最近、電車に乗っているとやたらコチョバイ。横腹をほんのり何かが触って、とてもくすぐったいのだ。何だろうと横に座っている人を見れば、ほぼ100%スマートフォン(スマホ)に夢中になっている。ゲームだったり、SNSだったり、動画だったり。スマホを両手で持って、何か操作している。結果として肘が横に張りだしてしまい、隣に座っている私の横腹の一番コチョバイ部分にサワサワと触っているのだ。カバンを膝の上に載せ、両腕で支える格好なので、脇が甘くなっているのも敗因だ。迷惑は迷惑なのだが、別に痛いわけでもなく大きな被害を受けているわけでもない。単にコチョバイだけ。ことさら「やめてください」とも言いづらい。とても困っている。ただただ私は小さく身もだえながらコチョバシ攻撃に耐える日々だ。
スマホを手に持つと自然と肘が外に張り出す形になるので、電車の座席に隣り合って座ると、ある意味、肘が隣の人の脇腹付近に触ってしまうのはやむを得ない。かくいう自分も、かつては人知れず迷惑を掛けていたかもしれない。自分がくすぐられる身になってみると分かる。両隣の人に申し訳ないので、スマホをいじる際には意識的に両肘を体につけるような窮屈な体勢で使っている。お世辞にも痩せているとは言えない体型でもあり、油断すると必ずコチョバシ攻撃を仕掛ける側になってしまう。座った姿勢でポケットからハンカチを取り出すような場合は、加害者になる確率が高い。気をつけないといけない。
この季節、ほかにも似たようなコチョバシ攻撃がある。例えば、座っている膝のあたりに、コートの端がサワサワと触るという事象だ。コートの裾と膝が絶妙な距離関係になければ発生しないため、加害者意識は希薄。完全に泣き寝入りだ。不自然に足をばたばたさせながら自分をごまかしたり、コートの裾から逃れようと自助努力は試みたりするものの、結局は徒労に終わる。このほか、ロングシートの端に座っていると、ドアの脇に立っている人の背中が顔のあたりにサワサワ、近年、頻度が上昇している。立っている場合に髪の毛の先が顔のあたりにサワサワ、という事象も少ないながらも発生している。敏感すぎるのだろうか。
イヤホンの性能が上がったからなのか、電車に乗っていて音楽の音漏れに出くわすことはとても少なくなった。ありがたい。昔のように大声で通話する人もほとんど居なくなって、電車の中で不愉快な思いをすることはとても少なくなった。残るはコチョバシ攻撃だ。昨今、寛容さが加速度的に失われている。嘆かわしいことだ。もう少し「許す」という美徳を身につけなければならない。電車利用時に感じる多少のくすぐったさぐらい我慢すべきだ。そう思う。でも、コチョバイのはいかんともしがたい。ほんの少しだけ、気を遣ってくれるとうれしい。(BCN・道越一郎)
スマホを手に持つと自然と肘が外に張り出す形になるので、電車の座席に隣り合って座ると、ある意味、肘が隣の人の脇腹付近に触ってしまうのはやむを得ない。かくいう自分も、かつては人知れず迷惑を掛けていたかもしれない。自分がくすぐられる身になってみると分かる。両隣の人に申し訳ないので、スマホをいじる際には意識的に両肘を体につけるような窮屈な体勢で使っている。お世辞にも痩せているとは言えない体型でもあり、油断すると必ずコチョバシ攻撃を仕掛ける側になってしまう。座った姿勢でポケットからハンカチを取り出すような場合は、加害者になる確率が高い。気をつけないといけない。
この季節、ほかにも似たようなコチョバシ攻撃がある。例えば、座っている膝のあたりに、コートの端がサワサワと触るという事象だ。コートの裾と膝が絶妙な距離関係になければ発生しないため、加害者意識は希薄。完全に泣き寝入りだ。不自然に足をばたばたさせながら自分をごまかしたり、コートの裾から逃れようと自助努力は試みたりするものの、結局は徒労に終わる。このほか、ロングシートの端に座っていると、ドアの脇に立っている人の背中が顔のあたりにサワサワ、近年、頻度が上昇している。立っている場合に髪の毛の先が顔のあたりにサワサワ、という事象も少ないながらも発生している。敏感すぎるのだろうか。
イヤホンの性能が上がったからなのか、電車に乗っていて音楽の音漏れに出くわすことはとても少なくなった。ありがたい。昔のように大声で通話する人もほとんど居なくなって、電車の中で不愉快な思いをすることはとても少なくなった。残るはコチョバシ攻撃だ。昨今、寛容さが加速度的に失われている。嘆かわしいことだ。もう少し「許す」という美徳を身につけなければならない。電車利用時に感じる多少のくすぐったさぐらい我慢すべきだ。そう思う。でも、コチョバイのはいかんともしがたい。ほんの少しだけ、気を遣ってくれるとうれしい。(BCN・道越一郎)