大ヒットしたメルコの「EMSメモリ」で「変化即動」を実践
【喜びの原点・5】 PC周辺機器メーカーのバッファローをグループ会社にもつメルコホールディングスの経営理念「メルコバリュー」の一つに、「変化即動」がある。そこには「私たちは、世の中の変化に目をそむけず、誤りに気付いた時は引き返す勇気を持ち、常に自己研鑽に励み、自己変革を目指して行動します。」という言葉が添えられている。創業者・牧誠氏がつくったこの理念は、AIやIoTなどITや人々の働き方、ライフスタイルが激しく変わろうとしている今でも色あせることなく、むしろ時代に合致している。
その後もLANや無線LAN機器、外付けHDDなど時代が求める製品を世に送り出しながら変化を重ねた。直近の2019年3月期では、製麺メーカーのシマダヤをグループに取り込んだこともあり、事業ドメインを「IT関連事業」「食品事業」「金融事業」の大きく三つに組み替えた。まさに「変化即動」は、今でも絶え間なく続けられている。
変化即動は、一見すると世の中の変化に誰よりもいち早く対応し、市場に製品を送り込むことと理解しそうだが、牧氏は『理念BOOK メルコバリュー』の中で、こんな言葉を遺している。「半歩遅れで、3倍速で追い抜き、半歩先に着地せよ」
その要諦について「世の中の変化を予測し、いつも最先端でトップを走り続けることはできません。世の中の動きをじっと見つめながら、“最初の変化に気づいた人”に気づくことも重要だ」と説く。その人が動きだして足を持ち上げたとき、その動きをいち早く察知して半歩遅れながらも行動を起こす。ただ、そこからの製品開発は3倍速で追い抜けば、販売時点では相手よりも半歩先に着地できるという意味である。
世の中の変化に対する洞察力を磨くという点では、ただ単に好きという「主観」ではなく、顧客の真のニーズが何であるかを見極める「客観」が大切とする、メルコバリューの「顧客志向」にも通じる考え方だ。
5年先や10年先を読む天才でなくてもいい、ましては人より一歩先を行く必要すらない。最初の一歩を踏み出す人や企業がどこにいるのかをキャッチし、じっと動きを観察することが重要なのだ。そうして「真っ先に市場へ飛び出したものが、その後、有利に動ける」と語っている。
実際に牧氏は「変化即動」の最たる例として、EMSメモリの大ヒットを挙げる。その誕生秘話は『熱血 RCN開発物語』という同社で制作したマンガの中で、生き生きと描かれている。
89年11月にNECが、当時としては破格の24万8000円という定価でPC-98NOTEを発表した。牧氏はこれを、PCがコンシューマー製品に大転換するタイミングととらえて、実売価格は18万円になるだろうと想定した。その上で、1か月後の12月、98NOTEとEMSメモリをセットで20万円で販売するためのプロジェクトチームを発足させて開発をスタートした。
EMSはMS-DOSのユーザーズメモリ640KBを拡張するための国際規格で、米国で主流だったIBMのPC向けEMSメモリは存在していたが、日本では使うことができなかった。そこでメルコは、NECの98NOTE専用のEMSメモリ(RCNシリーズと名付けられた)を、いち早く開発することに目を付けたのだ。
しかも当時、NECの純正メモリが2Mで14万円だったのを、98NOTE専用EMSメモリは2万円でセット販売するという、まさに常識を覆す衝撃的なプロジェクトだった。
牧氏には「多くのユーザーにPCに親しんでもらうには20万円でもまだ高い。ビデオ(デッキ)のように10万円を切る製品が出てもいいはずだ」という持論があった。「98NOTEはPCユーザーのすそ野を広げる製品で、いまやメモリが98NOTEの必需品となっている中、EMSメモリが割高だと98NOTEの魅力が半減しまう」と考えたのだ。
結果的に2万円を切るEMSメモリの製品化に成功。メモリ容量を512KBに小さくしても、日本語ワープロソフトの一太郎dashが30ページ使えるなどの検証を重ねて、機能的に劣らないことを実証した。2万円を切る512KBを筆頭に、1Mと2Mの3シリーズで発売することが決まった。
発売にまつわるエピソードも残っている。90年9月の発売予定を、なんと3か月も前倒しの6月にするという離れ業を成し遂げた。東京・晴海で開催された第70回ビジネスショーで初披露したEMSメモリは、予想を大きく上回る反響を得たことから、発売予定を前倒しして、真っ先に市場に投入したのだった。(BCN・細田 立圭志)
「半歩遅れで、3倍速で追い抜き、半歩先に着地せよ」
1975年に創業したメルコの歴史を振り返っても、最初は高級アンプを製造・開発・販売するオーディオから事業を起こし、オーディオマニアから好評を得た「糸ドライブレコーダー」でヒットを生みながらも、80~90年代にPCが普及するのに合わせて、「P-ROMライター」や「プリンタバッファ」をはじめとするPC周辺機器事業に経営の舵を切った。その後もLANや無線LAN機器、外付けHDDなど時代が求める製品を世に送り出しながら変化を重ねた。直近の2019年3月期では、製麺メーカーのシマダヤをグループに取り込んだこともあり、事業ドメインを「IT関連事業」「食品事業」「金融事業」の大きく三つに組み替えた。まさに「変化即動」は、今でも絶え間なく続けられている。
変化即動は、一見すると世の中の変化に誰よりもいち早く対応し、市場に製品を送り込むことと理解しそうだが、牧氏は『理念BOOK メルコバリュー』の中で、こんな言葉を遺している。「半歩遅れで、3倍速で追い抜き、半歩先に着地せよ」
その要諦について「世の中の変化を予測し、いつも最先端でトップを走り続けることはできません。世の中の動きをじっと見つめながら、“最初の変化に気づいた人”に気づくことも重要だ」と説く。その人が動きだして足を持ち上げたとき、その動きをいち早く察知して半歩遅れながらも行動を起こす。ただ、そこからの製品開発は3倍速で追い抜けば、販売時点では相手よりも半歩先に着地できるという意味である。
世の中の変化に対する洞察力を磨くという点では、ただ単に好きという「主観」ではなく、顧客の真のニーズが何であるかを見極める「客観」が大切とする、メルコバリューの「顧客志向」にも通じる考え方だ。
5年先や10年先を読む天才でなくてもいい、ましては人より一歩先を行く必要すらない。最初の一歩を踏み出す人や企業がどこにいるのかをキャッチし、じっと動きを観察することが重要なのだ。そうして「真っ先に市場へ飛び出したものが、その後、有利に動ける」と語っている。
実際に牧氏は「変化即動」の最たる例として、EMSメモリの大ヒットを挙げる。その誕生秘話は『熱血 RCN開発物語』という同社で制作したマンガの中で、生き生きと描かれている。
89年11月にNECが、当時としては破格の24万8000円という定価でPC-98NOTEを発表した。牧氏はこれを、PCがコンシューマー製品に大転換するタイミングととらえて、実売価格は18万円になるだろうと想定した。その上で、1か月後の12月、98NOTEとEMSメモリをセットで20万円で販売するためのプロジェクトチームを発足させて開発をスタートした。
EMSはMS-DOSのユーザーズメモリ640KBを拡張するための国際規格で、米国で主流だったIBMのPC向けEMSメモリは存在していたが、日本では使うことができなかった。そこでメルコは、NECの98NOTE専用のEMSメモリ(RCNシリーズと名付けられた)を、いち早く開発することに目を付けたのだ。
しかも当時、NECの純正メモリが2Mで14万円だったのを、98NOTE専用EMSメモリは2万円でセット販売するという、まさに常識を覆す衝撃的なプロジェクトだった。
牧氏には「多くのユーザーにPCに親しんでもらうには20万円でもまだ高い。ビデオ(デッキ)のように10万円を切る製品が出てもいいはずだ」という持論があった。「98NOTEはPCユーザーのすそ野を広げる製品で、いまやメモリが98NOTEの必需品となっている中、EMSメモリが割高だと98NOTEの魅力が半減しまう」と考えたのだ。
結果的に2万円を切るEMSメモリの製品化に成功。メモリ容量を512KBに小さくしても、日本語ワープロソフトの一太郎dashが30ページ使えるなどの検証を重ねて、機能的に劣らないことを実証した。2万円を切る512KBを筆頭に、1Mと2Mの3シリーズで発売することが決まった。
発売にまつわるエピソードも残っている。90年9月の発売予定を、なんと3か月も前倒しの6月にするという離れ業を成し遂げた。東京・晴海で開催された第70回ビジネスショーで初披露したEMSメモリは、予想を大きく上回る反響を得たことから、発売予定を前倒しして、真っ先に市場に投入したのだった。(BCN・細田 立圭志)