「豊かさ」「ゆとり」「やさしさ」を排し、「うれしい」を求める――第30回
富士通 顧問、トヨタIT開発センター 代表取締役会長 鳴戸道郎
コンピュータ産業史上、最も大きな国際間紛争といわれたIBM・富士通紛争で、富士通の事業管理部長として交渉の矢面に立った鳴戸道郎さん。2007年11月、この事件の経緯を、小説『雲を掴め―富士通・IBM秘密交渉』(日本経済新聞出版社)として世に問うた作家・伊集院丈は、実は彼のペンネームである。そのほか、英ICL社の買収・経営に携わるなど、国際派ビジネスマンとして世界を股にかけて活躍した鳴戸さんは、「人生に悔恨の情はない」と言い切った。【取材:2008年10月17日、富士通本社にて】
「たとえ相手がどんなに偉い人でも、私は人の言うことを聞きません。
そういう意味では、自分は企業にいながらもサラリーマンではなかったと思います」
と笑いながら話す鳴戸さん
そういう意味では、自分は企業にいながらもサラリーマンではなかったと思います」
と笑いながら話す鳴戸さん
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
<1000分の第30回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
奥田 鳴戸さんはいろいろな役職に就かれていますが、最近は、どのような領域に興味を持っていらっしゃるのでしょうか。
鳴戸 先年、大病をして生死の境をさまよってから「7割操業」を守っています。ですから仕事もだいぶ絞って、いまはトヨタIT開発センターのほかは、財務省関連の知的財産情報センターとNPO法人の産業技術活用センターくらいにしています。NPOの仕事は、死蔵している技術を中小企業やベンチャー企業が利用できるようにするものですが、なかなか難しいものですね。関心を持っていることといえば、日本そして日本経済がこれからどうなっていくのかということと、これは仕事にも関連しますが、IT業界がどうなっていくのかということですね。
米の金融崩壊では、底が見えないことが問題
奥田 ぜひ、日本経済の今後についてうかがいたいですね。鳴戸 ご存じのように9月15日にリーマン・ブラザーズが破綻しましたが、その影響は甚大で、やはりこれはアメリカの財務省とFRB(連邦準備委員会)の失態といえます。問題は金融の世界から実需の世界に及んでおり、グローバルで需要は3割ほど落ち込むのではないかと私は見ています。需要が3割減るということは、10社が競合しているとそのうち3社が潰れるということです。事実、アメリカでは個人消費が冷え込み、放送のデジタル化を控えて好調なはずのテレビが全然売れていません。自動車も同様です。おそらく、完全回復までに5年はかかるでしょう。ただ、底がどこなのかが見えない。それが問題です。
奥田 なぜ、底が見えないのでしょうか。
鳴戸 1989年にベルリンの壁が崩壊し、アメリカ一強主義の時代になりましたが、同時に金融資本主義も進みました。そして、2001年のセプテンバー・イレブン以降のアフガン侵攻・イラク戦争によってアメリカは疲弊し、世界に対する政治的影響力も低下してきたわけです。そこに、今回の金融バブルの崩壊です。アメリカは、他国の支援なしでは立ち行かないほど経済的にも落ち目であることが明確になりました。
一番の問題は、金融商品(デリバティブ商品)が膨大な金額まで積み上がってしまったことです。一説には2京2000兆円といわれていますが、この金額は世界のGDPの5倍にあたります。ここに大きな穴が空いてしまうのですから、まさに金融資本主義の末期的症状といえるでしょう。
デリバティブの特性として、証券化、レバレッジ、ファンドの三つが挙げられますが、証券化はサブプライムローンのように、中身に何が入っているかわからない金融商品に投資する仕組みですから、債権者と債務者という関係が明確に見えない。つまり、最近頻発している“毒入り”加工食品の問題同様、トレーサブル(追跡可能)でないため不安感だけが増幅し、誰も大丈夫だと言えないわけです。ここが底が見えないといった所以です。それが80年前の大恐慌とは異なる点でしょう。
レバレッジは「てこ」の原理ですから投機性を高める効果がありますし、ファンドも裏に秘密部屋があるようで透明性に欠ける。こういうものが、限られた世界だけでなく表舞台に登場してしまったわけで、もう「投資」と「投機」の区別がつかなくなってしまった状態といえるでしょう。