100年の時を超えて他にない価値を生み続ける――第122回(上)
福家 一哲
ライカカメラジャパン 代表取締役社長
構成・文/浅井美江
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2014年10月27日号 vol.1552掲載
京都・花見小路。かつて大石内蔵助が豪遊したというお茶屋「一力亭」を角に見て、祇園情緒あふれる通りを進むと、「都をどり」で有名な祇園甲部歌舞練場が見える。「ライカ京都店」は通りをはさんでほぼ向かい側。白地に赤のロゴが染め抜かれたのれんをくぐったら、はにかんだような笑みを浮かべて福家一哲社長が出迎えてくださった。今年ライカ誕生100周年を迎える、ドイツ生まれのカメラを置く店舗とそれを仕掛けた社長のたたずまいは、静かに、そして見事に京町家と調和していた。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.8.19/京都・祇園花見小路の「ライカ京都店」VIPサロンにて】
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
意外に近い京都とライカのDNA
奥田 すばらしいお店ですね。福家 ありがとうございます。
奥田 一見すると、カメラのお店とは思えないような造りで……。
福家 そうですね。祇園の町並みに溶け込むように心がけました。この家屋は築100年という町家建築で、ライカのカメラの歴史とほぼ同じです。もともとお茶屋さんだったところで、改装の際、できるだけ当時の構造を残すようにさまざまな工夫を凝らしています。
奥田 お店の構成を教えてください。
福家 まずは1階からご案内しましょう。入ってすぐが店舗です。ライカのイメージカラーである黒と赤で統一したしつらえで、現行の製品がフルラインで揃っています。店舗の一角には、京都の老舗企業とコラボレーションしたカメラバッグやポーチなど、京都店でしかお求めいただけないオリジナルのカメラアクセサリを置いています。奥に進んでいただくと、坪庭をはさんで、床の間を備えた和室のスタジオがあります。ここはプロの写真家の方に使っていただくだけでなく、例えば当店のお客様を対象として、舞妓さんをモデルにする撮影会を開催することも考えています。
奥田 おもしろいですねえ。2階はどうなっていますか。 ─ 階段を上がって、2階のVIPサロンに移動 ─
福家 2階はギャラリーと、サロンになっています。ギャラリーの天井の梁は町家にあったものをそのまま使っています。テーブルも、床の間に使われていた板を仕立て直しました。ギャラリーでは、私どもと相互協力の契約を交わしている「マグナム・フォト」の写真家などの作品展示をしています。
奥田 このなかでとくに自慢というところを三つ挙げていただけますか。
福家 一番特徴的なのは、スタジオと坪庭でしょうか。庭の上が吹き抜けになっているので、2階から見下ろすようなアングルで撮影していただくことも可能です。二つ目は、今、おいでになるサロンです。店舗の中で、一番祇園らしい空間をつくろうということで設けました。国内外から大事なお客様をお招きしたときに、この店が祇園にあることを感じていただいたり、ご家族で撮影をしていただいたりできる空間になっています。三つ目は、京都の老舗とのコラボレーションです。先ほどご案内したカメラアクセサリなどもそうですが、今、お座りになっている椅子も、座面に西陣織が使われています。京都にはたくさんの老舗のアトリエや工房がありますが、私どもライカもクラフトマンシップの会社です。意外に思われるかもしれませんが、京都とライカはDNAが近いということを具現化できたと思っています。
奥田 同じDNAというわけですね。そもそも、このプロジェクトはいつから始まったのですか。
福家 起案は昨年(2013年)の2月です。5月にドイツ本社のCEOから進めていいとの承諾を得てビジネスプランを提出し、最終的にOKが出たのは10月か11月だったと思います。なので、実際に工事にかかったのは11月だったでしょうか。完成したのは今年の3月です。
奥田 起案の着想はどこからのものですか。
福家 もともと私が社長に就任したときから、関西に旗艦店がほしくて場所を探していました。でも、なかなか納得できる場所がなくて実現できなかったのですが、たまたまこの物件をご紹介いただいて……。
京町家だからこその雰囲気を醸す旗艦店
奥田 関西の旗艦店を、大阪じゃなくて、京都に。福家 そうです。私の構想として京都という候補はありました。世界中の写真愛好家が京都の美を撮影にいらっしゃる。ですので、京都にお店があれば、その方々の拠点にしていただくことができます。
奥田 それにしても、よくライカと京町家を結びつけることができましたね。
福家 実は、私がエルメスに居た頃、エルメスが町家の物件に興味を抱いていた時期があったんです。恐らく、なんとなく頭の中にはあったんですね。ただ、こういう物件はなかなか出ないですし、あったとしても、紹介がないとたどりつけません。そんな事情を知っていましたので、見に行ってはどうかと勧められたとき、すぐ行動に移しました。
奥田 なるほど! エルメスの流れがあったわけですね。
福家 はい。でもそのことは頭にありましたが、実行に移すかどうかは、やはりここに来て、自分の目で確かめて実感して、決めました。他の場所ではできない、ここだからできると、強く感じるものがありました。私どもは、他にない価値を生み出し続けなければならない企業です。だからこそ、他にないお店をつくりたい。あとは、私たちが受け入れていただくことができればと……。
奥田 どこに受け入れていただく?
福家 祇園町の協議会と理事会です。その二つの団体に許可を得て、説明をさせていただいた際には、私どもがいかに手づくりを大切にするクラフトマンシップの企業であるかをご説明して、認めていただきました。
奥田 反対された方は?
福家 何人か、おられました。なぜよそから、まったくゆかりのない海外の会社が店を出すのだと……。でもそれは後から考えると、批判ではなくて、純粋な疑問だったようです。結局ご理解をいただいたのですが、今度はドイツ本社に対して、なぜ京都のこの場所なのかを説明しなくてはなりません。でも、本社には厳しいレギュレーションがありますし、実際CEOを呼んで、改装する前の町家を見てもらいましたが、天井は低いし、部屋は小さいし、当時はボロボロに荒れてましたし……。「どう思う?」とたずねたら、「正直、わからない」という答えが返ってきました。そこで、京都を理解していただくために、お寺を回って座禅を組んでもらったり、夜、食事をする時に舞妓さんや芸妓さんに来ていただいたりしたところ、帰りのタクシーで「いいんじゃないかな」と言われました。
奥田 おお! “おもてなし”が功を奏しましたね。
福家 (微笑みながら)はい。京都への理解度が深まったということだと思います。(つづく)
ジョブズのスピーチにも登場したライカのカメラ
福家社長が父親から譲り受けた「ライカM3」。数年前、iPhone 4のプレス発表の際、スティーブ・ジョブズ氏が「新しいiPhone 4は、クラシック・ライカのように優美で美しい」とコメントしたとき、福家社長は真っ先にこのカメラを思い浮かべたそうだ。関連記事
Profile
福家 一哲
(ふけ かずのり) 1960年大阪市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、服部セイコー(現セイコーHD)入社。2002年、エルメスジャポン時計事業部長。2007年4月より現職。世界初のライカ直営店であるライカ銀座店など、ライカストアブティックを軸に、19世紀創業の名門、独ライカカメラの21世紀を担う。2014年3月には京都祇園にフラッグシップストア、ライカ京都店をオープン。ドイツのクラフトマンシップと、1200年以上の歴史と文化をもつ京都のマリアージュにより完成したライカ京都店は、国内外で話題になっている。