使う側の気持ちがわかってこそ、本物の「ギア」をつくることができる――第96回
カシオ計算機 時計事業部 モジュール開発部 モジュール企画室 牛山和人
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
『週刊BCN』2013年4月29日/5月6日号の「ものづくりの環」に、日本人として初めて8000メートル峰14座の登頂に成功したプロ登山家の竹内洋岳さんに登場していただいた。自身の肉体を含め、高所登山に挑むためのさまざまな“ギア”について語ってもらうなかで、カシオの技術者とともにフルアナログの山岳用時計を開発したという話を聞いた。興味津々でその技術者を訪ねて話をうかがうと、そこには意外な縁と人の結びつきがあった。【取材:2013年10月15日 東京・羽村市のカシオ計算機羽村技術センターにて】
「山のことを知らなければ、登山家の要望に応えられるものは
つくれないと思いました」と牛山さんは語る
つくれないと思いました」と牛山さんは語る
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
<1000分の第96回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
時計づくりのために、本格的な山の世界へ
奥田 実は私も山登りが趣味で、もう20年もカシオのこの時計(『プロトレック』の前身モデル)を使っています。牛山 ありがとうございます。高度計と方位計がついている時計は登山家の間で好評だったので、1995年に『プロトレック』ブランドを立ち上げました。ちょうど私が入社した年ですが、社内にアウトドアの経験者があまりいなかったことに加えて、入社時にアウトドア時計をやりたいと希望を出したこともあって、以来、ずっとこの仕事に携わっています。
その後、「無名山塾」を主宰する岩崎元郎さんを『プロトレック』のアンバサダーに迎えてアドバイスをいただいたのですが、当時の私には本格的な山の経験がなかったので、山の用具や使い方について理解できないことばかり。自分が本当に山のことを知らなければ、登山家の要望に応えられるものはつくれないとつくづく思って、2005年に「無名山塾」の本科に入ったのです。
奥田 それはビックリ! 偶然ですね。私は1994年に「無名山塾」に入りまして、そのとき最初に岩崎さんに勧められて、この時計を買いました。それで竹内洋岳さんとの縁はどんなところから?
牛山 「無名山塾」に入った後、冬山シーズンを前にして、アイゼンやピッケル、ハーネスなどを新宿の石井スポーツに買いに行ったのですが、そのときお店にいて、非常に丁寧に説明してくれたのが竹内さんだったのです。
奥田 それも偶然ですか。
牛山 そうです。社内の営業部門に知り合いがいて、竹内さんに『プロトレック』を使ってもらっているということは知っていましたが、私は面識もなく、開発者として彼を意識していませんでした。まさに偶然の出会いですね。
奥田 その竹内さんも含めて、どのように開発を進めていったのですか。
牛山 先ほど、岩崎さんのアドバイスが理解できなかったと言いましたが、山を知ることによって少しずつ会話が噛み合ってきたわけです。つくる側と使う側の両方の気持ちがわかるようになってきてからは、ものづくりが非常にスムーズになってきました。
ところが、竹内さんに『プロトレック』をヒマラヤで使った感想を聞くと「これを腕にして山登りはできません。あまりに大きくて厚いので、腕につけると邪魔になって、ひもで首から提げて使いました」と言われてしまったんです。腕時計は他社のアナログ時計で、高度計としてしか『プロトレック』を使ってもらえなかった。私たちエンジニアにとっては非常にショックで、そこから奮起して、山で使う人のニーズをより深く理解しようとしました。
奥田 相当に厳しい要求をされたと聞いています。
牛山 その通りです。でも、この人だったらとことん改善提案をしてくれるだろうと思って、私から当社の営業に竹内さんと契約を結んでいただきたいと申し入れました。正式に契約したのは2006年ですが、それ以降の『プロトレック』のブランドや信頼感の高まりは、竹内さんなしには語れません。それくらい多くの意見をいただき、私たちエンジニアもそれに応えていると思います。
奥田 そして、“デジタルのカシオ”に、フルアナログの『プロトレック』を提案したのも竹内さんだと聞いています。
牛山 そうですね。竹内さんのアドバイスもあって、時刻、方位、気圧/高度、温度の計測値を4本の針だけを使って表現する『PRX-7000T』を開発し、竹内さんが最後の14座、ダウラギリに登頂したときに、そのプロトタイプを使ってもらいました。
これを出発前の竹内さんに渡したとき、全部の針が白いと時間や高度を読み間違えることがあると指摘されました。「牛山さん、4本の針を別々の色にしてみたらどうですか」とおっしゃるわけです。そこで、針の色だけ塗り替えてダウラギリ用につくって、私がネパールまで届けに行ったんです。ダウラギリのベースキャンプまでね。急に要請されたものですから(笑)。本当に竹内さんらしいこだわりが現れた部分です。
奥田 たしかに竹内さんは、ギアに関してはかなりこだわりがありますね。
牛山 実はこの色についても裏付けがありまして、竹内さんがダウラギリ登山の直前に、札幌の安全登山シンポジウムで講演された際に、同行した私も一緒に北海道警察の航空隊のヘリコプターを見せていただいたのですが、コックピットの計器の随所に、グリーン・イエロー・レッドというカラーリングが使われていました。この三色は視認性がよく順番も覚えやすいということで、時針、分針、秒針の順序で読むのであれば、グリーン・イエロー・レッドにしましょうと提案してくれました。このモデルは300本だけ数量限定でつくったのですが、あっという間に完売して、私も買うことができませんでした。