新連載「コーヒーが飲みたい。」 カップの中には遠い国からやってきた使者がいる
【新連載・コーヒーへの想いを語る「コーヒーが飲みたい。」】 コーヒーの抽出は「じっくり、丁寧に」という感覚の方が多くおられると思うが、それが決して間違いであるということではない。
まずはご自身の好みに合わせたコーヒーはどんな「味わい」なのかにフォーカスしていただきたい。味わいの中には「濃度」があって、濃い薄いのどの辺りが好みか、そこにコーヒーと自分との接点があるということを一度考えてみて欲しい。ただしこの好ましい「濃度」は気分や体調などでも最適な濃度は変化していくようなので厄介である。最適な濃度が見つかると焙煎の浅い酸味のあるコーヒーも、深煎りのほろ苦いコーヒーも印象がガラリと変わって、つまりコーヒーが「美味しい」となってしまうことは少なくないから本当に面白い。コーヒーは本当に面白い飲み物なのだ。
お湯が沸いたらドリップポットへ注いでおく。慣れるまではコーヒー豆はできれば計量した方が良い。カップやドリッパー、サーバーはお湯をかけ温めておくのも大切だ。ペーパードリップの際にペーパーにお湯をかけてあげると製造時などの匂いが軽減されてオススメだ。コーヒー豆はお湯をかける直前に挽いた方がいいのは、粉砕時に香り成分の半分以上は空気中に逃げてしまうような儚くも可憐な花火のようなものだから出来る限りを尽くしたい。
いざドリップするとなると、迷いが生じてみたりして些か弱気になり後手後手なってしまうことがある。そうなるとコーヒーに先を越されてしまいがちになり、帳尻合わせに奔走しなければならなくなる。何せ相手はデリケートな気質だから先手を掴むこと、リーダーシップを発揮すればこそ「好みの味」と「コーヒー豆の持ち味」をコントロールできるきっかけになると考えている。何事も初回で上手くいくことは少ないから、どうせなら「大胆さ」と「優しさ」を持って接していくことを、そこに自分の好みを描いていくことで抽出されたコーヒーに愛着を持てるようになり次へ繋げていけるようになる。
コーヒーの抽出はお湯をかけた瞬間から始まっている。ドリッパー内の粉にお湯を注ぐと上部から染み込んでいき、サーバーにポタポタと滴るまでに時間がかかり過ぎると結果的に抽出された味わいにムラができやすいように思う。多くの方がここからが「蒸らし時間」のカウントを始めるのかもしれないが、1つのコツとしてお湯をかけてからカウントすることを提案したい。コーヒーはお湯がかかると酸味から抽出されて、その後に苦味が出てくるのだけれど、その時間差が知らぬ間に思いも寄らぬ味わいへ変化していることがある。
そういうことから挽いた粉に様子を見ながら慎重にお湯をかけていくことは悪くはないのだけれど、そこを「じっくり」や「丁寧」に置き換えてしまうと思い通りの味わいから遠ざかってしまい、コーヒーのドリップは難しいなと感じてしまうのかも知れない。私の好みの話になってしまうが、澄んでいて綺麗な味わいにしたいのである。そのためには味わいに濁りを生じさせたくないから自分の抽出速度に合わせて豆量や粒度、湯温を変化させたりしている。受け身だけだと味わえない失敗もあるが、上手くできた時は喜びと共に飲み干してしまう。少し乱暴な言い方をするけれど、本来コーヒー豆一粒一粒が違うのである。つまり次の1杯を作る時だって違う豆が入ってくると思って新たな気持ちになる。一期一会のコーヒーは少し前傾姿勢でダイナミックに接したい。
コーヒーの味わいの側面には面白さや難しさがあって、そしてそれが都度変化しているから手間がかかる。購入するお店が違えば同じ豆でも印象が変わるのは当然であり、自身のストライクゾーンを捉えてくれるお店との出会いは貴重だ。私はコーヒー豆の説明するのが苦手で身振り手振りジェスチャーを振り撒きながら一所懸命になってしまう。遥か遠くからやって来た使者の素晴らしさを1杯に込めてまた飲みたいなんて言われたら気絶するほど嬉しいものだ。気難しさ、元気の良さ、華やかさ、瑞々しさ、気高さ、まるで人間模様を写しているかのように見える。そのものたちを相手に型にはめたレシピで上手くやろうとしても躓いてしまうことになる。自分の持つ好みがより鮮明になればなるほど対峙するコーヒー豆の素性を観察することができる。カップの中に入ったコーヒーにはたくさんの人たち、自然の豊かさ、美しさも厳しさが幾重にも連なっているから浪漫を感じずにはいられないから、またコーヒーが飲みたい。
■プロフィール
田村寛維(たむらひろゆき)
caffe gita yuzawa / caffe gita yokote オーナー 株式会社 gita 代表取締役
1976年秋田県生まれ。2011年からコーヒー豆の買い付けで海外へ行く。コーヒーの生産国や消費国で多くの人たちやバリスタたちとの出会いはコーヒーの世界観を広げていく。それぞれの国の文化もまたコーヒーの背景になっている。
まずはご自身の好みに合わせたコーヒーはどんな「味わい」なのかにフォーカスしていただきたい。味わいの中には「濃度」があって、濃い薄いのどの辺りが好みか、そこにコーヒーと自分との接点があるということを一度考えてみて欲しい。ただしこの好ましい「濃度」は気分や体調などでも最適な濃度は変化していくようなので厄介である。最適な濃度が見つかると焙煎の浅い酸味のあるコーヒーも、深煎りのほろ苦いコーヒーも印象がガラリと変わって、つまりコーヒーが「美味しい」となってしまうことは少なくないから本当に面白い。コーヒーは本当に面白い飲み物なのだ。
お湯が沸いたらドリップポットへ注いでおく。慣れるまではコーヒー豆はできれば計量した方が良い。カップやドリッパー、サーバーはお湯をかけ温めておくのも大切だ。ペーパードリップの際にペーパーにお湯をかけてあげると製造時などの匂いが軽減されてオススメだ。コーヒー豆はお湯をかける直前に挽いた方がいいのは、粉砕時に香り成分の半分以上は空気中に逃げてしまうような儚くも可憐な花火のようなものだから出来る限りを尽くしたい。
いざドリップするとなると、迷いが生じてみたりして些か弱気になり後手後手なってしまうことがある。そうなるとコーヒーに先を越されてしまいがちになり、帳尻合わせに奔走しなければならなくなる。何せ相手はデリケートな気質だから先手を掴むこと、リーダーシップを発揮すればこそ「好みの味」と「コーヒー豆の持ち味」をコントロールできるきっかけになると考えている。何事も初回で上手くいくことは少ないから、どうせなら「大胆さ」と「優しさ」を持って接していくことを、そこに自分の好みを描いていくことで抽出されたコーヒーに愛着を持てるようになり次へ繋げていけるようになる。
コーヒーの抽出はお湯をかけた瞬間から始まっている。ドリッパー内の粉にお湯を注ぐと上部から染み込んでいき、サーバーにポタポタと滴るまでに時間がかかり過ぎると結果的に抽出された味わいにムラができやすいように思う。多くの方がここからが「蒸らし時間」のカウントを始めるのかもしれないが、1つのコツとしてお湯をかけてからカウントすることを提案したい。コーヒーはお湯がかかると酸味から抽出されて、その後に苦味が出てくるのだけれど、その時間差が知らぬ間に思いも寄らぬ味わいへ変化していることがある。
そういうことから挽いた粉に様子を見ながら慎重にお湯をかけていくことは悪くはないのだけれど、そこを「じっくり」や「丁寧」に置き換えてしまうと思い通りの味わいから遠ざかってしまい、コーヒーのドリップは難しいなと感じてしまうのかも知れない。私の好みの話になってしまうが、澄んでいて綺麗な味わいにしたいのである。そのためには味わいに濁りを生じさせたくないから自分の抽出速度に合わせて豆量や粒度、湯温を変化させたりしている。受け身だけだと味わえない失敗もあるが、上手くできた時は喜びと共に飲み干してしまう。少し乱暴な言い方をするけれど、本来コーヒー豆一粒一粒が違うのである。つまり次の1杯を作る時だって違う豆が入ってくると思って新たな気持ちになる。一期一会のコーヒーは少し前傾姿勢でダイナミックに接したい。
コーヒーの味わいの側面には面白さや難しさがあって、そしてそれが都度変化しているから手間がかかる。購入するお店が違えば同じ豆でも印象が変わるのは当然であり、自身のストライクゾーンを捉えてくれるお店との出会いは貴重だ。私はコーヒー豆の説明するのが苦手で身振り手振りジェスチャーを振り撒きながら一所懸命になってしまう。遥か遠くからやって来た使者の素晴らしさを1杯に込めてまた飲みたいなんて言われたら気絶するほど嬉しいものだ。気難しさ、元気の良さ、華やかさ、瑞々しさ、気高さ、まるで人間模様を写しているかのように見える。そのものたちを相手に型にはめたレシピで上手くやろうとしても躓いてしまうことになる。自分の持つ好みがより鮮明になればなるほど対峙するコーヒー豆の素性を観察することができる。カップの中に入ったコーヒーにはたくさんの人たち、自然の豊かさ、美しさも厳しさが幾重にも連なっているから浪漫を感じずにはいられないから、またコーヒーが飲みたい。
■プロフィール
田村寛維(たむらひろゆき)
caffe gita yuzawa / caffe gita yokote オーナー 株式会社 gita 代表取締役
1976年秋田県生まれ。2011年からコーヒー豆の買い付けで海外へ行く。コーヒーの生産国や消費国で多くの人たちやバリスタたちとの出会いはコーヒーの世界観を広げていく。それぞれの国の文化もまたコーヒーの背景になっている。