音楽に、プラハに魅せられて――第43回

千人回峰(対談連載)

2010/03/29 00:00

中島良史

作曲家・指揮者 中島良史

 今回登場いただくのは、クラシック音楽の作曲家であり指揮者である中島良史先生。先生が愛してやまないチェコのプラハのことや、普通ではあまり知りえない音楽にまつわる興味深いお話を聞くことができた。  また、「クラウド出版社システム」や出版物の「Web直受注システム」などを手がける(株)システムYAMATOが、中島先生の指揮で4月2日に「設立30周年記念 NOA Concert」を新宿文化センター大ホールで開催するという。ヨハン・シュトラウスにショパン、シベリウスと非常に楽しみなプログラムだ。一企業が周年行事でクラシックのコンサートを開催するのは壮挙である。その件についてもお話も伺った。【取材:2010年2月24日、システムYAMATOのオフィスにて】

「日本人はドヴォルジャークが好きですね。『新世界』の演奏回数は世界一多いと思いますよ」と語る指揮者・中島良史氏
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第43回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

プラハに魅せられて

 奥田 中島先生は毎年、チェコのプラハで開催されている「国際音楽祭ヤング・プラハ」の日本の実行委員会の代表を務めておられますが、そのあたりからお話を聞かせていただけますか。

 中島 「ヤング・プラハ」は、1992年に世界の若手音楽家の育成と若者の国際交流をテーマに、日本とチェコの共同文化活動としてスタートしました。今年で19回目になります。チェコでは屈指のユニークな音楽祭として高い評価を受けていますし、日本では文化庁やメセナ協議会の支援も受け、また両国の企業の暖かい協賛などもあり、1回も途切れることなく続いています。

 奥田 チェコにご縁があったわけですか。

 中島 最初のチェコ行きは挫折に終わってしまったんですけれどもね。

 奥田 というと?

 中島 学生の頃、チェコに留学するチャンスがありました。ただ、当時は政治的にも難しい時代で、推薦してくれた方がチェコでは反体制派と見られていて、いろいろ審査もあって、結局、落っこちゃいました。

 奥田 それでも、チェコ、プラハへの熱い思いはずっと続くわけですね。

 中島 なんといっても音楽の都ですし、モーツアルトに縁の深い街でもありますしね。

 奥田 ドヴォルザークも。

 中島 そうです。日本人はドヴォルジャークが好きですね。『新世界』の演奏回数は世界一多いと思いますよ。

 奥田 プラハはどんな街なのでしょう。

 中島 ヨーロッパのヘソ、ヨーロッパ人の原点ですね。芸術の都ですし、プラハは街自体が世界遺産です。街中に尖塔が多数あり「百塔のプラハ」とも呼ばれています。ヨーロッパ中から観光客が訪れていますね。

 奥田 第二次世界大戦ではナチス・ドイツに侵略されたと思いますが、街の破壊などの状況はどんな具合でした?

 中島 プラハは大丈夫だったんです。ポーランドのワルシャワは徹底的にやられましたが…。ナチスに対してワルシャワ市民が一斉蜂起したんですね。有名なワルシャワ蜂起です。63日間の戦闘で鎮圧され、ほとんどの建物は破壊されました。プラハは辛抱して辛抱して、街は残ったわけです。辛抱の民族と言えますね。

 映画『アマデウス』も90%以上がプラハロケだったそうです。街自体が中世ですから、モーツアルトの時代もそのままの姿で撮影できたということです。

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