撮りたいものを撮って、にじみ出てくるものを大切にする――第115回(下)
写真家 森 武史
構成・文/浅井美江
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2014年07月21日号 vol.1539掲載
熊野といえば、古道にも人にも強く魅かれるという写真家の森武史さん。重くて深いものにそそられる性分なので、光溢れる伊勢とは合わないと思った時期もあったというが、思わぬ転機が訪れる。ある企画にかかわることで、通常、一般の人が入れない伊勢神宮の森に、5年半という長期間通うことになるのだ。そして、そのときに撮った写真は、また別の好機につながっていく。これだから人生はおもしろい。森さんに伊勢神宮の森の話をうかがった。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.5.22/東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて】
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
伊勢神宮の「森」を撮れる写真家
奥田 実は今日こうして森さんにお会いする前に、私は伊勢で、偶然、森さんの写真に出会っているんですよ。森 それは「神宮の森写真展」ですか。
奥田 その通り。ほんとに偶然です。内宮の近くで、ある店に入ってトイレに行きました。席に戻る途中で、ふと見たら蔵のようなところがあるのに気づいたんです。なんだこれは、と。で、進んで行ったら写真展をやっている。観たらすごい写真です。「いいなあ、この写真。見事だなあ」と思ったら、森さんの写真だったんですよ。なんということだろう。ビックリしました。係の人に聞いたら、写真集も売っているということで、買わせていただきました。あの写真展はどういうきっかけで始められたのですか。
森 ある日、赤福の企画担当者の方から喫茶店に呼び出されました。伊勢神宮の「森」を撮って、日本人の自然観を表現したいという。難しいなあと最初は思ったのですが、今まで伊勢神宮を撮っていないカメラマンのほうがいいとおっしゃるんです。宇治橋なり鳥居なりご正殿なりの、いわゆる儀式の写真を撮っているカメラマンは何人もおられるんですが、そういうのからちょっと脱皮をしたいというお話で……。それで引き受けることにしました。2007年の夏でした。
奥田 それから撮影が始まったのですか。
森 当初の企画は、1年間かけて撮影したものを、2009年から5年間、2013年のご遷宮まで展示をするということだったんです。でも、それでは撮影期間が短すぎるし、同じものを5年引っ張ったらあかんで、と。それで、毎年撮影するから、毎年入れ替えましょうと提案したんです。
奥田 神宮の森に入ったのはどのくらいの期間ですか。
森 2007年から撮り始めて、2012年の春までの5年半です。1年目はとにかく楽しかったです。何もかも初めて観る景色で珍しい。ですが、2年目からだんだん撮れなくなってきました。3年目はまったく撮れない。これはいかん、と思って、図書館に行って、いろんな写真集を片っ端から観たのですが、ピンとこない。さらにいろいろなものを探してみて、結局行き着いたのが土門拳の『日本の仏像』でした。撮りたいものをドーンと、しっかり撮って、観る人の感性にゆだねる。このスタンスだ! と。
奥田 森さんの写真は、とにかく広角がすばらしい。レンズの広角のことではなくて、山並みとかの景色が広いという意味です。僕は森さんのことを広角の芸術家だと思っています。
森 ありがとうございます。
奥田 最近のカメラを使うと、ディテールは撮れるんです。でも、広い風景は本当に難しい。例えば、『神宮の森』 の表紙の写真です。こんなふうに深い深い森があって、その中に小さくご正宮の千木(ちぎ)が見える。内宮は、宇治橋を渡って、ご正宮に向かう参道を歩くと、とても広いイメージがあるんですが、実はこんな深い森の中にあるということがわかる。森の中にたたずむ神宮。これは神宮の本質だと思います。
レンズ交換をせずに撮影して発見した独自のスタイル
奥田 神宮の森では、どのようにして撮影場所を探したのですか。森 最初は営林部の人に連れていってもらいました。でも、人が歩く道だとうまく撮れません。普通の風景になってしまうから。ですので、最後のほうは、けもの道を通ったりしていました。場所によっては、いばらの茂みでからだが浮いた状態で撮ってましたね。
奥田 カメラは何を持っていくのですか。
森 僕は50ミリの標準レンズが好きなんです。絞りはF1.2の開放で。フットワークでスナップします。もともと山の中で人物を撮ったりするので、三脚はあまり使いません。それに人と歩いていて写そうとすると、レンズを交換している余裕はない。なので、1本でなんとかしようとするわけです。そうすると、森に近づいて撮る、目の前を撮るというスタンスが生まれてくるわけです。
奥田 目の前を撮る……。
森 レンズ交換も面倒くさい。すごくいい風景の中にモデルが小さくいる場合、普通は望遠か望遠気味のレンズに交換したいけれど、時間がかかりますよね。あるとき、レンズ交換せずに撮りたい瞬間の光で撮ったところ、モデルだけではなくまわりの風景も撮らざるを得なかったんですが、上がってみたら「こういうのもありかな」と。
奥田 そうやって撮られた写真が写真展につながって、それをまとめたものが、『神宮の森』になった。写真の選択は、すべて森さんがなさったのですか。
森 そうです。写真展のために撮った5シーズン分の作品を中心に、未収録のものも含めて僕が選びました。
奥田 レイアウトも森さんですか。
森 はい。ページの束(つか)はデザイナーさんに入っていただいてますが、ほかは全部自分です。
奥田 『神宮の森』の写真を全部通してみるとドキュメンタリーになっていますね。ところで、キヤノンのカレンダー作家に選ばれたのはどういう経緯ですか。
森 たまたま写真展を見に来てくださったキヤノンの関係者の方から、2014年のカレンダー作家を一般公募しているので、応募してみませんかと声をかけていただいたのがきっかけです。
奥田 ああ。僕が写真展で感じたのと同じことを、キヤノンの人もきっと感じたんですねえ。
森 カレンダー作家に選んでいただいたことで、自分の作品を見直すきっかけにもなりました。
奥田 森さんはこのあと、どんなカメラマンになっていくのでしょうか。
森 一応、家のローンも終わって、子どもも巣立ったので、自分の作品に重心を置いていきたい。高野山、吉野、十津川……、紀伊半島を撮っていきたいですね。
奥田 森さんはきっとまた変わっていかれるのではと思います。変化されたときに、またぜひ会いたいですね。でも、その前にどこかへ連れて行ってください。僕は新緑の前のぼやっとした感じの山が好きなんですよ。
森 わかります。僕も同じです。高野山から熊野はどうですか。いいところですよ。
奥田 ぜひお願いします。
こぼれ話
森さんの写真集『神宮の森』を目の前に広げながら、この原稿を書くためにパソコンのキーボードをなぞっている。どの頁を開いても暗い。森さんがテーマにしている“闇の写真”だ。そのうちの一枚、「神嘗祭の夜―松明の灯りが森に浮ぶ」が目に飛び込んできた。伊勢神宮のお祭りは、夜に執り行われる。その代表例が、これまで62回繰り返されてきた20年ごとの遷宮だ。クライマックスはご神体が旧殿から新殿に移る「遷御の儀」である。昨年、縁あって外宮の儀式に接した。10月5日の夜8時。この闇のことを“浄闇 (じょうあん)”と呼ぶ。神嘗祭は毎年の行事で、森さんは伊勢神宮を広大に取り囲む神宮林の、あるお山の小高い所から星空の浄闇の中に浮かぶ儀式の灯りを切り取っている。いや、感じたままに綴ろう。「画いている」と。闇にこぼれる明かりが伊勢神宮だ。参拝で目のあたりにするお社は大きい。ところが、あるお山の上から見る神宮は浄闇の中にひっそりと輝き佇む一つの星のようなのだ。Profile
森 武史
(もり たけし) 1957年、三重県生まれ。大阪芸術大学卒業。1994年、フリーカメラマンとして独立し、紀伊半島の風景を撮り始める。1999年、熊野古道の写真集『くまのみち』を上梓。2004年にDVD熊野写真集『祈り天空に満ちて』を発売。08~10年に、熊野の修験者や修験道の様子を撮影した写真展をパリ・東京・京都・伊勢で開催。12年、「2014年版キヤノンカレンダー写真作家」に選出される。07年からは5年半をかけて伊勢神宮の森を撮影。このとき撮影した写真は、09年から内宮前の五十鈴蔵ギャラリーにて常設展示された後、13年の伊勢神宮の式年遷宮に合わせて『神宮の森』として発刊されている。