地方創生って騒ぐけど いいアイデアはなかなか出ませんよ――第126回(下)
長野県富士見町 町長(元NEC顧問) 小林一彦
構成・文/畔上文昭
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2015年01月12日号 vol.1562掲載
小林さんは、本来は下戸だそうだ。しかし、地域の集会では、酒宴が重要な情報交換の場となる。避けていては、町の人たちの本音を聞くことができない。気がつけば「のんべぇ」との評判がつくほど、意見交換に明け暮れた。足で稼いだ情報を駆使し、1期目からスキー場の再生など、いくつもの実績を上げて二度目の選挙も勝ち抜いた。残された任期は、およそ3年。最後の大仕事として、テレワークに取り組んでいる。「地方創生って騒ぐけど、いいアイデアなんてなかなか出ませんよ」と言うが、小林町長のアイデアが尽きることはなさそうだ。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.11.14/長野・富士見町の町役場にて】
写真1 「フジミ」を図案化した町章。和と団結、発展を象徴している
写真2 徹底した情報分析で改革を推進してきた。町民に説明するための資料は、自分の手で作成している
写真3 入笠山から見た雪化粧の八ヶ岳連峰。眼下に見えるのが、富士見町(写真の登山者は奥田喜久男/2014.12.23撮影)
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
スキー場の再建を機に議会を味方につける
奥田 最初の選挙の時は、現職が3選を目指すなかで改革を公約として当選したわけですから、やはり町長になってからのほうが、いろいろとあったかと思います。小林 何をするにも、現職側だった議員が賛成しないと通らないわけですよ。多くが、現職派でしたからね。
奥田 そこから始まるわけですか。
小林 選挙では敵だった人たちを全部取り込む。町を動かすには、地元のボスを全部味方につけて、多数派で工作しないとダメだと。
奥田 何をきっかけにして、味方につけたのですか。
小林 勝負は、パノラマリゾートに町の貯金を崩して投入した10億円でした。パノラマリゾートは、三セク(第三セクター)の経営ですが、町が債務保証していますから、倒産したらすべて町の借金になります。当時は金利の返済だけで、年に1.5億円も支払っていました。これに10億円を投入することで、5000万円で済むようにしたんです。
奥田 それで返済を先に。
小林 金利の返済を少なくして、収益を出して健全経営にする。10億円を投入して4年目になりますが、今では毎年7000万円を町に施設賃料として納入できるようになりました。借金も、35億円から現在は10億円を切りまして、平成31年には返済が完了する予定です。だから、今は誰も反対していませんが……。
奥田 よく議会を通しましたね。
小林 私は、町内の全集落で住民懇談会をやって説明したんです。そこでは300件以上の意見が出たけれど、反対はなかった。ということは、賛成だと。それを町民の代表である議員が反対するとは何ごとかと。
奥田 ほ~、小林さんって政治家なんですね。私は技術屋の固まりかと思っていましたよ。
小林 いやいや、技術だって人並み以上ですよ(笑)。でも、共通していることがあります。ビジネスでは、事業のポイントを押さえて、成功に導いていく。町も改善ポイントを押さえて、それを改善していく。これは共通なんですよ。やり方も考え方も。ただし、部下は違う。
奥田 どういうことですか?
小林 町長だから、こちらの言うことは表面上聞いてくれますが、積極的にはなかなかならない。NECでは、独断的に決めていくのはダメですが、トップダウンでやってきました。役場は、ボトムアップ。係長クラスで揉んで、だんだん上がってきて、後はハンコを押すだけ。そういうのを過去100年くらいやってきて、習慣になっている。町民もその風土に慣らされている。
奥田 町民は我慢強い。
小林 というよりも、町が崩壊する寸前であるとの感覚が乏しく、町民も現状でいいと。私は酒が強くないのですが、地域の酒宴では最後までつき合って飲んで、いろいろな話を聞いて、私の考えも伝えて。
奥田 胃袋外交をされたわけですか。
小林 そういう場でないと、本音を話してくれない。それが一番苦労でね。あいつは酒のみだという評判が立つくらい。こっちは死ぬ思いでやっているのに(笑)。
奥田 苦労があったのですね。
小林 ただ、今では改革もうまく動き出したので、職員の意識も変わってきていて、例えば町の総合5か年計画は前回のをコピーするだけだったのに、「今度は町長の方針・戦略が主体の内容に全面的に変えます」ってね。
奥田 うれしいじゃないですか。
小林 企画課の職員が、女性を含め毎晩徹夜するくらい、生き生きとして頑張っています。
テレワークの推進は地方創生の切り札になる
奥田 町長になられて、生活は大きく変わったのでしょうね。でも、やっておられることは、NECの時代とあまり変わらないような感じですが……。小林 延長戦ですね。考え方とか、生きがいとか。ただ、NECでは何かと競争でしたから、時間との勝負ってあるじゃないですか。こっちは、時間的な余裕があるんですよ。
奥田 富士見町では、これまでの町長がだいたい二期で交代しているということでした。ということは?
小林 残りはだいたい3年です。
奥田 その3年でどのようなことに取り組みますか。
小林 やりたいのは、テレワークオフィスタウンの実現です。今は国が地方創生っていっているけど、なかなか画期的なアイデアはなかったと思いますよ。地方に住んだとしても、都会と同じ収入が実現されない限り、人は来ないですよね。若者は、雇用とお金のあるところに行きますから。
奥田 富士見町は、子育てのために都心から転入してくる人も多いということでしたが。
小林 心の豊かさも大事ですが、それだけでは地方創生は実現できない。子どもが大人になると、より多くの収入が得られる都会へ出て行ってしまいます。けれども、テレワークは、それを破る。都会の人が、都会の給料で、ここで仕事をしていても、高速ネットワークがあるので効率は落ちない。むしろ上がる。そのための制度を整えて、設備も準備しています。
奥田 どのような設備になりますか。
小林 空き家を改築したホームオフィスと、東京の大学の研修用設備だったものをコワーキングスペースを備えたサテライトオフィスにして数社を受け入れます。2015年3月に投資して、急いでつくれば夏か秋の初めくらいにスタートできるのではないかと。オフィスになる施設ですが、1年間は無料で提供します。
奥田 任期が3年ありますから、かなりできそうですね。
小林 総務省・国交省・内閣府・内閣官房等を駆け回り、地方創生戦略の具体的なテーマに“テレワーク”を入れてもらいました。国からの大きな支援を取りつけられそうです。すでに、いくつかの企業が手を挙げてくれています。大袈裟だけれど日本のためにもやらなければならない。若い人たちが富士見町でこんな働き方をしているというモデルにしたい。BCNも、一人どうですか。
奥田 いいですね。私が来ます。
小林 いやいや、もっと若い人でお願いします(笑)。
こぼれ話
もう1年ほど前になる。長野出身の友人から「富士見町の町おこしに一枚噛んでほしい」との連絡が入った。どうして私に依頼するのかとたずねたところ、「富士見町は八ヶ岳の麓の町。いつも山に登っているのだから、恩返ししてはどうか」と。地図を見たら一度は登ってみたいと思っていた入笠山のある町ではないか。そして、5月に長野県庁と富士見町の職員の方が訪ねてこられた。どんな町なのかを一通りうかがって、「町長はどんな方なのですか」「NEC出身で、小林という名字です」「役員の経験がありますか」「ええ、コンピュータのサーバーを開発された方だとか」「もしかして、小林一彦さんですか!?」。まあ、ビックリしました。これはもう、応援団に参加しないわけにはいきません。その後、小林町長から電話をいただいた。「これも縁だからさ、応援してよ~」──というのがこの記事ができあがるまでの経緯です。新年も、予期せぬ“ご縁”を大切にしていきます。
富士見町テレワークタウン構想やサテライトオフィスについては、町ホームページ内テレワークについて(http://www.town.fujimi.lg.jp/page/so04telework.html)、または富士見パノラマリゾートのホームページ右下の「富士見町で働こう暮らそう」に概要があります。
Profile
小林 一彦
(こばやし かずひこ) 長野県富士見町出身。1943年12月30日生まれ。1967年に東京大学工学部を卒業し、NECに入社。第二コンピュータ事業部長、取締役支配人、執行役員常務、取締役執行役員専務、顧問を歴任し、2009年8月に富士見町長就任に伴い退社。富士見町長は現在2期目。富士見パノラマリゾートというスキー場の再建、メガソーラー施設の建設、転入者の増加など、さまざまな施策で町の改革を推進してきている。趣味は、読書、スキー、ゴルフ、旅行、囲碁。