セイコー、和光本館をブランド発信拠点「SEIKO HOUSE GINZA」に再整備
セイコーホールディングス(セイコー)は、自社で保有する銀座四丁目の和光本館の建物を「SEIKO HOUSE GINZA」と名付け、SEIKOブランドの発信拠点とするため再整備を行い、時計塔竣工から90周年にあたる6月10日「時の記念日」にオープンした。
セイコーホールディングスグループの事業領域が広がるなか、スペシャリティストア・和光の店舗である地下1階から4階に加え、これまで限定的な利用にとどまっていた5階から屋上を社会とともに歩むセイコーのブランド発信の場として活用し、建物の歴史的価値を生かしながら屋上の整備やデジタルスタジオの新設などを進め、SDGs活動の発信も銀座から世界に向けて行っていく。
竣工当時の社長室・会議室が残る5階「ゲストラウンジ」は、ウェビナーなどに対応する国内外へのデジタル発信の環境を整備し、特別な応接やプレゼンテーションに活用できるスペースとする。
6階「セイコーハウス銀座ホール」は、従来の「和光ホール」を改称し、グループ事業全般に関連する展示や、アーティストとの共創など、世界に向けて様々な発信ができるよう整備した。
7階「工房」は、セイコーホールディングスグループの匠の技を体験できる工房に改修し、最新製品を展示するスペースも設置する。
屋上「スカイガーデン」は、地球に優しい素材を使用したウッドデッキや植栽などを配置し、時計塔の鐘の音を聞きながら銀座の中心を体験できるおもてなしの場とする。
なお、地下1階から4階までのフロアは、これまでどおり和光の店舗として営業を行う。
セイコーの前身・服部時計店は、1894年銀座四丁目の角地に進出し、その際、建物の屋上には創業者・服部金太郎の強い希望により時計塔が設置された。その後、関東大震災からの復興の象徴として1932年この地に完成した新社屋の二代目時計塔は、以来、銀座の街を行く人々に正確な時刻を知らせる銀座のランドマークとして親しまれてきた。二代目時計塔90周年の節目に、セイコーはもう一度、原点であるこの場所がもつ役割を見直し、日本の匠の技術やものづくりの想いを未来に伝え、社会とともに歩むSEIKOを発信していく場所にしていく。
セイコーホールディングスグループの事業領域が広がるなか、スペシャリティストア・和光の店舗である地下1階から4階に加え、これまで限定的な利用にとどまっていた5階から屋上を社会とともに歩むセイコーのブランド発信の場として活用し、建物の歴史的価値を生かしながら屋上の整備やデジタルスタジオの新設などを進め、SDGs活動の発信も銀座から世界に向けて行っていく。
竣工当時の社長室・会議室が残る5階「ゲストラウンジ」は、ウェビナーなどに対応する国内外へのデジタル発信の環境を整備し、特別な応接やプレゼンテーションに活用できるスペースとする。
6階「セイコーハウス銀座ホール」は、従来の「和光ホール」を改称し、グループ事業全般に関連する展示や、アーティストとの共創など、世界に向けて様々な発信ができるよう整備した。
7階「工房」は、セイコーホールディングスグループの匠の技を体験できる工房に改修し、最新製品を展示するスペースも設置する。
屋上「スカイガーデン」は、地球に優しい素材を使用したウッドデッキや植栽などを配置し、時計塔の鐘の音を聞きながら銀座の中心を体験できるおもてなしの場とする。
なお、地下1階から4階までのフロアは、これまでどおり和光の店舗として営業を行う。
セイコーの前身・服部時計店は、1894年銀座四丁目の角地に進出し、その際、建物の屋上には創業者・服部金太郎の強い希望により時計塔が設置された。その後、関東大震災からの復興の象徴として1932年この地に完成した新社屋の二代目時計塔は、以来、銀座の街を行く人々に正確な時刻を知らせる銀座のランドマークとして親しまれてきた。二代目時計塔90周年の節目に、セイコーはもう一度、原点であるこの場所がもつ役割を見直し、日本の匠の技術やものづくりの想いを未来に伝え、社会とともに歩むSEIKOを発信していく場所にしていく。