ソニー(現ソニーグループ)の元会長兼グループCEOの出井伸之氏が6月2日、肝不全のため死去した。84歳だった。葬儀は近親者のみの密葬で執り行われ、後日、偲ぶ会を開催する予定。ソニーグループが7日に発表した。
95~2000年まで社長兼COOとして、00~05年までは会長兼グループCEOとして経営のトップを担った。05年、ソニー会長兼グループCEOを退任後、クオンタムリープを設立してベンチャーの育成などに力を注いだ。
2019年12月に行われたBCNの奥田喜久男代表取締役会長による連載「千人回峰」の対談の中で、クオンタムリープの代表取締役ファウンダー&CEOとしての出井氏は、終戦時に家族が中国の大連に住んでいて一時ソ連領となり苦労した経験や、子どもの頃はオーディオ少年で秋葉原のパーツ屋に入り浸り、ソニーにも半導体に惚れ込んで入社した経緯などを語っている。
また、理系出身が多いソニーの事業部長の中で、文系出身の出井氏はオーディオ・ビデオ事業部長やコンピュータ事業部長を務めた。「技術をもとにビジネス化する、つまり文理合併職の事業部長を目指そうと思ったのです」と語り、全社で一番業績の悪かったオーディオ事業を立て直すと4代目社長を務めた岩間和夫氏に直談判し、オーディオ事業部長になったエピソードも披露している。テック企業のソニーに、経営者のマクロな視点を取り入れることを、入社当時から目指していたという。
一方で03年にソニーの株価が大きく下落する“ソニーショック”を引き起こすなど、エレキ(エレクトロニクス)事業の立て直しでは経営にダメージを与えるなど苦労したものの、エンタテインメント事業との両輪による「ハードとソフトの融合」を当時から唱え続けていた。出井氏が思い描き続けてきたソニーの理想形が実現したのは、ここ数年のことだったのかもしれない。
また、経営の監督と執行の分離をいち早く取り入れた執行役員制の導入、委員会等設置会社への移行など、グローバルなグループ経営体制の構築とコーポレートガバナンスの確立にも尽力した。
ソニーのCEO退任後は、ベンチャー企業の育成支援を行うクオンタムリープを設立し、同社やその子会社を通じて、ベンチャー企業と大企業の連携や国内外の企業間の連携に尽力した。
6月7日のリリースでソニーグループは吉田憲一郎代表執行役会長兼社長CEOのコメントを発表した。「出井さんは、1998年から7年間ソニーのCEOを務められ、グローバル企業としての成長に多大なる貢献をされました。特にインターネットがもたらすインパクトをいち早く予見し、ソニーにおけるデジタル化を積極的に推進されたその先見性には今でも驚かされます。私自身、1998年から2年間、出井さんのもとで社長室室長を務めましたが、そこでの経験と学びは、自分の人生の転機ともなり、現在のソニーの経営にもつながっています。出井さんの多大な貢献と功績に心から感謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします」。(BCN・細田 立圭志)
文系出身のオーディオ事業部長
出井伸之氏は、早稲田大学政治経済学部を卒業後、1960年にソニーに入社。音響事業本部オーディオ事業部長、ホームビデオ事業本部長、広告宣伝本部長、クリエイティブ・コミュニケーション部門長などを歴任した後、95年にソニーの第6代 代表取締役社長に就任した。95~2000年まで社長兼COOとして、00~05年までは会長兼グループCEOとして経営のトップを担った。05年、ソニー会長兼グループCEOを退任後、クオンタムリープを設立してベンチャーの育成などに力を注いだ。
2019年12月に行われたBCNの奥田喜久男代表取締役会長による連載「千人回峰」の対談の中で、クオンタムリープの代表取締役ファウンダー&CEOとしての出井氏は、終戦時に家族が中国の大連に住んでいて一時ソ連領となり苦労した経験や、子どもの頃はオーディオ少年で秋葉原のパーツ屋に入り浸り、ソニーにも半導体に惚れ込んで入社した経緯などを語っている。
また、理系出身が多いソニーの事業部長の中で、文系出身の出井氏はオーディオ・ビデオ事業部長やコンピュータ事業部長を務めた。「技術をもとにビジネス化する、つまり文理合併職の事業部長を目指そうと思ったのです」と語り、全社で一番業績の悪かったオーディオ事業を立て直すと4代目社長を務めた岩間和夫氏に直談判し、オーディオ事業部長になったエピソードも披露している。テック企業のソニーに、経営者のマクロな視点を取り入れることを、入社当時から目指していたという。
「ハードとソフトの融合」を描き続ける
コンピュータ事業部長だった93年、まだ「Windows 95」が出る前に「インターネットは巨大な隕石だ」として、インターネットで激変する世界やビジネスを早くから予見していた。社長就任以来、「デジタル・ドリーム・キッズ」というキーワードを掲げ、ソニーのデジタル・ネットワーク事業を積極的に推進した。一方で03年にソニーの株価が大きく下落する“ソニーショック”を引き起こすなど、エレキ(エレクトロニクス)事業の立て直しでは経営にダメージを与えるなど苦労したものの、エンタテインメント事業との両輪による「ハードとソフトの融合」を当時から唱え続けていた。出井氏が思い描き続けてきたソニーの理想形が実現したのは、ここ数年のことだったのかもしれない。
また、経営の監督と執行の分離をいち早く取り入れた執行役員制の導入、委員会等設置会社への移行など、グローバルなグループ経営体制の構築とコーポレートガバナンスの確立にも尽力した。
ソニーのCEO退任後は、ベンチャー企業の育成支援を行うクオンタムリープを設立し、同社やその子会社を通じて、ベンチャー企業と大企業の連携や国内外の企業間の連携に尽力した。
6月7日のリリースでソニーグループは吉田憲一郎代表執行役会長兼社長CEOのコメントを発表した。「出井さんは、1998年から7年間ソニーのCEOを務められ、グローバル企業としての成長に多大なる貢献をされました。特にインターネットがもたらすインパクトをいち早く予見し、ソニーにおけるデジタル化を積極的に推進されたその先見性には今でも驚かされます。私自身、1998年から2年間、出井さんのもとで社長室室長を務めましたが、そこでの経験と学びは、自分の人生の転機ともなり、現在のソニーの経営にもつながっています。出井さんの多大な貢献と功績に心から感謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします」。(BCN・細田 立圭志)