すべてルール通りに回っている 日本のそこが好きなんです――第123回(下)
開澤法律事務所 パートナー弁護士 王 穏
構成・文/畔上文昭
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2014年11月17日号 vol.1555掲載
高校卒業後に中国を出て日本に来た王穏先生。すべてがルール通りに回っている日本の社会に強烈な印象を受け、法律の世界を目指すようになる。来日から2年で日本語を習得して、東京大学に合格すると、在学中に中国の弁護士資格を取得してしまう。輝かしい経歴だが、決して偉ぶることはない。お客様の信用が大切だとする王先生は、「信用貯金」という言葉を使う。コツコツと積み上げる貯金が、想定外の事態で生きてくるという。インタビューの限られた時間だったが、「信頼できる」と心から思えてきた。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.8.18/東京・千代田区のBCN 22世紀アカデミールームにて】
右上 大阪でアルバイトに明け暮れた日々は、本当に楽しかったという
右中 「お客様に感謝の気持ちを表していただいたときは、弁護士を選んでよかったと思います。『とても助かった』と言われるのは、何よりの報酬ですね」と王氏右下 名刺入れと手帳。王氏が大切にしている「信用貯金」は名刺交換から始まる
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
日系企業の現地法人では労務・人事の悩みが多い
奥田 開澤法律事務所という名称には、どのような意味が込められているのですか。王 「開」にはオープン、「澤」には潤沢などの意味がある縁起のいい二文字なんです。ただ、たまたま申請が通った名称というのが、本当のところです。中国では事務所名を全国レベルで管理していて、すでに使われている名称は受けつけてもらえません。すぐに思い浮かぶような名称は使われていて、「開澤」は申請したなかで、たしか三十何番目の候補なんですよ。とはいえ、今では開澤でよかったと思っています。
奥田 ということは、事務所の創業者になるのですね。
王 そうですが、中国では、個人事務所以外は三人以上のパートナー(共同経営者)が必要です。開澤法律事務所にも三人のパートナーがいて、私は年齢もキャリアも三番目です。
奥田 弁護士は何人いらっしゃるのですか。
王 12人です。弁護士以外のスタッフも加えると、現在では30人くらいの体制になります。日本人のスタッフも3人いて、弁護士ではなく、日系企業の窓口対応が担当になります。
奥田 日系企業向けの窓口があるのですね。
王 日系企業から受ける相談では、一番多いのが労務・人事です。一つは賃上げ。どんどん給料が上がっていますから、スト関連やサボタージュ関連の相談になります。二つ目は、従業員がらみの技術漏えい、不正、わいろというのが多いですね。中国に進出している日系企業は、トラブルになっていなくても、労務・人事の悩みをもっています。次は債権回収です。けっこう信用できる中国企業でも、約定通りにはなかなかお金を払ってくれない。それをいかに回収するのかという相談は、とても多いですね。後は、行政許認可や知的財産権などになります。だいたい、この四つに集中しています。
奥田 四つのなかで最も得意とする分野は?
王 やはり労務・人事ですね。日系企業の労務・人事でネックになるのは、コミュニケーションなんです。日本人が中心の事務所の多くは、現地の文化を理解できていない。逆に中国人が中心の事務所では、現場が日本文化を理解できていない。開澤法律事務所は、そこを埋めるような役割を目指しています。
日系企業の感謝の気持ちに弁護士でよかったと実感
奥田 理工系の学生だったのが、日本に来たのがきっかけで法律の世界へ。弁護士になってよかったと思うことはありますか。王 日系企業のお客様に感謝の気持ちを表していただいたときは、いろいろな商売のなかで、弁護士を選んでよかったと思います。これは、私が日系企業を好きだと思うところと共通します。「とても助かった」と言われるのは、何よりの報酬ですね。
奥田 日系企業だからといって、どんなことでも感謝するわけではなく、やはり結果を出しているからこそだと思います。事務所内の人材育成では、どういった点に力を注いでおられますか。
王 中国ではほとんどの人が、報告・連絡・相談ができていないのです。簡単なことなのに、いくら優秀な人でもできていない。開澤法律事務所では、毎週金曜日の午後、必ずお客様に報告・連絡・相談するようにしています。なぜかというと、お客様の企業では、翌週の月曜日に社内の進捗会議があって、上司に状況を聞かれますから。そのときに、お客様が報告できるように進捗を報告しておくのが目的です。
奥田 弁護士がお客様に週報を出す。考えましたね。
王 お客様が「あの件はどうなっているのか?」と聞いてくるときには、すでに上司から指摘されているんですよ。だから、お客様から問い合わせがあったら、開澤法律事務所の基準では、ミスなんです。弁護士は、お客様の信用がなければ一歩も動けません。中国では、予想外のことがどうしても起こります。そのときに、お客様が開澤法律事務所を疑ってかかるのと信用できるのとでは、まったく違いますから。
奥田 お話をうかがって、信頼がおけるという気持ちになりました。料金についてですが、顧問契約とか、いろいろなケースがあると思います。
王 一般の事務所と同様、顧問契約があり、金額的にも北京、上海、日本の法律事務所の基準を参考に、中間ぐらいに設定しております。もう一つ、プリペイド方式もあります。要は、前金でリーガルサービスを買うということ。試しに使ってみることができるので、好評です。
奥田 プリペイド方式は中国で一般的なのですか。
王 たぶん、開澤法律事務所だけですね。顧問契約を結ぶときでも、どれくらいの仕事量になるのかわからない場合があります。それから、事務所を新設する場合は、労働契約や取引契約の契約書作成が一通り終われば、落ち着きます。それだと、顧問契約が無駄になります。
奥田 プリペイド方式は、日本にもありませんね。
王 仕事がないのに料金をいただくのは、どうかと思いまして……。
奥田 日系企業が開澤法律事務所を頼るのがよくわかりました。日本と中国は、今、非常に冷え切った関係にありますが、今年の5月くらいから、中国の経済人とのやりとりのなかで、風が春のように少し暖まってきたと感じています。今はもう、春になっています。
王 私も日本と中国に仲よくしてもらいたいんです。中国人の海外旅行は増えていますが、もっと日本に来てほしい。もっと多くの中国人に日本を見てもらいたいという気持ちがあります。私の友達は、日本に行ってみたら、すごく礼儀正しいとか、清潔で、安全・安心だといいます。言葉も通じないのに、老夫婦が筆談で案内してくれたという経験談も聞きました。また行きたいという人がほとんどですね。
奥田 私たちも、メディアとして、日中の懸け橋になろうとしています。ぜひ、王先生には、日本と中国の懸け橋になっていただきたいと思います。何か連携して日中双方の企業にとってプラスになる仕事がしたいですね。
こぼれ話
初対面のインタビューでは、話の切り出しに最も気を遣う。入手できる限り事前情報を仕入れて臨み、質問とそれに応じていただく内容が噛み合ってこそ、対談の流れが生まれる。そして、その流れ次第で『千人回峰』の仕上がりが決まる。言葉にはお互いに共通した概念がなければ、その流れは生まれにくい。日本人の私と中国人の王先生は最初に「双方」が一所懸命に概念の擦り合わせに努力した。その過程で気づいたことは、王先生は顧客の心を常にみつめながら話を進めることに、相当な努力をされる方だということだ。弁護士の仕事の基本といえばそうだが、商慣習や文化の異なる企業の要求を、中国社会のなかに楔を打つわけだから、間に挟まれて立ち往生することも多いことだろう。「戦国武将の物語が好きなんです」というのも、日本企業人のエートス(性格)をそのなかから嗅ぎ取っておられるようだ。その嗅覚がとてもすぐれたお方だ。これから出番が多くなることだろう。
Profile
王 穏
(Wang Wen) 中国北京市出身。高校卒業後の1991年に日本留学。東京大学法学部、一橋大学院法学研究科を経て、1999年から弁護士業務に従事。2004年、上海にてパートナーと開澤法律事務所を立ち上げ現在に至る。月に一週間ほど東京・関西方面に滞在し、日系企業の中国現地法人だけでなく、本社との直接対応もしている。開澤法律事務所は、中国および日本のビジネス・法律・文化に精通していて、スタッフが30人という体制で日系企業の中国での経営アドバイス(人事労務、債権回収、商標関連など)、M&A・再編・清算関連、仲裁・裁判におけるサポート業務を提供している。