ボサノバの父、ジョアン・ジルベルトを失って

オピニオン

2019/07/14 12:00

 2019年7月6日、ボサノバの父、ジョアン・ジルベルトが亡くなった。88歳だった。世界中で大ヒットした名曲「イパネマの娘」や、ボサノバの原点でもある「シェガ・ジ・サウダージ(想いあふれて)」は、おそらく誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。心から冥福を祈る。

2006年来日公演の模様が、BD「JOAO GILBERTO LIVE IN TOKYO」とした発売された。
結局これが、ジョアン・ジルベルトが認める唯一無二の公式ライブ映像になった。一旦はお蔵入りしていたが、
この5月、13年の時を経て奇跡的にリリースされた。写真はジャケットとブックレット

 彼の「声とギター」があったからこそ、ボサノバという音楽がこの世に生まれた。「普段はホテルの部屋から一歩も出ない」とか「テレビで生演奏中、エアコンの音がうるさいという理由から途中で帰ってしまった」など、逸話には事欠かない人物だったが、ジョアンが紡ぎ出すボサノバの宇宙は完成された音楽の最終形だった。

 ジョアンと日本の関わりが深まったのは晩年に入ってからだ。初めて日本公演を行ったのは、03年9月11日。場所は東京国際フォーラムのホールAだった。16年も前の出来事だが、その時の様子は今でも鮮明に憶えている。

 当時72歳。ホール全体に張り詰める異様な緊張感の中、舞台下手からギター片手にトボトボと登場した。舞台中央に1客だけポツンと置かれた椅子に座ると、カタコトの日本語で囁くように「コンバンハ」。割れんばかりの拍手。彼に会えたら死んでもいいと思うほど心酔しきっていた私は、動くジョアンを初めて目の前で見ることができて、もうそれだけで十分だった。

 演奏を始めるや否や、老人はボサノバの神へと豹変した。ホールはほぼ満員。しかし、ジョアンの奏でる音楽以外に音はない。咳払いどころか衣擦れの音もしない。およそ5000人がそこに居たはずなのに、それすら忘れるほどの完璧な静寂が、静かな音楽を包んだ。

 この年、ジョアンは翌12日に同じく東京国際フォーラム、15日にパシフィコ横浜、16日に再び東京国際フォーラムと4日間ライブを行った。実は最後の2日間で、今でも語り継がれている新たな「伝説」が生まれた。ここで、そのときの模様を記録したレポートを再録する。
 
BD「JOAO GILBERTO LIVE IN TOKYO」の発売に先立って3月、​​​​​
東京・渋谷のBunkamura ル・シネマで試写会が開かれた。
会場には舞台上のセッティングが再現されていた

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 9月16日。ジョアン日本公演千秋楽。今度は1時間遅れの開演。

 神が固まってしまったのは開演して2時間が過ぎ、アンコール1曲目のシェガ・ヂ・サウダーヂを演奏した後だった。拍手の嵐の中ジョアンは椅子に座って左手を膝の上に右手はギターに乗せたまま、微動だにしない。床を見つめるようにうつむいている。

 拍手は鳴り止まない。ジョアンは動かない。拍手は続く。時折、拍手が手拍子のようになったり、「静かにしてー」と叫ぶ客がいたり、拍手が弱くなったり強くなったり。5分、10分たっても、ジョアンは静止したまま。拍手の「演奏」が20分を越えようとするころ、舞台袖からスタッフがジョアンに歩み寄り肩に手をかけて一言二言耳打ちをする。ジョアンは顔をあげた。拍手は一層大きくなった。

 ピアノの蓋を開け無音(正確には会場のノイズ)の演奏を行うジョン・ケージの奇妙な曲「4分33秒」はあまりにも有名だが、ジョアンの21分はそれを越える「名演」となった。

 ジョアンはポルトガル語で聴衆に声をかけた。

 「みんなの手と心にキッスを。アリガト、ジャポン」

 幸せそうなジョアンと割れんばかりの拍手。

 アンコールを再開して気がつけば時計はもうすぐ11時。なんと約3時間にわたる27曲もの熱演。そして、あっという間に日本のエキサイティングな夜は、やはり「イパネマの娘」で幕を閉じた。

 All of me、estate、飛行機のサンバなど、ジョアンの声で聴きたかった曲も演奏してくれた。完璧な夜だった。毎回開演の遅れを詫び続けていたカゲアナが終演後の最後に「オブリガート(ありがとう)、ジョアン」とアナウンス。主が消え暗く沈んだ舞台に明るくなった客席で大きな拍手が起こり、夢のような日々が終わりを告げた。

 ジョアンのプロモーターによれば「ジョアンが聴衆にあんな言葉をかけるのはありえない。事件だ」という。

 今ジョアンに言葉をかけるとしたら「ありがとう」しか見つからない。
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 この世を去ったジョアンに今また言葉をかけるとしたら、やはり「ありがとう」しか見つからない。やすらかに。(BCN・道越一郎)