ものをつくる人のことを考えれば商品はもっと丁寧に売ってほしい――第97回
藤原 睦朗
メディアエッジ 代表取締役社長
構成・文/谷口一
撮影/津島隆雄
家電、IT業界で藤原さんの“お知恵”にお世話になった人は数え切れないほど多い。伝説の経営者と称される上新電機の浄弘博光社長の志に共鳴して入社して以来、先を読み、決断し、先手を打って、浄弘社長の「日本一になる」という志を具現化された。チャレンジは今も続く。そのパワーの源泉はどこにあるのか。人との出会いを心底大切にされる方だから、藤原さんは、「みなさんのおかげです」と言われるに違いない。ちなみに若き孫正義氏の器をいち早く見抜いたのも藤原さんである。その藤原さんが、このたび本を上梓された。その話題を中心に、家電業界の歴史に迫る。【取材:2013年10月16日 千代田区のBCN本社にて】
あたりまえのことでもあったのです」と藤原さんは語る
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
今どきの若者も捨てたものじゃない
奥田 伊勢神宮にお参りされたそうですね。藤原 ええ、このあいだ行ってきました。こんなに人が集まるかぐらいすごい人でした。
奥田 いつ頃行かれました?
藤原 10月上旬でした。午前10時過ぎだったと思います。外宮をお参りして、内宮へ。内宮は最後のところで石段を上って行くでしょ。そしたら、だんだん狭くなってくる。動きが取れなくなるんです。最初、たくさんの人が並んでいて、約1時間かかりますと言われました。でも1時間はかからんやろと思たんですが、奥へ行けば行くほど動かない。あれね、お参りするところがあるでしょ、そこのところが間口が狭いじゃないですか。たくさんの人が、狭いところに入っていくから、ぜんぜん前に進まないんですわ。しかも、先頭の人は急がないでしょ。あれはね、警備員かだれかが出て、要領よくさばいて、急がせたほうがいいですよ。
奥田 やっぱり関西人的発想ですね。藤原さんが立ち上げられた「J&P」ならそうしますか。
藤原 ハハハ、まあ、考えますね。でもね、初めに外宮へ行って、最初の大きな鳥居があるじゃないですか。
奥田 一の鳥居ですね。
藤原 ええ、それを初めとして外宮も内宮も、鳥居がいっぱいありますね。そこで私、感動したできごとがあるんですよ。何かというと、都会ではね、礼儀知らずの若い者がぎょうさん(たくさん)おるじゃないですか。ところが、伊勢神宮に来ている若い人は、みんな鳥居で一礼して入っていくでしょ。出るときも、振り返って一礼しますね。あれ見て感動しました。
奥田 たしかに、そうですね。あたりまえのように礼をしますね。
藤原 いやあ、日本人はいいなと思いました。中国の人も参っておられましたけどね。なんとなくつられてなのか、一緒に頭を下げていました。
奥田 中国の人も今は増えていますね。今年は、20年に一度の遷宮の年ですし。
藤原 私、今回が初めてじゃないんですけど、前に行ったときとちょっと趣が違いましたね。隣に丸20年がたった社があるじゃないですか。あれはほんと、20年ごとに建て替えないと、もたないなと思うぐらい。とくに屋根がね、なんかこう草が生えて。ああいうのを見ると、たしかに20年ごとに建て替えていくというのも、ノウハウだと思いますね。と、同時に普通の建物やったら20年ではああならないじゃないですか。だから、自然のままなんですね。コーティングしてるわけでもないし、木も触ったらつるつるしてるじゃないですか。その上に防腐剤をぬるとか、ペンキ塗るとか……
奥田 漆を塗るとか……
藤原 朱い塗料を塗るとか、そういうことをやらないですね。自然のままが一番いいですね。
奥田 あれが20年に一度、1300年間で62回、続いているんですね。だから、そっくりそのものが、1300年前からある。ものづくりの技術を伝承する最高のものが1300年、生きたまま、今あります。それは、やっぱり日本の誇りだと思うんです。
藤原 そうですね。これだけ続いたというのは、世界に例がないですね。
奥田 持統天皇の治世の690年が第一回で、途中にはいろいろありまして、戦国時代の120年におよぶ中断や幾度かの延期など、この戦後も59回目の遷宮が4年ほど遅れていますね。
藤原 そういう長い歴史があって、なおかつ日本は今もGNPは世界の3位でしょ。ところが、昔、栄えたエジプトだとか、古い都はみんな継続できなくて、現在、発展途上国になっていますね。
奥田 博物館になっています。
藤原 そういう面では、日本は特殊なんでしょうね。
奥田 そうですね。1300年前に藤原不比等が、藤原さんのご先祖が(笑)、こういう仕組みをよく考えたと思います。その1300年後に、家電量販店のさまざまな仕組みを新しいアイデアで構築していかれたのが藤原さんですから、藤原系統は斬新な仕組みづくりの手腕に突出しているのでしょうか。そのへんは、今度、上梓された本『決心。~日本にエレクトロニクスの花を咲かせる~』に詳しいですね。そのあたりから、今日は聞かせてください。
日本一の電気屋へ! 創意工夫で高みを目指す
奥田 まずは、単行本の上梓、おめでとうございます。本を読み進めながら、量販店のものの売り方のあれこれが、上新電機、藤原さんのアイデアの数々から生まれたのだなと改めて教えられました。藤原 ありがとうございます。この本にも書きましたが、上新電機に入社した頃はテレビの普及期で、テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器といわれる時代でした。それらをいかに家庭向けに売っていくか。前例がありませんでしたから、自分たちで創意工夫するしかありませんでした。
奥田 業界の伝票を統一された話やシステム商品の型番化もそうですが、それまで常識と思われている商慣習をスパッと転換される決断と実行力には、感動しますね。また、新しいことも次から次へと打ち出してこられました。
藤原 浄弘社長はいらち(大阪弁で短気・せっかち)でしたから、尻を叩かれるようなこともありました。だけど、創意工夫するというのは、私にとってはあたりまえのことでもあったのです。子どもの頃は、中古部品を集めて、ラジオや無線機を工夫して完成させました。それらは頭を使う工夫ですが、からだを使う工夫もやりましたね。兄たちが石材屋をやっていて、中学生から高校生にかけて手伝わされていた頃は、まさにそうでした。重い石をどうすれば効率よく運べるのかといったように……。
奥田 そんな土壌が藤原さんの根っこをつくりあげたのですね。その上に浄弘社長との出会いがあった、と。
藤原 そうです。上新電機の入社試験の時に浄弘社長が言われたんです。「私は必ず日本一の電気屋になってみせる。君らのような若い人材を擁して、これからの家電ブームに乗りたい。力を貸してくれ」と。その志に心を打たれました。