権の対象から外されている行為も多い。それらは「著作権の制限」(30~50条)に列挙されており、そこに規定されている範囲内で誰でも自由に利用できる。
例えば私的使用を目的とする複製(30条)、図書館等における複製(31条)、公正な慣行に則った引用による利用(32条)、学校その他の教育機関で授業の過程における利用に供するための複製等(35条)、営利を目的としない上演等(38条)、屋外に恒常的に設置されている美術の著作物や建築の著作物の利用(46条)などである。
なお「利用」に該当しない行為は誰でも自由にできる。これを「使用」という。小説を読む、音楽を聴く、映画を視聴する、といった利用以外の著作物の使い方である。
創作とオリジナルへの敬意
権利を行使できる立場は強い。著作者は、著作者人格権と著作権によって、著作物の使われ方をコントロールする権限を有している。自分の著作物をどのように利用してほしいか、どのような利用はしてほしくないか、どのような変え方は許容できるか、できないか、著作者名はどのように表示してほしいか、しないでほしいか……。すべて著作者の一存で決めることができる。もし著作者が権利を持っていることの意義を実感できないのであれば、他者から著作物を利用したいとの申し出を受けた場合、弁護士に代理人として自身の意向を代弁してもらうという手段が有効であることは前述したとおりだ。
著作者が自分の意向を表明するには細心の注意を要する。特に「著作者人格権は行使しない」といった権利の根幹に関わる条項を含む契約を締結する場合は熟慮が必要だ。
もし一人で判断するのが不安であれば、躊躇せずに自分の味方を見つけよう。著作権法を専門とする弁護士に依頼して、各契約条項が持つ法的な意味や、それに同意することで自分と相手方にどんなメリットやデメリットがあるのか、十分に説明してもらうのが良いだろう。できることなら自分の意向や希望を伝えてそれが反映された有利な契約書を作成してもらうのがベストだ。
一方、他人の著作物を利用する側は、著作者の意向に従わなければならない。権利を有する著作者の意向が最優先なのだ。ゼロから著作物を生み出した著作者に対して敬意を表し、その意向を尊重する。ことに著作物の表現形式を変えて利用する場合や二次的著作物を創作する場合は、原作者の意思を細かく確認し、その意に反していないか丁寧なやりとりが求められよう。
著作権法はオリジナルをリスペクトする。オリジナルを生み出す創作活動に敬意を表するのだ。一つの作品が創作され、さらにそれを基礎として創作される作品もまた尊い。
著作権法が目指す「文化の発展」(1条)を形成するのは創作、公表、利用のスパイラルである。その根底にはいつも、著作者と創作に対するリスペクトがあるのだ。
そのようなリスペクトを基礎としてご自身の作品が適正に利用され、「著作者の権利」を正当に行使するためにも、クリエーターの方々には、前述のように他者や他社との交渉をご自身に代わって進めてくれる弁護士に相談するという手段があることを、どうか頭の片隅に置いておいていただきたい。webでの相談OKな弁護士も増えていますからね。(成蹊大学法学部教授・塩澤一洋)
■Profile
塩澤一洋
成蹊大学法学部教授。慶應義塾大学経済学部、法学部卒、同大学院を経て2000年成蹊大学法学部着任。08年から現職。この間、東京大学先端研特任助教授、政策研究大学院客員教授、Stanford Law School客員研究員、慶應義塾大学総合政策学部特任教授、成蹊大学と金沢大学のロースクール及び多摩美術大学非常勤講師を併任。15年度成蹊大学Teaching Award受賞。専門は民法、著作権法。著書に『Legal Thinking Through Civil Law』、『著作権法コンメンタール〈第2版〉』(共著)、『DVD-ROMで学ぶ「知的財産」入門』(共著)など。