韓国の電算化を推進した者として アジアの未来に貢献していきたい――第113回(上)
キム・ヨンテ
韓国ソフトウェア世界化研究院 理事長
構成・文/舛本哲郎
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2014年06月16日号 vol.1534掲載
今年、キム・ヨンテさんは社団法人「韓国ソフトウェア世界化研究院」を立ち上げた。80歳を間近にして、そのような社会活動に情熱を傾け続けるエネルギーの源はどこにあるのだろうか。韓国のEDPS(電子情報処理システム)の草創期から取り組んできた第一人者は、どのようなことを考え、そして未来を見据えているのか。うかがってみると、意外にも英文学を学んだ学生時代以降に出会った二人のメンターから大きな影響を受けておられたことがわかった。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.4.22/東京・千代田区のBCN本社にて】
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
46年前、日本で学んでメインフレームを導入
奥田 キム会長は79歳。私の15年先を行っていらっしゃる。さっそくですが、キム会長とコンピュータ、ソフトウェアとの出会いはいつ頃でしょうか。キム 1968年です。私はLG化学の管理部長でした。韓国で樹脂、加工品の製造部門として第1位で、世界的にもさまざまな地域に進出しています。EDPS(Electronic Data Processing System=電子情報処理システム)という言葉が出始めた頃で、EDPSを導入する担当になりました。メインフレームでの電算化です。
奥田 その導入のために、相当勉強をされたことでしょうね。
キム EDPSもソフトウェアもまったく知りませんでした。そもそも英文学を学んで高校の英語教師をしていた人間ですから。電算化にあたって当時の得意先である旭電化工業(現ADEKA)、日立電線(現日立金属)、積水化学工業などにお願いして勉強をさせてもらいました。
奥田 どのような勉強をされたのでしょう。
キム どうすれば失敗するのか、と聞いて回りました(笑)。2か月間、東京や大阪でEDPSを使っている企業を訪問して、入出力の帳票も見せてもらいました。
奥田 学ぶコツをご存じだったわけですね。
キム 失敗したことを学べば、そうしないようにすればうまくいくはずですから。次に社員教育に力を入れました。そのおかげで、およそ2年で導入できました。その後、常務になりました。
奥田 苦労をなさった甲斐がありましたね。EDPSをきっかけにコンピュータによる経営管理の第一人者となられたわけですから。
キム LGグループの会社のEDPS化を進めたり、金星計電(現LS産電)、LGエレクトロニクスにも行きました。1987年からは、STM(System Technology Management)に行きました。今のLG CNSです。アメリカのEDSとLGの合弁会社で、その後ヒューレット・パッカード(HP)に買収されました。
奥田 そこではどのようなことを?
キム STMは韓国で最初のシステムインテグレータです。LGグループは各社で電算化を進めた結果、ハードウェアがまちまちになりまして。IBM、日立、HPなどいろいろありました。これではシステムの管理や連携が難しい。そこでそれを統合するためにSTMを設立したのです。
奥田 そこをお辞めになってから現在のお仕事へ?
キム 1996年に現役生活に区切りをつけた後も顧問とか相談役をやってきました。LGグループで仕事を学び、40年近く仕事をさせてもらい、今もソフトウェア産業のために活動をしています。
大学時代の恩師、そしてLG会長との出会い
奥田 退職されて歴史小説をお書きになった……。キム 辞めた後に「何をしようか」と思ったときに、思い出したのは「小説を書け」という言葉です。大学を卒業するときの恩師の助言です。すぐに「書きます」と約束しました。恩師の皮千得(ピ・チョンドク)先生は、韓国では有名な詩人であり随筆家です。ソウル大学校師範大学で英文学を学んでいたときに1年生のときから先生に学びました。
奥田 お書きになったのはどのような小説ですか?
キム 私たちが住んでいるアジア地域の歴史の本です。私は、国ごとの歴史観で対立しているのはよくないと思います。もっと広い視野でとらえて考えることです。客観的資料によって、そうした姿を理解してほしいと思い、執筆しました。
奥田 私も同感です。
キム 全部で6巻ありまして。長いので、誰も読んでくれません(笑)。タイトルは『The Descendants of Han Dan』、つまり『ハンダンの後裔』です。古代朝鮮の先祖の指導者の称号に、HanというものとDanというのがあります。ハンダンとは、そこから私がつくった造語です。1万年前ぐらいの古代から8世紀までの東北アジアを描きました。
奥田 最近はアジアにもいろいろな問題が起きています。
キム あまりにも変な空気になっていますが、今に始まったことではありません。昔から何百回も繰り返してきている。そのなかの一つのできごとです。古代は騎馬民族が中心でした。東夷の九族があって、そこから分かれていったと考えられています。共通点は蒙古斑。言葉はアルタイ諸語の系統。この地域に住んでいる人たちは、元々近い人たちなのです。中国も含めて一緒に仕事をしたほうがいいと私は思います。
奥田 そうですね。そのような洞察力、大きな考え方はどこから?
キム メンター(師匠)の影響でしょう。私には二人のメンターがいます。一人はLGグループの具仁會(ク・インフェ)会長です。私が課長の頃にお会いして、叱られたこともありますが、いつも教えていただきました。姻戚関係もなければ特別な学歴もない私に、仕事を教えてくれた大切な人です。もう一人は皮先生です。精神面を含めて皮教授からはいろいろと人生を送るうえでの大切なことを教わりました。読みやすくて美しい表現をされる方で、韓国の教科書にも載るようなすばらしい先生です。私が歴史小説を書いたときには、「私が注文したものを書いてくれた」と喜んでくれました。小説が完結しないうちに亡くなられてしまいましたが……。
奥田 すばらしい恩師だったのですね。
キム 卒業のときも、ソウルにある学校に就職できるように斡旋までしていただきました。私はそれから6年間、高校で教鞭を取りました。
奥田 具会長のことも書かれたとうかがっています。
キム 歴史小説を読んでいただいたLGグループの会長から依頼されて、創業会長のク・インフェ氏と名誉会長ク・ジャギョン氏の伝記を2年かけて書きました。1400ページぐらいの非売品です。1900年から2000年、つまり20世紀の朝鮮を描きながら、どういう過程を経て財閥になっていくのかを描きました。こうした執筆を通じて、アジアの地域に貢献したい。歴史小説もそうですし、韓国ソフトウェア世界化研究院の立ち上げにもそういう気持ちで臨んでいるのです。(つづく)
2014年に刊行された著書『Enthusiastic Management』
キム理事長は高校教師時代に受験問題集や辞典を出版。その後も多数の本を執筆された。1996年の『On Virtual Reality』は、バーチャルリアリティについて大学教授たちとノースキャロライナ大学、IBMなどを取材して書いた。歴史小説『The Descendants of Han Dan』は2巻にまとめて英訳したいと考えている。
Profile
キム・ヨンテ
(Youngtae Kim) 1934年9月、日本で生まれた。ソウル大学校師範大学英文学科を卒業後、6年間、高校の英語教師を務める。1962年、LGエレクトロニクス入社。LG化学で調達部長・管理部長として活躍。EDPSに取り組む。74年、常務取締役、75年にはLGグループの化成事業部長、78年にLGグループ会長室などを経て1984年にLGエレクトロニクス副社長。1986年には LGグループの電機および電子各社の再構築を担当。1987年にSTM(現LG CNS)代表取締役会長兼CEO。1996年に退任した後、Software Industries Association of Korea会長、企業の顧問や相談役を歴任。2000年からFree-ceos.comの会長、CEOを経て名誉会長。2014年、社団法人韓国ソフトウェア世界化研究院(KSGRA、Korea Software Globalization Research Agency)理事長。Free-ceos.com名誉会長、LG Yonam Educational Institute Director、LG Welfare Foundation Director。著書多数。