フォトキナを終焉に導いたカメラのヒエラルキー崩壊
カメラ市場にとって受難の2020年。1年も終わりが近づいた11月27日、「とどめ」ともいうべき悲しいニュースが飛び込んできた。世界最大規模のカメラ見本市「フォトキナ」の事実上の終結宣言だ。主催するケルンメッセが発表した。カメラや映像機器市場の縮小で、19年は中止。そこへコロナ禍が加わり、今年も中止に追い込まれた。
ドイツ・ケルンで開催される、カメラや写真の愛好家なら一度は聞いたことのあるあこがれの見本市。18年は10万平米の展示エリアに812社が出展、18万人が訪れた。次回は22年以降の開催を表明していたものの、これ以上の継続は不可能との判断から、18年の開催を最後にフォトキナは70年の歴史に終止符を打った。
フォトキナの取材で気になっていたのは、回を重ねるごとにどんどん「勢い」がなくなっていったことだ。12年は、まだまだ勢いがあり、各ブースにも活気があった。ケルンメッセの28万平米にもおよぶ展示エリアほぼいっぱいに、カメラや映像機器、周辺機器、額縁からプリントサービスの紹介まで、ありとあらゆる写真関連の展示が広がり、心が躍った。
とても驚いたのは、写真用品を中心に展示していたホール6。「Sexy Pin-up」をテーマに、中央のステージでヌード撮影会を行っていたことだ。被写体はトップレスの女性モデル。来場者がプロカメラマンに指導を受けながら撮影していく、という趣向だ。素人で、なかなかヌード写真を撮影する機会はない。みんなが熱心にシャッターを切っていた。
ところが、14年、16年と規模と熱気はしぼんでいき、18年ではついにケルンメッセの半分だけを使う規模にまで縮小。残り半分に立ち入りもできない状態での開催に変貌した。18年の開催に先だって、これまで2年に1回としてきた開催間隔を毎年開催に切り替え、開催時期も9月から5月にするとの発表があった。発表を受けて、出展関係者からは「18年が事実上最後のフォトキナになるだろう」との声が聞かれていた。
日本では毎年2月末、同様の見本市CP+が開催される。フォトキナが5月となれば、開催時期が近すぎ、出展内容にほとんど違いがなくなる。さらに、縮小著しいカメラメーカーにとって、毎年ドイツの見本市に大規模なブースを出すのは予算的にもほぼ不可能、というのが理由だった。
予想は、残念ながら当たってしまった。ドイツといえば、言わずと知れたライカのお膝元だ。しかし、同社は18年の出展を最後に、次回以降、出展しないと発表。ニコン、オリンパスも出展しないことを決めていた。ライカやニコンが出展しないフォトキナに意味があるのかと疑問に思いつつ、どうなるか見守っていたが、結局再起はならなかった。
18年は、フルサイズミラーレスの参入が相次いだ年。パナソニック、ライカ、シグマからなるLマウント連合の発表はまさにフォトキナで行われた。ニコン、キヤノンともに、発表したばかりの新マウントを引っ提げてフルサイズミラーレスの実機展示に力を入れていた年でもあった。
フォトキナの終焉は、カメラ市場のヒエラルキーの崩壊を表している。カメラ・写真の世界は、プロカメラマンやプロ向け機材を頂点としたピラミッド構造になっていた。フィルム写真全盛だったころ、写真はまだまだ高度な技術を必要とする難しいものだった。そもそも撮影は、現像してみなければ写っているかどうかも分からない。とてもリスクが高い作業だった。
しかし、デジカメの登場から今日までの進化に加え、写メールからスマートフォンに続くカメラの流れは、決定的に市場を変えてしまった。写真が手軽で身近なものへと「民主化」が進んだ。もはやプロはあこがれの存在ではなくなり、プロ機材も「いつかは手に入れたい」と思うほどの存在でもなくなった。
ライカは、こうしたヒエラルキーの象徴的ブランドともいえる。世界的には、販売台数の8割以上が日本メーカーで占めるデジカメ市場。しかし、ライカというブランドは別格だ。異論は多いだろうが、数あるカメラメーカーの頂点にライカを置くと「座り」が良かった。ライカを生んだのがドイツだ。そのドイツで開かれるカメラの見本市こそ、世界の頂点ともいえるカメラの祭典、という位置づけだったわけだ。
しかし、現地ドイツですら、ライカのブランド力は弱まっている。それ自体知らない若者も増えているという。ライカは、とっくの昔に憧れのブランドではなくなってしまったのだ。ライカが去り、フォトキナが終わった。取材を終え、へとへとになって戻ってきたプレスルームで売っていた、特大ソーセージとケリッシュ・ビールの味が忘れられない。さよなら、フォトキナ。(BCN・道越一郎)
ドイツ・ケルンで開催される、カメラや写真の愛好家なら一度は聞いたことのあるあこがれの見本市。18年は10万平米の展示エリアに812社が出展、18万人が訪れた。次回は22年以降の開催を表明していたものの、これ以上の継続は不可能との判断から、18年の開催を最後にフォトキナは70年の歴史に終止符を打った。
フォトキナの取材で気になっていたのは、回を重ねるごとにどんどん「勢い」がなくなっていったことだ。12年は、まだまだ勢いがあり、各ブースにも活気があった。ケルンメッセの28万平米にもおよぶ展示エリアほぼいっぱいに、カメラや映像機器、周辺機器、額縁からプリントサービスの紹介まで、ありとあらゆる写真関連の展示が広がり、心が躍った。
とても驚いたのは、写真用品を中心に展示していたホール6。「Sexy Pin-up」をテーマに、中央のステージでヌード撮影会を行っていたことだ。被写体はトップレスの女性モデル。来場者がプロカメラマンに指導を受けながら撮影していく、という趣向だ。素人で、なかなかヌード写真を撮影する機会はない。みんなが熱心にシャッターを切っていた。
ところが、14年、16年と規模と熱気はしぼんでいき、18年ではついにケルンメッセの半分だけを使う規模にまで縮小。残り半分に立ち入りもできない状態での開催に変貌した。18年の開催に先だって、これまで2年に1回としてきた開催間隔を毎年開催に切り替え、開催時期も9月から5月にするとの発表があった。発表を受けて、出展関係者からは「18年が事実上最後のフォトキナになるだろう」との声が聞かれていた。
日本では毎年2月末、同様の見本市CP+が開催される。フォトキナが5月となれば、開催時期が近すぎ、出展内容にほとんど違いがなくなる。さらに、縮小著しいカメラメーカーにとって、毎年ドイツの見本市に大規模なブースを出すのは予算的にもほぼ不可能、というのが理由だった。
予想は、残念ながら当たってしまった。ドイツといえば、言わずと知れたライカのお膝元だ。しかし、同社は18年の出展を最後に、次回以降、出展しないと発表。ニコン、オリンパスも出展しないことを決めていた。ライカやニコンが出展しないフォトキナに意味があるのかと疑問に思いつつ、どうなるか見守っていたが、結局再起はならなかった。
18年は、フルサイズミラーレスの参入が相次いだ年。パナソニック、ライカ、シグマからなるLマウント連合の発表はまさにフォトキナで行われた。ニコン、キヤノンともに、発表したばかりの新マウントを引っ提げてフルサイズミラーレスの実機展示に力を入れていた年でもあった。
フォトキナの終焉は、カメラ市場のヒエラルキーの崩壊を表している。カメラ・写真の世界は、プロカメラマンやプロ向け機材を頂点としたピラミッド構造になっていた。フィルム写真全盛だったころ、写真はまだまだ高度な技術を必要とする難しいものだった。そもそも撮影は、現像してみなければ写っているかどうかも分からない。とてもリスクが高い作業だった。
しかし、デジカメの登場から今日までの進化に加え、写メールからスマートフォンに続くカメラの流れは、決定的に市場を変えてしまった。写真が手軽で身近なものへと「民主化」が進んだ。もはやプロはあこがれの存在ではなくなり、プロ機材も「いつかは手に入れたい」と思うほどの存在でもなくなった。
ライカは、こうしたヒエラルキーの象徴的ブランドともいえる。世界的には、販売台数の8割以上が日本メーカーで占めるデジカメ市場。しかし、ライカというブランドは別格だ。異論は多いだろうが、数あるカメラメーカーの頂点にライカを置くと「座り」が良かった。ライカを生んだのがドイツだ。そのドイツで開かれるカメラの見本市こそ、世界の頂点ともいえるカメラの祭典、という位置づけだったわけだ。
しかし、現地ドイツですら、ライカのブランド力は弱まっている。それ自体知らない若者も増えているという。ライカは、とっくの昔に憧れのブランドではなくなってしまったのだ。ライカが去り、フォトキナが終わった。取材を終え、へとへとになって戻ってきたプレスルームで売っていた、特大ソーセージとケリッシュ・ビールの味が忘れられない。さよなら、フォトキナ。(BCN・道越一郎)