90年代に隆盛を誇ったパソコンビジネスの終焉――ザ・コンピュータ館閉店
「ひとつの時代が終わった」――8月3日、ラオックスから正式に「ザ・コンピュータ館」が9月30日付で閉店するという発表を聞いた瞬間、最初に浮かんだのはこのフレーズだった。
90年4月に開店したラオックス ザ・コンピュータ館は、90年代、日本のパソコン専門店の代表として君臨した。開店当時は、東日本地区で最大規模のパソコン専門店であり、初年度60億円からスタートした売り上げも、96年3月期には272億円、97年3月期には326億円と急成長した。当時のパソコン専門店としては売り上げ規模から見てもダントツの存在で、パソコンメーカーをはじめ、ソフトメーカーもザ・コンピュータ館を中心に販売戦略を考える時期があった。
それが顕著にあらわれたのは、Windowsの深夜発売。95年のWindows95、98年のWindows98の深夜発売の際には、当時マイクロソフトの社長だった成毛真氏をはじめ、パソコン業界幹部が一堂に会し、時報と共にカウントダウンを行い、発売を記念し用意されたくす玉を割った。マスコミにも、「カウントダウンの際にいるべきは、ザ・コンピュータ館」という暗黙の了解だった。
ところが、1990年台も後半となると、その状況が大きく変わっていく。ヤマダ電機、コジマに代表される郊外型家電量販店がパソコン販売に力を入れるようになり、首都圏のターミナル駅に店舗を置くカメラ量販店のパソコン販売量も急拡大していく。
パソコンメーカー側にも、「いつまでも、秋葉原とザ・コンピュータ館を中心に販売戦略を考えていくべき、時期ではない」と機運が生まれる。当時、取材の際に、「これから重視すべきは、郊外店やカメラ量販店」とはっきりと秋葉原とザ・コンピュータ館離れを宣言するメーカー関係者もいた。
これはパソコンマーケットが、秋葉原を代表するマニア層だけでなく、女性や高齢者といったユーザー層に拡大していったことに起因する。Windows95の発売以降、メーカーは新たなユーザー層を獲得するために、秋葉原ではなく、消費者の自宅に近い場所に立地する郊外店、勤務地に近い立地のカメラ量販店での販促活動に注力するようになったのだ。
マニア以外の顧客層にウケがよい店舗というのは、実はザ・コンピュータ館の特徴でもあった。マニアの聖地・秋葉原にある店舗でありながら、女性にも入りやすく、パソコンに詳しくないユーザーにも親切な接客??この点が評価されたからこそ、ザ・コンピュータ館はメーカーにも一目置かれる店舗へと成長していったのだ。
ところが、秋葉原よりも顧客に近い郊外店、カメラ量販店がパソコン販売に注力するようになると、ザ・コンピュータ館の特徴であるマニア以外の顧客の需要も、郊外店やカメラ量販店に移動していく。
それを察知したザ・コンピュータ館も、SOHOなど企業マーケット向け商品の販売に注力するなど店舗リニューアルをはかるものの、なかなかうまく新規需要が掴めない。秋葉原にある小規模店舗が、パーツ販売というマニア向けビジネスに転向し、需要を掴んでいったのに対し、ザ・コンピュータ館は一時の勢いを失っていったように見えた。
その傾向がさらに顕著になったのが、ヨドバシカメラがマルチメディアAKIBAのオープン後である。
2005年9月のマルチメディアAKIBA開店直後、電気街にある複数の店舗を取材してまわった。マニアや特定ユーザーをターゲットとした店舗では、「ヨドバシカメラ開店の影響は案外少ない。当店はヨドバシカメラとは競合する店舗ではないし、むしろ、秋葉原への集客が増えたことで、来店者数ではプラス」という声が多かった。しかし、ザ・コンピュータ館のリニューアルコンセプトは、「デジタルライフ・スタイル提案と、初心者にも優しいPC総合専門店」。マルチメディアAKIBAと重なる顧客層を想定したリニューアルであり、周囲の店舗からは、「ヨドバシのオープンの影響を最も受けているのが、ザ・コンピュータ館では」という声もあがっていた。
今回、店舗閉鎖の要因をラオックスの広報を担当する執行役員の古田光浩・経営企画本部長も、「ヨドバシカメラの秋葉原進出以降、売り上げ減少傾向に陥っていた」と認めている。
ではザ・コンピュータ館はどういう方向へと変化していくべきだったのか?その回答は難しい。ラオックスのような規模をもった店舗が、秋葉原の小規模店舗のように、マニア向け商材に力を入れ、収益をあげていくことは決して容易ではない。ザ・コンピュータ館の進むべき方向がどこにあるのか、実はライバルであるヨドバシカメラをはじめ、パソコン販売に注力していた多くの店舗も同様に悩みでもあった。
ただし、ヨドバシカメラのようなカメラ量販店、郊外にある家電店では、パソコンだけでなく、テレビなどのAV機器、冷蔵庫などの白物家電などを同時に販売している。パソコンの売り上げ減を薄型大画面テレビのような商材がカバーした。それに対し、「ザ・コンピュータ館」という名称の店舗では、パソコン以外の商材を販売していくことが、難しかったという側面がある。
ラオックスでは、ザ・コンピュータ館の閉店後のパソコン事業を、「見直していく」ことを明らかにしている。「下方修正を発表している以上、閉店前以上の売り上げを確保できると判断できなければ、ザ・コンピュータ館のリニューアルオープンという決断をすることは難しい」と古田本部長は話す。
つまり、90年代に出来上がり、20年弱続いたパソコン専門店ビジネスは、終焉を迎えたということに他ならない。新しいスタイルを見出すことが出来なければ、ザ・コンピュータ館復活はあり得ないだろう。
パソコン専門店は、これからどこに向かっていくのか――ひとつの時代が終わり、新しい方向性を模索する時代が始まった。(フリージャーナリスト・三浦優子)
90年4月に開店したラオックス ザ・コンピュータ館は、90年代、日本のパソコン専門店の代表として君臨した。開店当時は、東日本地区で最大規模のパソコン専門店であり、初年度60億円からスタートした売り上げも、96年3月期には272億円、97年3月期には326億円と急成長した。当時のパソコン専門店としては売り上げ規模から見てもダントツの存在で、パソコンメーカーをはじめ、ソフトメーカーもザ・コンピュータ館を中心に販売戦略を考える時期があった。
それが顕著にあらわれたのは、Windowsの深夜発売。95年のWindows95、98年のWindows98の深夜発売の際には、当時マイクロソフトの社長だった成毛真氏をはじめ、パソコン業界幹部が一堂に会し、時報と共にカウントダウンを行い、発売を記念し用意されたくす玉を割った。マスコミにも、「カウントダウンの際にいるべきは、ザ・コンピュータ館」という暗黙の了解だった。
ところが、1990年台も後半となると、その状況が大きく変わっていく。ヤマダ電機、コジマに代表される郊外型家電量販店がパソコン販売に力を入れるようになり、首都圏のターミナル駅に店舗を置くカメラ量販店のパソコン販売量も急拡大していく。
パソコンメーカー側にも、「いつまでも、秋葉原とザ・コンピュータ館を中心に販売戦略を考えていくべき、時期ではない」と機運が生まれる。当時、取材の際に、「これから重視すべきは、郊外店やカメラ量販店」とはっきりと秋葉原とザ・コンピュータ館離れを宣言するメーカー関係者もいた。
これはパソコンマーケットが、秋葉原を代表するマニア層だけでなく、女性や高齢者といったユーザー層に拡大していったことに起因する。Windows95の発売以降、メーカーは新たなユーザー層を獲得するために、秋葉原ではなく、消費者の自宅に近い場所に立地する郊外店、勤務地に近い立地のカメラ量販店での販促活動に注力するようになったのだ。
マニア以外の顧客層にウケがよい店舗というのは、実はザ・コンピュータ館の特徴でもあった。マニアの聖地・秋葉原にある店舗でありながら、女性にも入りやすく、パソコンに詳しくないユーザーにも親切な接客??この点が評価されたからこそ、ザ・コンピュータ館はメーカーにも一目置かれる店舗へと成長していったのだ。
ところが、秋葉原よりも顧客に近い郊外店、カメラ量販店がパソコン販売に注力するようになると、ザ・コンピュータ館の特徴であるマニア以外の顧客の需要も、郊外店やカメラ量販店に移動していく。
それを察知したザ・コンピュータ館も、SOHOなど企業マーケット向け商品の販売に注力するなど店舗リニューアルをはかるものの、なかなかうまく新規需要が掴めない。秋葉原にある小規模店舗が、パーツ販売というマニア向けビジネスに転向し、需要を掴んでいったのに対し、ザ・コンピュータ館は一時の勢いを失っていったように見えた。
その傾向がさらに顕著になったのが、ヨドバシカメラがマルチメディアAKIBAのオープン後である。
2005年9月のマルチメディアAKIBA開店直後、電気街にある複数の店舗を取材してまわった。マニアや特定ユーザーをターゲットとした店舗では、「ヨドバシカメラ開店の影響は案外少ない。当店はヨドバシカメラとは競合する店舗ではないし、むしろ、秋葉原への集客が増えたことで、来店者数ではプラス」という声が多かった。しかし、ザ・コンピュータ館のリニューアルコンセプトは、「デジタルライフ・スタイル提案と、初心者にも優しいPC総合専門店」。マルチメディアAKIBAと重なる顧客層を想定したリニューアルであり、周囲の店舗からは、「ヨドバシのオープンの影響を最も受けているのが、ザ・コンピュータ館では」という声もあがっていた。
今回、店舗閉鎖の要因をラオックスの広報を担当する執行役員の古田光浩・経営企画本部長も、「ヨドバシカメラの秋葉原進出以降、売り上げ減少傾向に陥っていた」と認めている。
ではザ・コンピュータ館はどういう方向へと変化していくべきだったのか?その回答は難しい。ラオックスのような規模をもった店舗が、秋葉原の小規模店舗のように、マニア向け商材に力を入れ、収益をあげていくことは決して容易ではない。ザ・コンピュータ館の進むべき方向がどこにあるのか、実はライバルであるヨドバシカメラをはじめ、パソコン販売に注力していた多くの店舗も同様に悩みでもあった。
ただし、ヨドバシカメラのようなカメラ量販店、郊外にある家電店では、パソコンだけでなく、テレビなどのAV機器、冷蔵庫などの白物家電などを同時に販売している。パソコンの売り上げ減を薄型大画面テレビのような商材がカバーした。それに対し、「ザ・コンピュータ館」という名称の店舗では、パソコン以外の商材を販売していくことが、難しかったという側面がある。
ラオックスでは、ザ・コンピュータ館の閉店後のパソコン事業を、「見直していく」ことを明らかにしている。「下方修正を発表している以上、閉店前以上の売り上げを確保できると判断できなければ、ザ・コンピュータ館のリニューアルオープンという決断をすることは難しい」と古田本部長は話す。
つまり、90年代に出来上がり、20年弱続いたパソコン専門店ビジネスは、終焉を迎えたということに他ならない。新しいスタイルを見出すことが出来なければ、ザ・コンピュータ館復活はあり得ないだろう。
パソコン専門店は、これからどこに向かっていくのか――ひとつの時代が終わり、新しい方向性を模索する時代が始まった。(フリージャーナリスト・三浦優子)