IT業界の規模が今の3倍になってもおかしくない――第77回
東京大学 大学院 情報理工学系研究科 教授 江崎浩
構成・文/小林茂樹
撮影/大星直輝
古くからIT業界の仲間として親しくさせていただいているインターコムの高橋啓介社長に「最近、何かおもしろいトレンドはないですか」とたずねたら、「東大の江崎先生に会いましたか」と逆に質問された。江崎先生が進めておられるプロジェクトは、IT業界にとって新しいマーケットの創出につながるというのだ。シェアの奪い合いで各社が疲弊している状況を打開するひと筋の光明が見えた気がして、さっそく本郷キャンパスの工学部2号館へと足を運んだ。【取材:2012年9月13日 東京・文京区の東京大学工学部 江崎研究室にて】
江崎先生の試算では、「IT業界の規模はGDPの8%ほどで、発電に関係する業界は25%ぐらいです。仮に電力業界の1割をIT業界が取ればプラス2.5%となり、30%近い成長になります」となる。
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
<1000分の第77回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
単純な省エネだけではおもしろくない
奥田 先生は、東大グリーンICTプロジェクトの代表などを務めておられますが、現在に至るまでの経緯を聞かせていただけますか。江崎 九州大学の大学院から東芝に入り、3年目にベルコア(前身はAT&Tベル研究所)に派遣されて、高速ネットワークの共同研究を行いました。そこで、後に副大統領となるアル・ゴアがつくった情報スーパーハイウェイ構想のもととなった研究に関わったんです。90年から91年にかけてのことですから、まさにアメリカのIT勃興期で、それ以来、インターネットの成長過程につき合ってきたという感があります。
98年に東京大学に移ってからは、村井純さん(慶應義塾大学環境情報学部長/WIDEプロジェクトFounder)と一緒にIPv6の標準化に本格的に取り組むようになりました。そして、2000年から02年あたりはビルの改装やオフィス街の再開発が始まった時期で、ビルのスマート化は大きなマーケットになるのではないかという話になり、そのプロジェクトを03年にスタートさせています。
奥田 ビルのスマート化というのは、具体的にはどうイメージしたらいいのですか。
江崎 簡単にいえば、インターネットの技術を使ってビルの省エネ・高機能化を図るということです。例えば、08年に開かれた北京オリンピックでは、当時の松下電工がメインスタジアムと水泳会場の照明をすべてインターネットベースでコントロールしました。
ビル1棟の維持費のおよそ3分の1は電気代です。このビル(東大工学部2号館)は、年間1億円ほどの電気代がかかっていました。そこで、私の講演をたまたま聞く機会があった工学部長が「なんとか電気代を減らせないか」ということでスマート化することになったのですが、単純に節電してもおもしろくない。ならば、ここをテストベッドにして、次のステップにつながる産学連携のコンソーシアムを組んでやってみようとスタートしたのが08年です。
当初、このコンソーシアムに参加したのはおよそ25社。電機、建築、設備などの企業の共同研究で、新技術を生み出したわけです。
奥田 東日本大震災が起きて、改めて電力供給に注目が集まりましたが、3・11以前に比べてどのくらい節減できたのですか。
江崎 このビルですと、ピークで44%の削減を実現しました。今年は20%オフと決め、これは完璧に守られています。コンピュータのクラウド化がものすごく効きますね。うちの研究室に限っていえば70%ほど落ちました。
コアコンピタンス以外はオープン化すべき
奥田 大変な効率化を実現されたわけですが、苦労されたのはどんな点でしたか。江崎 先に紹介したコンソーシアムには、ゼネコン、サブコン、機器ベンダーなどが集まるわけですが、苦労したのはそれぞれがオープン化に非常に慎重だったことです。つまり、コンピュータ業界でも、メインフレームの時代には、例えばIBMとDECの互換性はまったくなくて、一度導入したら他社のマシンに移行することができなかった。これと同じように、ビルディング業界でも、例えば最初にパナソニックの照明システムが入ると、更新時もパナソニックしか選択できないようになっているのです。空調設備も基本的には同じです。
つまりオープン化すると既得権が失われてしまうので、大手メーカーほど後ろ向きになるのですが、世界一の空調機器メーカーであるダイキンは、「当社のコアコンピタンスはコンプレッサだから、それ以外は全部オープンにしていい」といってくれました。システム全体を囲い込む必要はなく、強みだけをブラックボックスにして、あとはオープン化したほうがマーケットは広がるということが、少しずつ理解されてきたんですね。
このようなスマート化のプロジェクトでは、これまで経験したことのないかたちで空調、照明、電力システムなどをすべて統合して動かすので、それらをきちんと横串にして稼働するシステムをつくる経験や能力が必要になります。つまり、このコンソーシアムに参加しているインターコムのようなソフトウェアメーカーの存在が重要になってくるのです。これは、より規模の大きいスマートタウンやスマートシティの構想でも同様です。