かつての理系少年がU-22プロコンを支援 次代を担うスター発掘を目指す――第114回(下)
サイボウズ 代表取締役社長 青野 慶久
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2014年07月07日号 vol.1537掲載
サイボウズはグループウェアに特化して事業を展開し、この分野でのマーケットシェアは日本一だ。なぜグループウェアなのかという疑問を投げかけて、そこから私が理解したのは、青野さんの身辺の人たちに対する思いやりが、その根底にあるということだった。そして「プログラマはカッコいいと思われるようにしなければ」と語るまなざしには、プログラミングを学ぶ若い世代への思いやりとエールが込められているように感じた。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.5.14/東京・文京区後楽のサイボウズ本社にて】
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
みんなで情報共有すればもっと楽しく働ける
奥田 ソフトウェアの産業規模は、ハードウェアの規模よりもまだまだ小さいですが、これが逆転する時代は来ると思いますか。青野 来ると思います。ソフトウェアもどんどん形が変わっていて、かつてはソフトウェアが単体で売られる時代でしたが、今やほとんどの電化製品に組み込まれていますし、スマートフォンも何が違うかといったら、内蔵されているソフトに大きな差があるわけです。いまやクルマもソフトウェアで動いていますし、プログラミングのミスでクルマが動かなくなったなどという話を聞くと、そんなにソフトウェアの比重が大きいのかと改めて感じますね。ですから、表面に現れた数字以上にソフトウェア産業が大きなポジションを占めているのではないかと思います。
奥田 これまでソフトウェアは、常に進化・成長してきましたが、今後、ソフトの世界はどのように変わっていくと思われますか。
青野 世の中のありとあらゆるものが、ソフトで動いているという世界をイメージしています。例えば、この腕時計そのものはなくならないと思いますが、この中のソフトウェアによって最適なアラートを上げてくれる、もしくはこれで通信することによって、そこから情報を入手して教えてくれるというように、私たちの周りで働いている機能はすべてソフトウェアという感覚ですね。
奥田 なるほど。ところで青野さんは、ソフトウェアのなかでも、なぜグループウェアにこだわるのですか。
青野 その分野だったら、世界で一番いいものをつくれそうだと思ったからです。直感で。最初にウェブの技術を見たときに、インターネットの検索ができるとか、ネット経由でモノが売れるとか、みんないろいろな可能性を探りました。そこで私が思いついたのは、ネットを使えば「みんなで情報共有できるぞ」ということ。それはたぶん「みんなで情報共有すればもっと楽しく働けるようになり、効率も上がる」という状態を、自分が望んでいるからだと思うんですよ。それを実際につくってみたら思いのほか売れて、日本で一番使われるようになったわけです。それは多くの会社が「(社員に)情報共有させたい」ということにこだわりをもっているからだと思います。
奥田 ザッカーバーグのフェイスブックも情報の共有ですよね。でも、それとはずいぶん違う感じがします。
青野 インターネットに可能性を見出した人の多くは、自分と地球の裏側の人すべてがつながるというグーグル的、フェイスブック的な世界観をもっていると思います。けれども私は、同僚、家族、参加しているサークルのメンバー、マンション管理組合の役員といった、身近な人たちに関心があるんです。人見知りなので、インターネットで地球の裏側の知らない人と会話するなんてとてもできません。
奥田 人見知りとは意外ですね(笑)。
青野 サイボウズは、技術に徹底的にこだわるようなことはしません。外資系の巨大企業は技術だけで世の中を変えるつもりですが、私はもう少し人間的に事業を進めたいと思っています。自社の技術力を生かしながら、好きなソフトウェアの世界を具現化するという感じで……。
奥田 それが、サイボウズの事業のかたちなんですね。
青野 理由はよくわからないのですが、私は身近な人が困っているのがすごくイヤなんですよ。大学ではボランティア活動で、4年間、児童養護施設に通って親と一緒に暮らせない子どもたちに勉強を教えていましたし、飲み会で一人だけ盛り上がっていない奴がいると、そっちが気になって仕方がないタイプなんです。
奥田 世話好きおばさんみたいですね(笑)。
青野 そうですね。世話好きかどうかはわかりませんが、泣いている人がいたら笑わせたいみたいなところはあります。それと共通するのか、グループウェアは居心地がいいんですよ。みんなで一緒に働いて、全員に役割がきちんとあって、それぞれ情報共有されていて、チームワークで動いている。この状態がいいなと思います。
プログラマはカッコよくモテる存在に
奥田 さて、今年からU-22プロコンの実行委員長を引き受けられたわけですが、どのような思いで臨まれますか。青野 まず、プログラミングにもっと注目してほしいということですね。国力を上げるためには、産業構造の変化をみる必要があります。グーグルのような会社が日本に出現しない理由は、プログラマを大量に輩出している国とそうでない国との差にあります。そこで、こういったコンテストをもっと盛大にやって、彼らが日本の将来を背負って立つんだとスポットライトを当ててあげることがまず必要でしょう。このプロコンから、スターを輩出したいんです。少なくとも若い優秀な人たちをプログラミングの世界に連れてこない限り、この国が発展することはないと思うからです。
奥田 同感ですね。
青野 U-22だけでなく、高専プロコンや高校生プロコン、IPA未踏事業などが連携し合って、ITジュニア育成交流協会の支援もいただいて、ここで賞をとった人はどのIT企業にも就職できるくらいのブランド化を図りたいですね。それから、プログラミングを学びたいという子どもを増やしたい。コンテストで表彰するだけではなくて、日本全国津々浦々でプログラミングの学習熱を高めたいんです。私が中学・高校生のときは「パソコンおたく」といわれて、変人扱いされました。そうではなく「プログラミングができる=カッコよくモテる」というかたちにしないといけません。
日本では、IT企業のトップはプログラマ出身ではないことが多いのですが、アメリカではビル・ゲイツもマーク・ザッカーバーグもプログラマ出身です。そこもなんとかしたい。このU-22プロコンを通じて、プログラマがカッコいいと思われる時代にしていきたいですね。
奥田 『BCN ITジュニア賞』の表彰も、来年で10回目。子どもたちに10年後の自分の未来、そしてその先の姿を想像させる絶好の機会です。私も、次代の人材育成に力を尽くしたいと思います。
こぼれ話
青野さんにはいつかお会いしたいと思っていた。もちろん書籍とか『週刊BCN』の記者を通じて、青野さんの元気ぶりは知っている。世間の常識や慣習にこだわらない元気な行動ぶりも知っている。だからこそ、面談の機会を探していた。ようやくお会いしてみると、元気ぶりは予想をはるかに超えている。檻から解き放たれた虎と言いたいのだが、あどけなさが残っているいたずら好きの“子虎”と言った雰囲気だ。ところが、話す筋道は整然としたアルゴリズムともいえる様子で、その源泉は生まれながらに備わったマグマの塊という様相だ。是々非々が明確で、自分と他人の境界線がない。時には反発されることもあるのだろうと思う。それでも自分らしさを貫いて行くうちに、まわりを青野ファンが取り囲んだ。それがサイボウズという集団を形成している。とくに感銘を受けたのは、“対等目線” であるところ。このままもっと大きな舞台で、子虎を演じてほしい。
関連記事
Profile
青野 慶久
(あおの よしひさ) 1971年、愛媛県今治市生まれ。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工入社。1997年、サイボウズを愛媛県松山市に設立、取締役副社長に就任。マーケティング担当としてウェブグループウェア市場を切り開く。その後、「サイボウズ デヂエ」「CybozuGaroon」など、新商品のプロダクトマネージャーとしてビジネスを立ち上げ、事業企画室担当、海外事業担当を務める。2005年4月に代表取締役社長に就任。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)がある。