2008年の夏、クリエイティブ・コモンズ(CC)の国際会議「iSummit」が札幌で開催された。CCとは、著作権や知的所有権の一部を開放し、派生的な創作活動を促進しようとする考え方、そしてそれを推進する団体の名称でもある。 古河さんとはたまたまその「iSummit」の会場でお会いしたのだが、初対面は、彼が富士通でパソコン事業を担当していた1991年のことである。その時の印象は「フラットな話し方をする人だな」というものだった。今回のインタビューでは、話題はCCからパソコン草創期の話、ビル・ゲイツ、そして米大統領選にまで及んだ。【取材:2008年9月5日、ニフティ本社にて】
「変わるということは、既得権を手放し、自己否定を伴うため、つらいことには違いない。
しかし、そうしなければどこの世界でも生き残れない」と古河さんは断言する
しかし、そうしなければどこの世界でも生き残れない」と古河さんは断言する
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
<1000分の第29回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
クリエイティブ・コモンズへの想い
奥田 かつてニフティで常務を務められた土肥健一さん(現・ネットライフパートナー会長)から、CCについての第一人者は古河さんだと聞き、ぜひお話をうかがいたいと思っていたんです。古河 私が、ローレンス・レッシグ先生(スタンフォード大学ロースクール教授。CCの発起人)の講演を聞いてCCに賛同したのは、もう2年以上前のことです。一般に法律家は「まず法律ありき」で論理展開するものですが、レッシグ先生は法律学者にもかかわらず、現在の著作権法は古くて使いものにならないと、全部打破するところから始めるんですね。いかにもアメリカ的だと思いましたが、同時に感銘を受けました。
インターネットを通じたデジタル情報の世界では、既存の著作権についての考え方を改めなければ、人々のクリエイティビティはうまく発揮されないと思います。レッシグ先生は、いまの著作権法が19世紀から20世紀にかけて、本(書籍)を対象にしたものであることを指摘しています。そして、21世紀は本の時代ではなく、音楽や映像などのデジタル情報をみんなが共有しながら、新しい作品を創造できる時代であるべきだろうと。
ニフティでもショートムービーを公募していますが、クリエーターはせっかくいい映像ができても音楽はどうしようかという問題にぶつかります。たまたまCCに賛同している音楽家の作品でないと、その曲は使えません。つまり、著作権が創作の足をひっぱる形になってしまうため、なかなか広がりを見せないのです。
ただ、札幌の「iSummit」でも思いましたが、多くの皆さんがCCの考え方に賛同しているのに、どうもうまくいく感じがしない。それは法律家が従来と同じような発想で、権利関係だけについて提案しているからではないかと思います。つまり、法律家にビジネスモデルはつくれないということですね。そこがひとつの噛み合わない原因なのでしょう。本当は、ネットやデジタルでこんなすばらしい作品ができるのだから、法律をこのように変えていこうという形が望ましいと思うのですが、残念ながら著作権法がきびしすぎてそれができない状況にありますね。