沖縄から台湾経由で中国進出を目指せ ――第63回
中島 洋
全国ソフトウェア協同組合連合会 会長
構成・文/谷口一
IT業界で長い期間をかけて蓄積した膨大な情報と知識を、独自の視点から加工・発展させ、発信し続けている中島洋さん。幅広い人脈はつとに知られている。今回は、話題を中国に絞って、ジャーナリストの目で日本のIT業界の未来を語ってもらった。【取材:2011年9月28日 港区高輪のJASPAにて】
「沖縄に、企業の海外進出の拠点をつくるんです。これからはアジアの時代ですから、確実に地の利があります」と中島さん
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
<1000分の第63回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
中島さんのルーツは琉球王朝
奥田 中島さんのルーツをたどると、たいへんなところへ行き着くそうですが、そのあたりのお話から聞かせていただけますか。中島 そうですね。私の場合、日本と中国の関係と、もう一つ沖縄という根っこがくっついているのです。最近、琉球王朝末期の王宮を舞台にした『テンペスト』という小説が舞台化されたり、テレビドラマ化されたりしました。日本がグローバル化の波に呑み込みまれる時代に、中国と日本をつなぐ地域として、最初にその波を受けたのが琉球だったという想定の話ですが、そういう方面でも、沖縄が非常に注目を集めています。
奥田 中島さんのルーツに非常に近い話ですね。
中島 ええ、私の母がたのルーツです。
奥田 琉球王朝の末裔ということですね。
中島 私の母の三代前、曾祖父が、王朝の王子で、ちょうど琉球から沖縄に変わるときに、日本とその交渉をした人物です。私からしたら四代前です。彼が日本に帰属することを強力に推し進めたのです。
奥田 その先祖の方は、教科書にも載っているとか。
中島 沖縄の教科書に載っています。あまりいいようには書いてありませんが。彼は、結果として当時の日本に裏切られたのです。いろいろと約束をしたのだけれど、口約束だったものですから、それらが守られずに、結局、調印を結んだ王子がつらい立場に立たされて、悲痛な思いをして……。
奥田 そういう過去は、やはり中島さんご自身にも影響があるものなのですか。
中島 私が琉球の王子の末裔だと公にしたのは5年前なのですが、それ以前は、非常に熱心に沖縄のために働いてくれる人物ということでたいへん感謝されていたのですが、王子の末裔とわかってからは、当時の罪をそそぐというわけではないですが、協力するのが当たり前だというふうになってしまいました。
奥田 そうなのですか。中島さんが沖縄に情熱を燃やさざるを得ない状況がわかってきました。これは冗談ですが……(笑)。しかし、沖縄が古くから中国と深いつながりをもっていて、今は、地の利を含めて非常に重要なポジションにあることは間違いないですね。ルーツの話題はこれくらいにして、日本のIT産業の現状と今後についてご意見をうかがいたいと思います。
中国進出は韓国に10年遅れている
奥田 日本のIT産業は、今後どの方向に進んでいけばいいのか、中島さんの長い経験とお立場から、巨大市場である中国の話題などを含めて提言していただけますか。中島 ここ3年ほど、中国は際立った発展をみせていますが、それまで日本人の認識する世界経済の地図に中国は載っていませんでした。それに、日本人にとって、中国はまだまだ“小さな国”。GNPで日本を抜いて世界第2位になったといっても、いろいろな理屈を並べて、中国が大きくなったことをなかなか認めたがらないという日本人の通念も根強いですね。
奥田 そうですね。そうした通念は確かにあります。
中島 しかし、日本と中国の関係は3年くらい前から明らかに大きく変わりつつあります。それまでは、中国の人的資源、労働力を安く使うという大変傲慢といいますか、そんな態度でやってきた。その通念が、必ずしも今日、変わっているわけではないんですが、事態はもうはっきりと変わっています。
奥田 そのズレは大きいですね。事態は大きく変わっているのに、通念は昔のままというズレは。
中島 しかも、ちょっと別の視点から話せば、日本がへっぴり腰で中国への投資を迷っている間に、例えば隣国のサムスン電子は、中国に巨額の投資をしているんですね。韓国は中国を、日本のように労働力としてではなく、最初からマーケットとしてみて、そこに製品を供給して、一般の中国の人々にブランドを刻みつけるということを、非常に早くからやってきたわけです。日本は中国を市場として、商品を販売する場所として捉えるのが確実に遅れました。
奥田 韓国と比べて、何年くらい遅れたのでしょうか。
中島 それを断定するのは難しいですね。ざっとみて10年くらいは遅れたんじゃないでしょうか。しかも、中国の人々の“心”をつかんでいない。