国内最大規模の原発・柏崎刈羽原子力発電所に行ってきた
何かと注目を浴びることの多い原子力発電所(原発)。施設内には滅多に入れないが、今回、東京電力ホールディングス最大の原発、柏崎刈羽原子力発電所の視察ツアーに参加することができたので、レポートしよう。
石油生産は1930年(昭和5年)にピークを迎えたが、規制緩和後の競争激化や原油価格の高騰、需要低迷などによって縮小し、1973年(昭和48年)には最後の油田が閉山した。油田の衰退に並行して、柏崎市議会や刈羽村議会が誘致を検討したのが原発だった。1969年(昭和44年)から柏崎市/刈羽村議会誘致決議が行われ、1978年(昭和53年)に柏崎刈羽原発の1号機の建設工事を着工。1985年(昭和60年)、1号機の営業運転を開始した。
柏崎刈羽原子力発電所のジオラマ
柏崎市/刈羽村は油田の町から原発の町へ
柏崎刈羽原発は、上越新幹線・長岡駅から車で約40分ほど、新潟県柏崎市と刈羽村をまたぐ形で立地している。周辺一帯は、元々製油の地として知られる。1899年(明治32年)に日本石油本社が現在の出雲崎町(旧:出雲崎村)から現在の柏崎市大久保(旧:大洲村大久保)に移動。翌年には23社の製油所ができ、そのなかで北越西山油田は年産13万トンと、当時の国内原油産出量の約半分を産出した。石油生産は1930年(昭和5年)にピークを迎えたが、規制緩和後の競争激化や原油価格の高騰、需要低迷などによって縮小し、1973年(昭和48年)には最後の油田が閉山した。油田の衰退に並行して、柏崎市議会や刈羽村議会が誘致を検討したのが原発だった。1969年(昭和44年)から柏崎市/刈羽村議会誘致決議が行われ、1978年(昭和53年)に柏崎刈羽原発の1号機の建設工事を着工。1985年(昭和60年)、1号機の営業運転を開始した。
合計7棟の原子炉建屋、2007年に世界最大規模の原発に
柏崎刈羽原発は、海岸沿いに約3.2km伸び、奥行きは約1.4km、面積は約420平方メートル(約127万坪)と東京ドームの約90個分に相当する。敷地の割合は、柏崎市が7割、刈羽村が3割だ。
柏崎刈羽原子力発電所の概要
原発ならではの課題 停止後も継続的な冷却が必要
原発の発電の仕組みはシンプルだ。大枠は火力発電と同じで、熱エネルギーを利用して水を沸かし、蒸気の力で蒸気タービンを回転させ電気を起こす。蒸気は冷やすと水に戻るので、再び熱エネルギーで加熱し、蒸気を発生させる。
発電の仕組み
原子炉内での核分裂
安全対策について語る柏崎刈羽原子力発電所の林勝彦副所長
写真でみる柏崎刈羽原発
中央が原子炉で、左が燃料集合体、右が原子炉格納器
タービン発電機
左が使用済燃料貯蔵プール。停止中の現在は分厚いフタ(右)が開いている
特別に公開された原子炉格納容器の内部