私は猫になりたい。 ~癒しにもなる最強の生き物~
【猫が好き。・2】「ワガママ」「気まぐれ」「ツンデレ」。猫を形容する言葉は数々あれど、その多くが好意的でないものばかり。諺と言えば「猫に小判」「猫をかぶる」「猫は三年の恩を三日で忘れる」。不名誉なものが少なくないのは何故だろうかと、疑問を抱いてしまうほど愛らしい生き物だ。
猫の性質は、人間に例えるならさしずめ超絶ワガママなお嬢様といったところか。自分が遊びたい時にはそそくさとやって来て雑誌の上に寝そべるわ、電話中に割り込んでくるわ、Web会議に乱入するわ、用事がある時に限って膝の上に居座って占拠するわ、こっちの都合などお構いなしでやりたい放題。そのくせ気分が乗らないと見向きもせず、抱っこすれば逃げて行き、狭い家の中の一体どこにそんな場所があるのか甚だ不思議ではあるけれど自分だけの秘密の隠れ家に身を隠し、名前を呼べども呼べども姿を見せず、忘れた頃にどこからかひょっこり現れる。
気に入らないゴハンを出されたら「コレ要らない」と空気を掛けて埋めてみせ、食器の前に座り込んで背中で無言の圧を放ち、美味しいおやつを勝ち取るまでガンとして譲らない。トイレだってうっかりお片付けを忘れたりしたら、ベッドやマットの上で嫌がらせのように用を足してしまう。用が済んだら済んだでトイレ・ハイになり、唸り声を上げながら草原を駆け抜けるチーターのように狭いリビングを走り回る。ここはサバンナか?
撫でられてご満悦で喉を鳴らしながらうっとりしていたかと思ったら、突如牙を剥いて噛む。自分で登った木から降りられなくなってみたり、狭い隙間に挟まって身動き取れなくなったり、とにかく世話が焼ける生き物なのだ。助走なしで体高の5倍もジャンプできて、犬にも勝る聴力を持ち、走れば自足時速50km。身体能力は並外れているのに何故生かさないのだ。
しかし、どんなに手間が掛かろうとも、理不尽な目に遭わされようとも、飼い主はせっせとお世話に勤しみ自ら下僕と化して猫様に尽くしてしまう。この毛玉毛皮を纏った小さな生き物がこれほどまでに人の心を鷲掴みにしてしまうのは何故なんだろう?
ポップコーンに似た香ばしい匂いのするあのプニプニとした肉球のせいだろうか?それとも、思わず顔を埋めたくなるモフモフしたお腹のせい? いや、一番はあのマンガチックな顔かもしれない。猫は顔の比率からすると突出して目が大きく、人間が本能的に好む顔立ちをしている。あるいは、元々人間に好まれる顔立ちにプログラミングされているんじゃないかとさえ思えてくる。もしや、あのクリクリした瞳からは、人間の目には見えないビームが発せられていて、意のままに動かしているのかもしれない……そんなことを言ったらまるで猫がどこかの星からやって来た宇宙人(宇宙ニャン)みたいだけど、猫が人間の心を癒す不思議な力を持っていることは疑いようがない。そして、その愛らしさと言ったら、子猫であろうが若猫であろうが老猫になっても変わらず我々人間のギスギスした感情を和ませ、がさついた心を滑らかにしてくれる。
お風呂に入るわけでもないのに臭くなるどころか、むしろ良い匂いを放つのは、唾液に含まれる酵素やタンパク質に殺菌・抗菌作用があるからなのだとか。そして、喉を鳴らす時のゴロゴロ音にはセラピー効果があり、最近の研究結果では血圧を下げたり、不安を和らげたり、骨芽細胞を活性化し骨密度を高め骨折を早く治す効果があることも明らかになっている。猫の生態、恐るべし。
古代エジプトでは神と崇められ、中世ヨーロッパでは魔女の使いとして疎まれ、日本では招き猫として有り難がられたり、猫股などと言って妖怪扱いされたり。人間の勝手で上げたり下げたり忙しいこと甚だしい。
しかし、猫をモチーフにした絵画や書籍、映画やマンガも数知れず、猫が人間との関わりを持ち始めてから数千年もの間、これほどまでに人の心を捉え魅了してきた生き物は猫を置いて他にはいない。ましてや人間がどう足掻いても太刀打ちできない。誰がなんと言おうとも、猫は最強の生き物なのだ。(tarojiroko)
■執筆者プロフィール
広島修道大学英語英文学科卒業。商社勤務を経て現在、大手ネットショッピングのペット用品部門で買い物の利便性向上を支えるデータメンテナンスを担当。子ども時代の夢は動物園の飼育係。
猫の性質は、人間に例えるならさしずめ超絶ワガママなお嬢様といったところか。自分が遊びたい時にはそそくさとやって来て雑誌の上に寝そべるわ、電話中に割り込んでくるわ、Web会議に乱入するわ、用事がある時に限って膝の上に居座って占拠するわ、こっちの都合などお構いなしでやりたい放題。そのくせ気分が乗らないと見向きもせず、抱っこすれば逃げて行き、狭い家の中の一体どこにそんな場所があるのか甚だ不思議ではあるけれど自分だけの秘密の隠れ家に身を隠し、名前を呼べども呼べども姿を見せず、忘れた頃にどこからかひょっこり現れる。
気に入らないゴハンを出されたら「コレ要らない」と空気を掛けて埋めてみせ、食器の前に座り込んで背中で無言の圧を放ち、美味しいおやつを勝ち取るまでガンとして譲らない。トイレだってうっかりお片付けを忘れたりしたら、ベッドやマットの上で嫌がらせのように用を足してしまう。用が済んだら済んだでトイレ・ハイになり、唸り声を上げながら草原を駆け抜けるチーターのように狭いリビングを走り回る。ここはサバンナか?
撫でられてご満悦で喉を鳴らしながらうっとりしていたかと思ったら、突如牙を剥いて噛む。自分で登った木から降りられなくなってみたり、狭い隙間に挟まって身動き取れなくなったり、とにかく世話が焼ける生き物なのだ。助走なしで体高の5倍もジャンプできて、犬にも勝る聴力を持ち、走れば自足時速50km。身体能力は並外れているのに何故生かさないのだ。
しかし、どんなに手間が掛かろうとも、理不尽な目に遭わされようとも、飼い主はせっせとお世話に勤しみ自ら下僕と化して猫様に尽くしてしまう。この毛玉毛皮を纏った小さな生き物がこれほどまでに人の心を鷲掴みにしてしまうのは何故なんだろう?
ポップコーンに似た香ばしい匂いのするあのプニプニとした肉球のせいだろうか?それとも、思わず顔を埋めたくなるモフモフしたお腹のせい? いや、一番はあのマンガチックな顔かもしれない。猫は顔の比率からすると突出して目が大きく、人間が本能的に好む顔立ちをしている。あるいは、元々人間に好まれる顔立ちにプログラミングされているんじゃないかとさえ思えてくる。もしや、あのクリクリした瞳からは、人間の目には見えないビームが発せられていて、意のままに動かしているのかもしれない……そんなことを言ったらまるで猫がどこかの星からやって来た宇宙人(宇宙ニャン)みたいだけど、猫が人間の心を癒す不思議な力を持っていることは疑いようがない。そして、その愛らしさと言ったら、子猫であろうが若猫であろうが老猫になっても変わらず我々人間のギスギスした感情を和ませ、がさついた心を滑らかにしてくれる。
お風呂に入るわけでもないのに臭くなるどころか、むしろ良い匂いを放つのは、唾液に含まれる酵素やタンパク質に殺菌・抗菌作用があるからなのだとか。そして、喉を鳴らす時のゴロゴロ音にはセラピー効果があり、最近の研究結果では血圧を下げたり、不安を和らげたり、骨芽細胞を活性化し骨密度を高め骨折を早く治す効果があることも明らかになっている。猫の生態、恐るべし。
古代エジプトでは神と崇められ、中世ヨーロッパでは魔女の使いとして疎まれ、日本では招き猫として有り難がられたり、猫股などと言って妖怪扱いされたり。人間の勝手で上げたり下げたり忙しいこと甚だしい。
しかし、猫をモチーフにした絵画や書籍、映画やマンガも数知れず、猫が人間との関わりを持ち始めてから数千年もの間、これほどまでに人の心を捉え魅了してきた生き物は猫を置いて他にはいない。ましてや人間がどう足掻いても太刀打ちできない。誰がなんと言おうとも、猫は最強の生き物なのだ。(tarojiroko)
■執筆者プロフィール
広島修道大学英語英文学科卒業。商社勤務を経て現在、大手ネットショッピングのペット用品部門で買い物の利便性向上を支えるデータメンテナンスを担当。子ども時代の夢は動物園の飼育係。