新聞記者、というとちょっと古臭い感じがするが、その昔、新聞記者は「常にカメラを持ち歩け」と言われていた。フィルムカメラ全盛時からの話だ。いつどんな時に事件や事故に出くわすかもしれない。偶然居合わせたらとにかく写真を撮って記事を書きプレスライダーに託して送れ、というわけだ。1枚の写真があれば、「決定的瞬間」をとらえた特ダネをモノにできるかもしれない。カメラはその時のための備えだった。
1900年代中頃に活躍したフランスの写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソン。1932年に35mmカメラのライカIIIで撮影した「サン・ラザール駅裏」は「決定的瞬間」を代表する作品として有名だ。シルエットになっている男性が、水たまりの上へ飛び出すように一歩を踏み出し、片足のかかとが今にも水たまりにつきそうな瞬間を写し止めたモノクロ写真。1952年に発表した写真集「The Decisive Moment(=決定的瞬間)」に収められた。
以降、瞬間を切り取る写真の本質を表現する言葉として「決定的瞬間」は多用されるようになった。事件でも事故でもない日常の一コマだが、「サン・ラザール駅裏」は90年以上経った今でも、写真特有の普遍的な一瞬を閉じ込めた作品だ。報道写真とブレッソンの作品にみられる「決定的瞬間」には、意味合いに大きな違いがある。しかし、重要な一瞬を切り取るという点では同じだ。決定的瞬間をとらえるには「カメラを持っていること」と「そこに居ること」が必須であることもまた共通している。
今日、誰もがスマートフォン(スマホ)という名のカメラを持ち歩いている。決定的瞬間のために別途カメラを持ち歩く必然性はほぼなくなった。スマホの普及で、「カメラを持ち歩く」という面倒な課題がクリアされてしまった。従来のカメラは居場所を失いつつある。それどころか、画質も使い勝手も急速に向上したスマホに攻め込まれ、カメラの出番はさらに少なくなった。カメラ市場の縮小傾向も止まらない。しかし、一定数のユーザーがカメラを購入し使い続けているのもまた事実だ。カメラ映像機器工業会(CIPA)は2月1日、昨年実施した調査についてのプレスリリース「『フォトイメージングマーケット統合調査:国内編』の結果について」を公表した。
それでもなぜカメラを使うのか。CIPAのリリースでは、アンケート調査を通じて得たフリーアンサーから読み解く、その理由が語られている。「アスリートの撮影はスマホじゃ足りない」「動いているものをファインダーを覗きながら撮影。これはスマホではできない」「被写体の魅力を『本当の意味で』引き出すことは、スマホにはできない」「写真機能が向上しても、スマホ特有の立体感の無さはぬぐえない。高性能のスマホより安い一眼」「スマホでは夕焼け、星空、月を見たままに表現するのが難しい」「一部では最近のスマホはデジカメを超えると言われるが全くそんなことはない」「不自然に調整・加工されたスマホに対し、カメラは自然な写真が撮れる」「スポーツの躍動感はスマホでは撮りきれない。カメラなら撮れる」「カメラのほうがより生々しく撮影できる」……。
これらはほんの一部だ。詳細はリリース本文に譲るとして、スマホにはない何かがカメラにあると考える人はまだまだ多い。果たしてカメラメーカー各社は、彼らの熱意にしっかりと向き合っているだろうか。ビジネスを優先するあまり、ユーザーを置き去りにしてはいないだろうか。CIPAは2月23日から26日の4日間、横浜のパシフィコ横浜でカメラの見本市「CP+」を4年ぶりにリアル開催する。コロナ禍で激しく痛んだ3年間を経てカメラが再出発するいい機会だ。もう一度カメラの存在意義を見つけるため、会場に足を運んでみたい。(BCN・道越一郎)
1900年代中頃に活躍したフランスの写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソン。1932年に35mmカメラのライカIIIで撮影した「サン・ラザール駅裏」は「決定的瞬間」を代表する作品として有名だ。シルエットになっている男性が、水たまりの上へ飛び出すように一歩を踏み出し、片足のかかとが今にも水たまりにつきそうな瞬間を写し止めたモノクロ写真。1952年に発表した写真集「The Decisive Moment(=決定的瞬間)」に収められた。
以降、瞬間を切り取る写真の本質を表現する言葉として「決定的瞬間」は多用されるようになった。事件でも事故でもない日常の一コマだが、「サン・ラザール駅裏」は90年以上経った今でも、写真特有の普遍的な一瞬を閉じ込めた作品だ。報道写真とブレッソンの作品にみられる「決定的瞬間」には、意味合いに大きな違いがある。しかし、重要な一瞬を切り取るという点では同じだ。決定的瞬間をとらえるには「カメラを持っていること」と「そこに居ること」が必須であることもまた共通している。
今日、誰もがスマートフォン(スマホ)という名のカメラを持ち歩いている。決定的瞬間のために別途カメラを持ち歩く必然性はほぼなくなった。スマホの普及で、「カメラを持ち歩く」という面倒な課題がクリアされてしまった。従来のカメラは居場所を失いつつある。それどころか、画質も使い勝手も急速に向上したスマホに攻め込まれ、カメラの出番はさらに少なくなった。カメラ市場の縮小傾向も止まらない。しかし、一定数のユーザーがカメラを購入し使い続けているのもまた事実だ。カメラ映像機器工業会(CIPA)は2月1日、昨年実施した調査についてのプレスリリース「『フォトイメージングマーケット統合調査:国内編』の結果について」を公表した。
それでもなぜカメラを使うのか。CIPAのリリースでは、アンケート調査を通じて得たフリーアンサーから読み解く、その理由が語られている。「アスリートの撮影はスマホじゃ足りない」「動いているものをファインダーを覗きながら撮影。これはスマホではできない」「被写体の魅力を『本当の意味で』引き出すことは、スマホにはできない」「写真機能が向上しても、スマホ特有の立体感の無さはぬぐえない。高性能のスマホより安い一眼」「スマホでは夕焼け、星空、月を見たままに表現するのが難しい」「一部では最近のスマホはデジカメを超えると言われるが全くそんなことはない」「不自然に調整・加工されたスマホに対し、カメラは自然な写真が撮れる」「スポーツの躍動感はスマホでは撮りきれない。カメラなら撮れる」「カメラのほうがより生々しく撮影できる」……。
これらはほんの一部だ。詳細はリリース本文に譲るとして、スマホにはない何かがカメラにあると考える人はまだまだ多い。果たしてカメラメーカー各社は、彼らの熱意にしっかりと向き合っているだろうか。ビジネスを優先するあまり、ユーザーを置き去りにしてはいないだろうか。CIPAは2月23日から26日の4日間、横浜のパシフィコ横浜でカメラの見本市「CP+」を4年ぶりにリアル開催する。コロナ禍で激しく痛んだ3年間を経てカメラが再出発するいい機会だ。もう一度カメラの存在意義を見つけるため、会場に足を運んでみたい。(BCN・道越一郎)