近江商人の「三方よし」は中国ビジネスにも通じる――第60回

千人回峰(対談連載)

2011/12/05 00:00

古川 章

古川 章

富士通マーケティング 代表取締役社長

構成・文/谷口一

 取引は、世間のためにもなるものでなければならないことを特筆した“三方よし”の原典は、江戸期の近江商人・中村治兵衛の書置きだ。根底にその教えを据えて、独自性のあるソリューションの創出とパートナー企業との相互繁栄を念頭に、中堅・中小企業を中心にビジネスを展開しておられる富士通マーケティングの古川章社長に、基本となる思考、また中国への展開などについてうかがった。【取材:2011年7月13日 富士通マーケティング本社にて】

「他国に入って荒らすだけ荒らして、自分たちの利益だけもって帰るというやり方は、長続きしないということを近江商人の人たちはよく理解していたんですね」と、古川社長は“三方よし”の精神について語る
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第60回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

「三方よし」でなければ、商売は長続きしない

 奥田 今日は“三方よし”のあたりからお話をおうかがいできればと思います。

 古川 「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の“三方よし”ですけど、自分がこの“三方よし”で「なるほどなぁ」と思ったのは、近江商人はあちこちに行商に歩くわけですけど、その時に、商品だけではなく情報をもっていくということでした。彼らは諸国を歩いているのですから、いろんな情報をもっている。だから、商品と一緒に情報を届けているんですね。これは、われわれが商売をする時の基本なんです。お客様はコンピュータだけが欲しいのではなくて、コンピュータにまつわるいろんな情報だとか、世の中がどんな動きをしているのかというようなことを知りたがっています。要するに、商品と一緒に情報を届けるのが大切ということです。

 奥田 情報という付加価値をつけるということですね。

 古川 おっしゃる通りです。そうすることによって、自分も行った先で新たな情報を得ることができる。情報媒体としての役割もちゃんと果たしているんですね。近江商人の人たちは、そうやって他国を回りながら、商品だけではなく、情報・文化を届けていたのです。そして、彼らは他国の人たちが、自分たちのそういった行動をちゃんと評価してくれているのかということを、非常に気にしていました。つまり、逆にいうと、他国に入って荒らすだけ荒らして、自分たちの利益だけもって帰るというやり方は、長続きしないということを近江商人の人たちはよく理解していたんですね。だから、他国の人たちが、「近江商人がやって来て本当によかった」と言ってくれてこそ、商いが長続きするということがわかっていたわけです。

 奥田 なるほど。

 古川 われわれも、最近、中国のビジネスに関わってきていますが、中国も同じだと思います。彼らからみると、日本は他国ですから、あの人たちが来てくれていろんなビジネスをやってくれているけど、それだけじゃなくて、自分の国のためにこういうことをやってくれているんだということにならないと、結局、長続きしないということです。

 奥田 確かにそうですね。

 古川 近江商人が行商しながら、あちこち歩いて、そこで土地の人々に評価されながらモノを売っていくっていう、その“三方よし”という言葉が、いまだに残っているということは、万人に理解されてきたということですよ。

 奥田 “三方よし”というのは、関西の経済界ではポピュラーですけど、関東ではあまり聞かないですね。古川社長は、いつごろこの言葉と出会われたのですか。

 古川 1998年に富士通の静岡支社に赴任することになりました。東京を離れての営業だったのですが、いうならば、他国だったわけです。この地で、自分たちはどうやってビジネスをやっていこうと考えているときに、たまたま“三方よし”を雑誌で読みました。その後、ビジネスで滋賀県庁を訪ねたら、“三方よし”にまつわるいろいろな書籍やパンフレットが置いてありました。それらを取り寄せたりして読んでいるうちに、ああこれは、自分たちが長くビジネスを続けていくための基本だと、その当時から強く感じました。
 

お客様との接点に立ちたい

 奥田 古川社長は、最初、生産計画部門に所属しておられたとうかがいましたが……。

 古川 そうです。入社して5年間は、汎用機の部品の調達や人員計画・購買計画などを、当時は毎日ソロバンで集計して、生産計画を立てる仕事をしていました。そこは生産現場に近く、ものづくりに携わる人たちとの関係は非常に密接でしたね。

 奥田 そこから、どうして営業のほうに結びついていくのでしょうか。

 古川 そうこうしているうちに、自分の心のなかで、工場でつくった製品を実際に使っていただいているお客様の声を聞いてみたいと思うようになったんです。自分は、富士通の製品を使ってくださるお客様との接点に立ちたいと、ある時期から、ものすごく意識し始めたのです。

 奥田 それで……。

 古川 上司に相談しました。入社して5年目ですよ。今思えば、上司はよくぞ聞き入れてくれたと思います。

 奥田 たしかに、富士通のような大きな会社では、へたをするとわがままな奴と思われるかもしれませんね。

 古川 ユーザーがどういうふうに感じて富士通の製品を使ってくれているのかとか、また、販売会社はどうやってこれを売っているのか、非常に興味がありました。工場には、前線にいる営業の担当者が常に出入りしていますから、いろいろな人とつき合うことができます。よく注文を取ってくる営業マンがいれば、半年も来ない営業マンもいます。売るっていうのはどんなことなのか、お客様とどんな話をしているんだろうかとか、いろいろ考えるわけです。

 奥田 想像は膨らむ一方だと。

 古川 われわれからみても、営業マンで非常に魅力的な人物は、やっぱりよく売ります。だから、わかるんですよ、売れる営業マンと売れない営業マンが。

 奥田 当たり外れはありませんか。

 古川 ほぼ当たります。工場のわれわれに対する接し方と、お客様への接し方は、人間って本質的には変えられないと思うんです。だから、よく売る人は初めて工場に来ても、われわれとの会話で、どんなことを聞いても誠意をもって答えてくれますし、お客様に対する思いも伝わってきます。

 奥田 なるほど、そういうことですか。

 古川 こういう営業マンが富士通のフロントに立っているわけだから、たぶんお客様は、この営業マンを通して富士通という会社を見てるんだな、と。工場にいても、薄々とそういうことを感じていました。

 奥田 そして、古川さんも販売の第一線に立たれたわけですが、売れる営業マンの条件を挙げるとしたら、どういうものになるのでしょう。

 古川 明るく明快に答えてくれること。自分たちの製品のすぐれているところを伝えてくれること。その製品がお客様のビジネスにどういう貢献ができるかということを、きちんと説明してくれること。レスポンスが速いこと。それは、営業だからどうだとか、SE(システムエンジニア)だからどうだということとはまったく別で、成功する人の共通の要素です。

 奥田 たしかにそうですね。

 古川 そのことは、SEであれ、CEであれ、営業であれ、お客様と接する分野で仕事をする人たちに共通して求められる資質だと思います。

 奥田 それはよくわかります。

 古川 結局は、その人が根幹にもっている「真摯な態度」、お客様や社内の人たちに対する「やさしさ」が、重要だということです。近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」の“三方よし”も、根本は相手のことを思う、社会のことを考える、そういうところにつながっているのだと思います。それはもちろん、どんなビジネスでもいえますし、日本だけではなく、中国でも同じことですね。

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