市場環境は変わっても、ものづくりの考え方は変わらない――第68回

千人回峰(対談連載)

2012/07/04 00:00

高橋 啓介

高橋 啓介

インターコム 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/小林茂樹

 今年の6月で創業30周年の節目を迎えたインターコム。創業経営者として、高橋社長と私はほぼ「同期の桜」だが、残念ながら、当時創業したソフトメーカーの多くはすでにマーケットから姿を消した。そんななか、元気を保ち続けてきた同社の過去から現在にスポットを当てるとともに、今後の展開、そして、高橋さん自身の本音に迫った。改めて感じたのは、やはり、高橋さんは経営者でありながら、「ものづくりの人」であり続けているということだった。【取材:2012年4月4日 東京・台東区のインターコム本社にて】

「私は素晴らしい人たちに恵まれて非常にラッキーだったし、この30年は楽しかった」と振り返る高橋さん
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第68回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。


※高橋さんは、このシリーズに2回目の登場となる。前回の記事はこちらをご覧いただきたい。
<前回のインタビュー記事>「ロマン」と「ソロバン」の両立を目指す――高橋 啓介さん(インターコム社長)

 

レガシーと最新のタブレットの融合で“珍しい”製品を生み出した


 奥田 最近は、どんな製品をリリースしておられますか。

 高橋 先日、「FALCON 5250 for iPad」というiPad対応の端末エミュレータを英語バージョンで出しました。IBMのAS/400というオフコンがありますが、それを遠隔操作するソフトです。

 日本語版を先行してリリースしていましたが、海外からのダウンロードが1か月で1000件近くもありました。そこで急遽、英語バージョンをつくってみたというわけです。

 奥田 ほかでは、あまり見かけない製品ですね。

 高橋 日本で初めてです。でも、かなり前から構想は練っていました。用途としては、例えば生保レディーが訪問先でホストコンピュータから有用な資料を取り出して顧客への提案に使うとか、物流倉庫の中でBluetooth対応のハンディターミナルと連携し、棚卸しや検品を行うといったことを想定しています。

 すごく古いレガシーと、一番新しいiPadを組み合わせたわけです。ユーザーの皆さんも「これ、珍しいね」とおっしゃいます。

 奥田 Android版も出すのですか。

 高橋 いや、それはまだです。まずiOSで試してみてからAndroid対応を考えます。当社はこれまでさまざまな大型コンピュータ用のエミュレータをつくっています。今回、iPadという新しい製品と組み合わせることで、新たな需要を掘り起こしたいと考えています。
 

創業の頃はお金がなくて、女性社員に毎日、昼食をおごってもらっていました


 奥田 ところで、今年は創立30周年ですね。おめでとうございます。

 高橋 ありがとうございます。6月8日で満30年になります。

 奥田 創業時には、どんな志をもって方向性を決められたのでしょうか。

 高橋 前にいた会社(オートメーション・システム・リサーチ)は、どちらかというとハード指向の会社でした。もともと私はソフト指向だったのですが、ハードの値段が劇的に下がったのを目の当たりにして、やはりハードは厳しいという思いを抱いたことを鮮烈に覚えています。

 以前にもお話ししましたが(2007年10月9日掲載の本シリーズ)、1980年代の初頭にビジネスショウで見た沖電気パソコンのif 800の値段は、同じ機能のミニコンの約10分の1になっていて、非常に驚きました。そうした価格変動の落差を目の当たりにして、これからの時代はミニコンではなくパソコンだと思ったわけです。

 奥田 スタートアップした頃のお話を、もう少し聞かせてください。

 高橋 最近のことですが、この30年間、事業を続けることができた要因について考えてみました。ひと言でいえば、自分は非常についていたということです。徒手空拳で起業して、1年目は国民金融公庫から300万円借りましたが、それが最初で最後の借金となりました。2年目にいきなり1億6000万円、3年目には3億円まで売り上げが上がったんです。これは本当にラッキーでした。通信というカテゴリーの商品をつくってきたということが、収益上の大きなメリットをもたらしました。通信ソフトはスタンダードなものですから、なかなか陳腐化しないんです。

 奥田 何年ぐらい売り続けたのですか。

 高橋 今でも売っていますよ。変わったのはOSだけで、基本的に中身は変わってないですね。

 奥田 ついていたのではなく、先見の明があったのでしょう。

 高橋 いや、先見の明じゃなくて、本当についていたんですよ。自分の知っていたカテゴリーが、たまたま通信だったということですね。

 奥田 でも、ちょっと謙虚すぎないですか(笑)。

 高橋 いやいや。それともう一つラッキーだったのは、いい仲間に恵まれたことです。自分一人で創業したのですが、ほどなくして、前の会社の仲間が一緒に働きたいと私のところに来たんです。給料は払えないと言ったら、無給で構わないって。ここでメンバーが2人増えて、全員が1年間給料なし。その後、同じパターンで女性社員が2人入ったのですが、みんなお金がないので、毎日お昼には、牛丼かハンバーガーを彼女たちがおごってくれるわけですよ。なぜか彼女たちはお金をもっていた(笑)。ありがたくご馳走になりながら開発に打ち込んでいました。今思えば、よくやってこれたと思いますね。

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