【拝啓、徳島より・19】みなさんの地域で「どんと焼き」はありますか?お正月飾りを燃やして1年間の無病息災などを祈る神事で、「左義長」や「どんど焼き」と呼ぶ地域もあるそうです。関東の都市部に生まれ育った私はもちろん、どんと焼き初心者。徳島に移住してくるまでその存在を全く知りませんでした。コロナ禍で実家にも帰れず一人徳島で過ごしたお正月。初めて見たどんと焼きの炎は言葉が出ないほどの美しさでした。移動が制限される生活は辛かったですが、この町にいたからこそ見られた絶景をご紹介します。
いつもとは違うお正月気分を味わった後、1月も10日ほどたってから気になり出したのが正月飾りの処遇です。
これって普通に燃えるゴミで捨てていいんだっけ?いや、流石にいけない気がする・・・。
千葉のベッドタウンにある実家では、お正月飾りといえば、市が配布する「賀正」という文字が印刷されたお札サイズの紙を玄関にテープで貼るだけ。三が日が終わればゴミ箱へポイ。撤収作業はそれにて終了です。
しかし今回は勝手が違います。道の駅で買ってきた小さなしめ縄つきの正月飾り。人生で初めて自分の家に飾った本物のお飾りです。
どうするべきか処分に困っていたところ、ちゃんと解決策をお知らせしてくれるのが田舎町のいいところです。広報誌に正月飾りをお焚き上げする「どんと焼き」のお知らせと、飾りの持ち込み時間などが案内されていました。
こういう時、田舎町の情報網の手厚さに心底、感動してしまいます。広報誌には町の暮らしに必要な全てのことが書かれているし、町内放送では、診療所に回診に来る先生の予定や週末の行事予定、迷子の連絡まで流してくれます。
修学旅行に出た小学生が「全員元気に宿にチェックインしました」と町内放送が流れた時は、ほっこりして思わず笑ってしまいました。
どんと焼きは毎年行われているので、町民なら誰でもその日取りくらいは知っています。でも改めて全員に案内をしてくれる丁寧さが、移住者にはやはりありがたいですね。
私が住む小さな港町では、どんと焼きは浜で行われます。太平洋を望む浜には前日までにやぐらが組まれ、町民それぞれが正月飾りを持ち込みます。
1月15日の早朝、やっと空が明るくなってきた頃に家を出て、寒い寒い...と手を擦りながら海へ。私は玄関に飾った小さなお飾りひとつでしたが、大きな袋いっぱいにお正月飾りを入れている人もちらほら見られました。
浜に着くと、空は水色とピンクのグラデーションになり、だんだんと明るく海を照らしていきます。
空と海を背景に、こんもりと守られたお正月飾り。幅は約5m、高さは私の背丈くらいありました。傍には神社の神主さんと修験者のような格好をした人が立っていて、厳かな空気が漂っています。
朝7時。朝日が水平線からゆっくりと顔を出すと同時に、神主さんが火をつけました。白い煙がもうもうと上がり、風に流されていきます。辺りはとても静かで、聞こえるのは神主さんがお祈りする声と波の音だけ。ゆらゆら揺れる熱気の向こうに、漁船が一隻、走っていくのが見えました
太陽がすっかり昇りきったくらいで、どんと焼きに炎が立ち上がりました。鮮やかなオレンジ色の炎が龍の鱗みたいにうねりながらやぐら全体を包んでいきます。
「燃え盛る炎」ってきっとこういう炎のことを言うのだなぁと思うくらい。大きく、力強く、少し恐ろしくもあり、そしてとっても綺麗でした。
人垣に戻ると、周りは顔見知りばかり。「いい年になるといいね」と声を掛け合って、またしばらくどんと焼きの炎と海を眺めていました。太陽の暖かさと、どんと焼きの熱を感じながら、「今年はいい年になりますように」と心の中でしっかりお祈りしておきました。
東京に住んだままだったら、この時期をずっと実家で過ごしていたら、こんな素敵な行事があることも知らないで、私は歳をとっていたのかもしれない。この日、この景色をみられたことがとてもラッキーなことのように感じられました。
季節を感じ、その時々で見られる景色を存分に味わうこと。「丁寧に暮らす」の意味はいまだによくわかりませんが、もしかしたらこういうことなのかもなぁと朝日を透かす炎をみながらぼんやりと思ったのでした。(フリーライター・甲斐イアン)
■Profile
甲斐イアン
徳島在住のライター、イラストレーター。千葉県出身。オーストラリア、中南米、インド・ネパールなどの旅を経て、2018年に四国の小さな港町へ移住。地域活性化支援企業にて、行政と協力した地方創生プロジェクトの広報PR業務に従事。21年よりフリーランスとなり、全国各地の素敵なヒト・モノ・コトを取材しています。
正月終わったらお飾りってどうするの?
コロナ禍により実家への帰省が叶わなかった年の1月。毎年、年が明けてから半月くらいぬくぬくと実家で過ごすのが定番でしたが、その年は初めて一人でおせち料理を作り、正月飾りを見よう見真似で飾り、できる限りのことをして楽しんでいました。いつもとは違うお正月気分を味わった後、1月も10日ほどたってから気になり出したのが正月飾りの処遇です。
これって普通に燃えるゴミで捨てていいんだっけ?いや、流石にいけない気がする・・・。
千葉のベッドタウンにある実家では、お正月飾りといえば、市が配布する「賀正」という文字が印刷されたお札サイズの紙を玄関にテープで貼るだけ。三が日が終わればゴミ箱へポイ。撤収作業はそれにて終了です。
しかし今回は勝手が違います。道の駅で買ってきた小さなしめ縄つきの正月飾り。人生で初めて自分の家に飾った本物のお飾りです。
どうするべきか処分に困っていたところ、ちゃんと解決策をお知らせしてくれるのが田舎町のいいところです。広報誌に正月飾りをお焚き上げする「どんと焼き」のお知らせと、飾りの持ち込み時間などが案内されていました。
こういう時、田舎町の情報網の手厚さに心底、感動してしまいます。広報誌には町の暮らしに必要な全てのことが書かれているし、町内放送では、診療所に回診に来る先生の予定や週末の行事予定、迷子の連絡まで流してくれます。
修学旅行に出た小学生が「全員元気に宿にチェックインしました」と町内放送が流れた時は、ほっこりして思わず笑ってしまいました。
どんと焼きは毎年行われているので、町民なら誰でもその日取りくらいは知っています。でも改めて全員に案内をしてくれる丁寧さが、移住者にはやはりありがたいですね。
浜で行われる「どんと焼き」
どんと焼きは、お正月飾りや書初めなどを燃やす火祭りのことで、お正月に各家々にやってきた歳神様を空へ送り返すための神事です。基本的には1月15日に行われるのが習わしだそうで、その起源は平安時代にまで遡るんだとか(諸説あり)。私が住む小さな港町では、どんと焼きは浜で行われます。太平洋を望む浜には前日までにやぐらが組まれ、町民それぞれが正月飾りを持ち込みます。
1月15日の早朝、やっと空が明るくなってきた頃に家を出て、寒い寒い...と手を擦りながら海へ。私は玄関に飾った小さなお飾りひとつでしたが、大きな袋いっぱいにお正月飾りを入れている人もちらほら見られました。
浜に着くと、空は水色とピンクのグラデーションになり、だんだんと明るく海を照らしていきます。
空と海を背景に、こんもりと守られたお正月飾り。幅は約5m、高さは私の背丈くらいありました。傍には神社の神主さんと修験者のような格好をした人が立っていて、厳かな空気が漂っています。
朝7時。朝日が水平線からゆっくりと顔を出すと同時に、神主さんが火をつけました。白い煙がもうもうと上がり、風に流されていきます。辺りはとても静かで、聞こえるのは神主さんがお祈りする声と波の音だけ。ゆらゆら揺れる熱気の向こうに、漁船が一隻、走っていくのが見えました
太陽がすっかり昇りきったくらいで、どんと焼きに炎が立ち上がりました。鮮やかなオレンジ色の炎が龍の鱗みたいにうねりながらやぐら全体を包んでいきます。
「燃え盛る炎」ってきっとこういう炎のことを言うのだなぁと思うくらい。大きく、力強く、少し恐ろしくもあり、そしてとっても綺麗でした。
「煙を浴びに行こう」
ぼーっと景色に見入っていた私に、近所の飲み屋のママが話しかけてくれました。誘われるまま大きくなった炎の周りを一周して、その年は厄年でもあったため、少しむせながらたっぷり煙を被りました。人垣に戻ると、周りは顔見知りばかり。「いい年になるといいね」と声を掛け合って、またしばらくどんと焼きの炎と海を眺めていました。太陽の暖かさと、どんと焼きの熱を感じながら、「今年はいい年になりますように」と心の中でしっかりお祈りしておきました。
東京に住んだままだったら、この時期をずっと実家で過ごしていたら、こんな素敵な行事があることも知らないで、私は歳をとっていたのかもしれない。この日、この景色をみられたことがとてもラッキーなことのように感じられました。
季節を感じ、その時々で見られる景色を存分に味わうこと。「丁寧に暮らす」の意味はいまだによくわかりませんが、もしかしたらこういうことなのかもなぁと朝日を透かす炎をみながらぼんやりと思ったのでした。(フリーライター・甲斐イアン)
■Profile
甲斐イアン
徳島在住のライター、イラストレーター。千葉県出身。オーストラリア、中南米、インド・ネパールなどの旅を経て、2018年に四国の小さな港町へ移住。地域活性化支援企業にて、行政と協力した地方創生プロジェクトの広報PR業務に従事。21年よりフリーランスとなり、全国各地の素敵なヒト・モノ・コトを取材しています。