オムロンは4月21日、元代表取締役社長で現名誉顧問の立石義雄氏が、21日0時27分に死去したと発表した。5日、倦怠感と発熱から京都市内の病院を受診、肺炎との診断で入院。PCR検査の結果、6日に新型コロナウイルスの感染が判明し治療を受けていた。80歳だった。通夜、葬儀は近親者で行う。新型コロナウイルス感染拡大防止と遺族の強い意向で弔問を辞退。香典、供物、供花、弔電についても辞退するとしている。
立石義雄氏は1939年11月1日生まれ。1962年3月同志社大学経済学部卒業後、1963年4月、父一真氏が創業した立石電機(現オムロン)に入社。1987年6月に代表取締役社長に就任、代表取締役会長、名誉会長を経て、名誉顧問に就いていた。そのほか、京都商工会議所会頭、名誉会頭を歴任、立石科学技術振興財団理事長、京都知恵産業創造の森理事長など重責を担っていた。
立石氏の死去にあたり、京都商工会議所の塚本能交会頭は「永年京都経済界を支え、牽引してこられた重鎮を失い、深い悲しみに包まれています」とコメント。「社長時代に立石電機からオムロンへの社名変更を決断され、オートメーションやセンシング技術を核に多角化を推進」、さらに「経済界の悲願であった京都経済センターのオープンを実現できたことは、立石名誉会頭の輝かしい功績」とたたえた。また「『人の幸せをわが喜びとする』という信条を実直に実践され、京都のため、そして京都で働き、学び、暮らす人々の幸せのために身を捧げてこられました。分け隔てなく温かく人に接し、全力で対応される、そのお姿に多くの皆様が敬愛の念を抱いておりました」と、その死を悼んだ。(BCN・道越一郎)
立石義雄氏は1939年11月1日生まれ。1962年3月同志社大学経済学部卒業後、1963年4月、父一真氏が創業した立石電機(現オムロン)に入社。1987年6月に代表取締役社長に就任、代表取締役会長、名誉会長を経て、名誉顧問に就いていた。そのほか、京都商工会議所会頭、名誉会頭を歴任、立石科学技術振興財団理事長、京都知恵産業創造の森理事長など重責を担っていた。
立石氏の死去にあたり、京都商工会議所の塚本能交会頭は「永年京都経済界を支え、牽引してこられた重鎮を失い、深い悲しみに包まれています」とコメント。「社長時代に立石電機からオムロンへの社名変更を決断され、オートメーションやセンシング技術を核に多角化を推進」、さらに「経済界の悲願であった京都経済センターのオープンを実現できたことは、立石名誉会頭の輝かしい功績」とたたえた。また「『人の幸せをわが喜びとする』という信条を実直に実践され、京都のため、そして京都で働き、学び、暮らす人々の幸せのために身を捧げてこられました。分け隔てなく温かく人に接し、全力で対応される、そのお姿に多くの皆様が敬愛の念を抱いておりました」と、その死を悼んだ。(BCN・道越一郎)