経験は50%役に立ち 50%じゃまをする――第105回(下)
解良 喜久雄
ゴルフ場用品株式会社 常務取締役
構成・文/谷口一
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2014年02月24日号 vol.1519掲載
解良さんと私は名前が同じ「きくお」。だからというのではないが、共鳴するところが多い。半世紀にわたってクルマひと筋に関わってこられたわけだから、そこに一本の筋の通った思想がみえる。ものづくりを心底愛しておられる解良さんには、深い井戸のように、汲んでも汲んでも汲みきれないものづくりに対する思いがある。その思想を汲み上げて、後世に長く伝えていきたいと思った。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2013.12.13 東京都千代田区のBCN本社にて】
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
途切れることのない好奇心とものづくりへの情熱
奥田 解良さんは、レーサーじゃないですよね。解良 ええ、違います。僕がレースで乗っていたのは、料理人が味見をするのと同じ感覚です。いいものをつくるためには、自分が乗ってみないとほんとうのところがわからない。だからレースに参加していたのです。
奥田 いいクルマの要素って、何なのですか。
解良 単純明快です。速く走って勝つということです。
奥田 では、勝つための要素とは何でしょうか。
解良 それはいっぱいあります。ドライバーなのか、シャーシなのか、タイヤなのか、エンジンなのか、組織なのか、運営なのか。そこにまた、なぜなぜなぜの問と解があります。今は、100分の1秒の差で天国と地獄ですから。僕らの頃はそこまでシビアではなかったですけどね。10分の1秒程度でした。昔はストップウオッチの手押し、今はセンサ付きの自動で、精度が違います。
奥田 では、シビアに緻密に考える人が勝つわけですか。
解良 いや、それだけでは勝てません。大胆でなければいけないし、大胆のなかにも緻密さは必要だし、緻密さだけでは前に進めない。一瞬の決断、そこに運もなければいけないし、レースにはさまざまなことが凝縮されているんです。それらを経験できたのは、その後の僕の人生にとって大きなプラスになっていますね。
奥田 人生っていうものはぶつ切れじゃなくて、そばやうどんみたいに長く続いていくものですね。
解良 僕の場合はクルマが好きでしたから、それがぐちゃぐちゃとつながっています。
奥田 そうすると、若い連中にアドバイスするときは、自分の思うように好きな道を選択しろということですか。
解良 そうです。親父もよく言っていましたけど、飯食えて寝るところがあって健康だったら、それ以外に何を望むんだ、と。自分の好きな道を進んでいけば、絶対に次から次へと道は拓けていくというわけです。レースを選んだ際も、親父は心配はしただろうけれど、反対はしなかった。やめろとは言いませんでした。
奥田 いくつか選択肢があるときでも悩まないのですか。
解良 そんなことはありません。悩みますよ。中学生の頃の先生に、「誰であろうと、人生には三つの節目がある」と教えてもらったことを覚えています。
奥田 一つ目の節目が……。
解良 自動車のディーラーからレースの会社に移ったときです。次がレースをやめたときで、そしてトミーカイラの前身の会社でチューニングの世界に入ったときも節目でしたね。好きなことは全部やっちゃって、F1までつくって……。そして還暦。あとはおまけみたいなものです。
奥田 いやいや、今もゴルフ場管理機械の顧客対応(チューニング)をやっておられて、阪神甲子園球場の整備機械を考案し、特許まで取得しておられる。途切れることのない、好奇心と情熱のなせる業ですね。
ものづくりのおもしろさを継承していきたい
奥田 ものづくりを半世紀にわたって経験されたわけですが、そこからみえてきたことなどを聞かせてください。解良 僕の勝手な思い込みですけど、経験っていうのは、50%役に立つけど、50%じゃまをするということですね。
奥田 けだし名言!
解良 また、20歳で経験したことは30歳で役立つ、30歳で経験したことは40歳で役立つ。まあ、結果論ですけど、そう思っています。それに、一人では何もできない。絶対にフォローがなかったら何もできない。だから、できた時は周りの人に感謝しないといけない。
奥田 ほんとうにそうですね。
解良 こうも思っています。つくり手というのは、実は使い手なんだと……。
奥田 そうなんですよ。まさにそうだと思います。
解良 つくり手というのは、つくり手の目線でものをみているわけで、だから、おかしなものができてくるんですよ。食べてまずいものを人に勧められますか? つくったクルマが危なかったら、人に売れますか? だから、自分でつくって、まず自分自身が乗っているんです。人に危険な思いをさせたくないということもあります。
奥田 味見と毒見ですね。
解良 それから、ものづくりはおもしろいということを、大人は子どもに伝えていないと思いますね。だから次に継承されていない。年をとったら責任があると思います。次の人に伝えるという責任です。だから、かっこよくないといけない。イヤなものなら誰も引き継がないですから。
奥田 そこができていないですね。
解良 聞いた話ですけど、自転車ロードレースの最高峰、「ツール・ド・フランス」では、いろんな村を通るじゃないですか。そのときに、もし、その村の出身者が選手のなかにいたら、その村を通過する間、全員がその選手を先頭に立たせるそうなんです。かっこいいでしょう。
奥田 ほう。村のヒーローですね。
解良 村中がワァーとなるわけです。村を出るとさっと抜かれるんですけど。勝負ですから。しかし、子どもたちは見ている。大きくなったら自転車に乗るんだという子どもがいっぱい出てくるでしょう。その話のなかには、生きるというのはどういうことなのかとか、生きることの素晴らしさとかが詰まっていると思うんです。
奥田 そうやって継承していくんでしょうね。
解良 ものづくりの満足感は積み重ねの結果じゃないですか。いい時もあれば、悪い時もある。途中でやめるな、とことんいけということです。正直言うと、自分がやってきたことを伝えるのじゃなく、だれかに吸収してほしいと、今、思っています。吸収しようという人じゃないと、僕がいくら言っても、ただうるさいオッサンが小言を言ってるなで終わるんです。
奥田 同感です。伝えることはとても難しい。教えて伝わることと、本人がその気にならなければ伝わらないことがあります。今日は「ものづくりの環」で、私が知りたいことをずいぶん多くうかがうことができました。ありがとうございました。(おわり)
「トミーカイラZZ」のZZはズィーズィーと読む。トミーカイラの創業者である冨田義一氏と解良喜久雄氏の「いつかは自分たちの手だけでクルマをつくる」という夢が実現した時、二人はすでに爺・爺になっていたことが由来。その「トミーカイラZZ」が、京都大学発のベンチャー、グリーンロードモータースによってEV(電気自動車)で復活した。
こぼれ話
めったにお目にかからない名刺をいただくと、「ご出身はどちらですか」とたずねてしまう。新潟出身の解良さんは「“かいら”ではなく、本来は“けら”なんです」と。確かに漢字の変換では“けら”だ。「お名前は喜久雄ですよね、私は喜久男です。同じですね」。同名だからだけではなく、インタビューの時間の経過とともに気心が通じてくる。質問をする。すると、私が信条としている解が返ってくる。次に別の問いを投げる。と、また私と同じ解だ。どうしてこんなに同じ考えを語る人がいるのだろうか。今度は私が「子どもは大人の背中を見て育つ」というNPO法人ITジュニア育成交流協会の理念を語った。「そうなんだよ、子どもに伝えるんだよ」。不思議なくらい符合する。Profile
解良 喜久雄
(かいら きくお) 1946年、新潟県弥彦生まれ。65年、日通商事大洋日産自動車入社。元来のクルマ好きが嵩じてレースの世界にのめりこむ。FJ360(フォーミュラジュニア)の設計、製作、レース参戦を足がかりとして、FJ1300、GC、F2、F1と数々のレースカーを製作。日本のレース界に旋風を巻き起こす。その後、自身の名前をつけたチューニングブランド『トミーカイラ』を冨田義一氏と立ち上げ、『スカイライン』『インプレッサ』をベース車にした数々のチューニングカーを手がけてきた。しかし、それに飽きたらず、『トミーカイラZZ』『GARAIYA』とオリジナルカーの製作に発展。還暦を迎えて、過去の経験を生かし、現在はTORO社製のゴルフ場管理機械アフターサービスのほか、顧客対応に従事、阪神甲子園球場の整備機械を考案(特許取得)、現在に至る。