【メイカーズを追う・1】スタートアップのものづくり企業をめぐり、その事業モデルや製品の独自性、経営者の発想、市場における今後の展開など、新たな“メイカーズ”の動きを追う本企画。第1回では、この企画のモデレーターを務め、エルステッドインターナショナル代表として製造業の支援に携わるかたわら、自らも製品開発やマーケティングを手掛ける永守知博氏に、ものづくりの現状と自身の取り組みについて聞いた。
取材/BCN+R編集長 細田 立圭志 文/小林 茂樹 写真/松嶋 優子
永守 私はメーカー勤務を経て、2009年に起業したのですが、このとき「Makers-IN」という製造業支援サイトを立ち上げました。メンバーが2、3人しかいない小さな会社であっても、アイデアや技術次第で世界に発信できる時代が来ていると考え、そうしたスタートアップ向けのプラットフォームをつくったのです。いわば、アリババ的なサイトですね。
12年にはクリス・アンダーソンの『MAKERS』の日本語版が刊行されるなど、その後「メイカーズ」という言葉は人口に膾炙しましたが、サイト開設のタイミングが若干早かったようで、現在は閉鎖しています。ただ、ものづくり商社的な立場でメイカーズ支援は続けており、ここで改めてメイカーズに焦点を当ててみたいと考えているんです。
細田 メイカーズ支援の具体的な内容は、どのようなものでしょうか。
永守 例えば、製品はできたけれど量産できないとか、アイデアはあるが試作品をつくれない、量産する能力はあるがどう売ればいいかわからない、といった悩みに対するサポートですね。私たちの会社を通じて、つながりのあるエンジニアや生産工場を紹介したり、マーケティングのお手伝いをしたりするわけです。
細田 われわれが家電量販企業を取材しても、いわゆるナショナルブランド以外にも新しい企画やアイデア商品に対するニーズの高さがひしひしと伝わってきます。まさに、量産から販売チャネルの開拓など課題が多いですね。
永守 ファンドや大企業の支援を受け、華々しくメディアに取り上げられるスタートアップ企業も稀にありますが、大部分のスタートアップは、大手メーカーや老舗商社の取引口座を開くことは簡単ではなく、実際のところなかなか相手にしてもらえません。メイカーズにとって、すばらしい製品をつくることができたとしても、流通・販売にのせるためのハードルは高いわけです。しかも、スピード感をもって販路を開拓しないと、またたく間に模倣され、大手企業の高質な大量生産に飲み込まれてしまいます。そこで、経営者の情熱を含め、この製品は世に出すべきだと判断したときには、当社を通じて流通させることもあります。
実は私自身、東日本大震災の後に「計画停電用蓄電池」を企画・開発し、当時の切実なニーズに応える製品としてヒットさせた経験があります。このとき、当社は大手企業との取引口座をたくさんつくることができ、会社を安定させることができたのですが、「本来は、おたくのような小さな会社とは取引しない」といわれたこともありました。
細田 取引口座の開設ってすごく初歩的な課題ですが、いまだに大手メーカーや商社では大きな壁になっていると聞きます。永守さんもそういう状況を自ら経験されたのですね。でも、開発した製品の力が勝ったと。ところで、いま再びメイカーズに着目した理由は?
永守 「Makers-IN」を立ち上げた時期より、インキュベーション施設が充実したり、学生のスタートアップが増えるなど、参入しやすい状況になったということが大きいですね。それだけに、これからの新たな力に期待できると考えています。
永守 私自身、リーマン・ショック直後の2009年に起業し、11年の震災をきっかけにして開発した製品により会社を軌道に乗せたという経緯がありますが、こうした世の中の大きな変化をチャンスとして捉えるメイカーズは多いですね。
細田 社会的としてはピンチの状況でも、それをチャンスに変えていくと……。
永守 そうですね。私のところには海外から相談を持ち込まれるケースが多いのですが、日本の起業家よりも海外の起業家のほうがその傾向は高いと感じます。マスクでも消毒液でも、自社の手がけるジャンルにこだわることなく、チャンスだと思ったら突っ走る感じです。以前に比べて製造業の垣根が低くなってきており、他業種から参入することも珍しくなくなりました。
細田 最近ではクラウドファンディングが社会的に認知され、資金力の乏しいメイカーズにとって有力な資金調達手段になると考えられますが、この点についてどうお考えですか。
永守 コミュニケーションロボットの開発のために合弁で設立したMJI社で、クラウドファンディングを行った経験があるのですが、それほど簡単ではなかったというのが正直なところです。
クラウドファンディングのいいところは、あらかじめ製品に対する消費者やバイヤーの反応がわかるところで、それ自体がひとつのマーケティング調査といえるでしょう。以前は「こういう製品をつくれば売れるに違いない」というプロダクトアウトの発想でものづくりをしていたわけですから、そうした意味からはリスクを低減させる効果があります。
ただし、クラウドファンディングをする際にはPR力が問われ、とがった製品企画でないと埋没してしまいます。
例えば、酒造会社が廃棄物となる酒粕を使って発電し、それをモバイルバッテリー製造につなげるという案件がありました。意外性があり、地方創生やSDGsにも通じる事業計画で、まだその成否は不明ながら、クラウドファンディングに際してはPRしやすいものといえます。これに対して、どんなに高品質な製品をつくったとしても、既存の汎用的な製品の延長線上にあるようなものでは、なかなか振り向いてもらえないという難しさがあるといえるでしょう。
永守 私は1976年生まれですが、同世代にはIT企業のスター経営者が数多くいます。そうしたインターネット世代の中で、私はハードウェア、いわゆる昔からのものづくりにこだわってきました。かつて、メカトロ製品の機構設計や板金や鋳造といったことに携わり、そうした経験は私の強みとなっているのですが、その反面、若いIoTスタートアップとふれる機会はそれほど多くありませんでした。そこで今回の企画では、そうした人たち、とがった発想をもっている人たちのことを知りたい、謙虚に学びたいという思いがあります。
さらに今回、私がやってみたいと思っているのは、そうした優秀なスタートアップの人々を結びつけて横展開していくことです。実は、そうした横のつながりは意外なほど少ないため、それが実現できれば、新たなものづくりの担い手たち全体を盛り上げることができるのではないかと考えているんです。
細田 それは面白い試みですね。とがった技術や発想をもつメイカーズが何らかの形で協力しあえるとしたら、それは日本の製造業の復活と底上げにつながるような気がします。次回からのメイカーズインタビュー、私も楽しみにしております。
■Profile
永守知博(ながもり・ともひろ)
1976年2月、京都市生まれ。2000年、明治大学大学院理工学研究科電気電子工学専攻修了後、富士通入社。02年、同社退社後、米サフォーク大学に留学し、経営学修士(MBA)を取得。帰国後、日本電産勤務を経て、09年4月、エルステッドインターナショナルを設立する。
取材/BCN+R編集長 細田 立圭志 文/小林 茂樹 写真/松嶋 優子
『MAKERS』の刊行から10年
細田 今回始まった「メイカーズを追う」では、さまざまなハードウェアのスタートアップ経営者にインタビューしていただくわけですが、永守さん自身、これまでメイカーズとの関わりが深いと聞いています。永守 私はメーカー勤務を経て、2009年に起業したのですが、このとき「Makers-IN」という製造業支援サイトを立ち上げました。メンバーが2、3人しかいない小さな会社であっても、アイデアや技術次第で世界に発信できる時代が来ていると考え、そうしたスタートアップ向けのプラットフォームをつくったのです。いわば、アリババ的なサイトですね。
12年にはクリス・アンダーソンの『MAKERS』の日本語版が刊行されるなど、その後「メイカーズ」という言葉は人口に膾炙しましたが、サイト開設のタイミングが若干早かったようで、現在は閉鎖しています。ただ、ものづくり商社的な立場でメイカーズ支援は続けており、ここで改めてメイカーズに焦点を当ててみたいと考えているんです。
細田 メイカーズ支援の具体的な内容は、どのようなものでしょうか。
永守 例えば、製品はできたけれど量産できないとか、アイデアはあるが試作品をつくれない、量産する能力はあるがどう売ればいいかわからない、といった悩みに対するサポートですね。私たちの会社を通じて、つながりのあるエンジニアや生産工場を紹介したり、マーケティングのお手伝いをしたりするわけです。
細田 われわれが家電量販企業を取材しても、いわゆるナショナルブランド以外にも新しい企画やアイデア商品に対するニーズの高さがひしひしと伝わってきます。まさに、量産から販売チャネルの開拓など課題が多いですね。
永守 ファンドや大企業の支援を受け、華々しくメディアに取り上げられるスタートアップ企業も稀にありますが、大部分のスタートアップは、大手メーカーや老舗商社の取引口座を開くことは簡単ではなく、実際のところなかなか相手にしてもらえません。メイカーズにとって、すばらしい製品をつくることができたとしても、流通・販売にのせるためのハードルは高いわけです。しかも、スピード感をもって販路を開拓しないと、またたく間に模倣され、大手企業の高質な大量生産に飲み込まれてしまいます。そこで、経営者の情熱を含め、この製品は世に出すべきだと判断したときには、当社を通じて流通させることもあります。
実は私自身、東日本大震災の後に「計画停電用蓄電池」を企画・開発し、当時の切実なニーズに応える製品としてヒットさせた経験があります。このとき、当社は大手企業との取引口座をたくさんつくることができ、会社を安定させることができたのですが、「本来は、おたくのような小さな会社とは取引しない」といわれたこともありました。
細田 取引口座の開設ってすごく初歩的な課題ですが、いまだに大手メーカーや商社では大きな壁になっていると聞きます。永守さんもそういう状況を自ら経験されたのですね。でも、開発した製品の力が勝ったと。ところで、いま再びメイカーズに着目した理由は?
永守 「Makers-IN」を立ち上げた時期より、インキュベーション施設が充実したり、学生のスタートアップが増えるなど、参入しやすい状況になったということが大きいですね。それだけに、これからの新たな力に期待できると考えています。
新型コロナはチャンス、資金調達のCFには難しさも
細田 今回のコロナ禍で、メイカーズの動きに何か変化はありましたか。永守 私自身、リーマン・ショック直後の2009年に起業し、11年の震災をきっかけにして開発した製品により会社を軌道に乗せたという経緯がありますが、こうした世の中の大きな変化をチャンスとして捉えるメイカーズは多いですね。
細田 社会的としてはピンチの状況でも、それをチャンスに変えていくと……。
永守 そうですね。私のところには海外から相談を持ち込まれるケースが多いのですが、日本の起業家よりも海外の起業家のほうがその傾向は高いと感じます。マスクでも消毒液でも、自社の手がけるジャンルにこだわることなく、チャンスだと思ったら突っ走る感じです。以前に比べて製造業の垣根が低くなってきており、他業種から参入することも珍しくなくなりました。
細田 最近ではクラウドファンディングが社会的に認知され、資金力の乏しいメイカーズにとって有力な資金調達手段になると考えられますが、この点についてどうお考えですか。
永守 コミュニケーションロボットの開発のために合弁で設立したMJI社で、クラウドファンディングを行った経験があるのですが、それほど簡単ではなかったというのが正直なところです。
クラウドファンディングのいいところは、あらかじめ製品に対する消費者やバイヤーの反応がわかるところで、それ自体がひとつのマーケティング調査といえるでしょう。以前は「こういう製品をつくれば売れるに違いない」というプロダクトアウトの発想でものづくりをしていたわけですから、そうした意味からはリスクを低減させる効果があります。
ただし、クラウドファンディングをする際にはPR力が問われ、とがった製品企画でないと埋没してしまいます。
例えば、酒造会社が廃棄物となる酒粕を使って発電し、それをモバイルバッテリー製造につなげるという案件がありました。意外性があり、地方創生やSDGsにも通じる事業計画で、まだその成否は不明ながら、クラウドファンディングに際してはPRしやすいものといえます。これに対して、どんなに高品質な製品をつくったとしても、既存の汎用的な製品の延長線上にあるようなものでは、なかなか振り向いてもらえないという難しさがあるといえるでしょう。
ハードウェアにこだわりたい
細田 この「メイカーズを追う」企画に対して、永守さん自身が期待することはどんなことですか。永守 私は1976年生まれですが、同世代にはIT企業のスター経営者が数多くいます。そうしたインターネット世代の中で、私はハードウェア、いわゆる昔からのものづくりにこだわってきました。かつて、メカトロ製品の機構設計や板金や鋳造といったことに携わり、そうした経験は私の強みとなっているのですが、その反面、若いIoTスタートアップとふれる機会はそれほど多くありませんでした。そこで今回の企画では、そうした人たち、とがった発想をもっている人たちのことを知りたい、謙虚に学びたいという思いがあります。
さらに今回、私がやってみたいと思っているのは、そうした優秀なスタートアップの人々を結びつけて横展開していくことです。実は、そうした横のつながりは意外なほど少ないため、それが実現できれば、新たなものづくりの担い手たち全体を盛り上げることができるのではないかと考えているんです。
細田 それは面白い試みですね。とがった技術や発想をもつメイカーズが何らかの形で協力しあえるとしたら、それは日本の製造業の復活と底上げにつながるような気がします。次回からのメイカーズインタビュー、私も楽しみにしております。
■Profile
永守知博(ながもり・ともひろ)
1976年2月、京都市生まれ。2000年、明治大学大学院理工学研究科電気電子工学専攻修了後、富士通入社。02年、同社退社後、米サフォーク大学に留学し、経営学修士(MBA)を取得。帰国後、日本電産勤務を経て、09年4月、エルステッドインターナショナルを設立する。