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ネットの安心・安全を実現するにはユーザーがその意識を高くもつこと――第128回(下)

千人回峰(対談連載)

2015/02/12 00:00

新美 育文

安心ネットづくり促進協議会会長 明治大学法学部専任教授・弁護士 新美育文

構成・文/小林茂樹
撮影/大星直輝

週刊BCN 2015年02月09日号 vol.1566掲載

 法律というものについて、私たちは誰もが等しく守るべき揺るぎないものというイメージを抱きがちだ。同様に、法律家についても、法令に忠実で、程度の差はあれ高潔な人格を備えた知識人という人間像を思い浮かべたりする。しかし、それは日本国内での話にすぎない。企業がグローバルに活動することがあたりまえとなった今、リーガルマインドも法律家も多様であることを知っておく必要がある。お話をうかがいながら、そんなことを考えた。(本紙主幹・奥田喜久男)

左 「法律があるから、権力が恣意的にはならないと考えてはいけません」と、新美先生は中国でビジネスを展開する企業にアドバイスする
写真1~3 新美先生が愛用する品々。バッグには大切な資料が詰まっているのだろう
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第128回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

ビジネスロイヤーは売るためにどうすべきか考える

奥田 アメリカの法律家の多くはビジネスロイヤーということですが、具体的にはどんなイメージですか。

新美 例えば、アメリカのロースクールで、タックスロイヤー(税法専門の弁護士)志望の学生と話をしたことがあります。彼は会計学を勉強して、最終的には企業のタックス部門で働くつもりだといいます。訴訟弁護士なんて、およそ考えていません。ただし、訴訟になった場合には、負けないだけの資料を用意すると。

 日本の弁護士とはだいぶ印象が違うと思われるでしょうが、アメリカのビジネスロイヤーというのは、「このプロジェクトを、この国に売るためには、どうしたらいいか」をまず考えるんです。そのとき、法的な問題は何かということを考えます。これに対して、日本の弁護士のほとんどは裁判でどうなるかしか念頭に置きませんし、都合の悪い法律を変えようとする欧米的な発想はありません。ですから、日本の弁護士は海外に出て国際的に交渉するケースでは分が悪い。

奥田 ということは、日本の弁護士は「創造」よりも「運用」ということですか。

新美 規格の定まっているものをどうやるかということには強いですが、規格を変えるという発想はあまりないですね。
 

中国では、法律が安定的でないことを意識すべき

奥田 私どもBCNは、2013年、上海に子会社を設立し、2014年には『週刊BCN』上海支局を開設しました。中国の日系企業をずいぶん取材しているのですが、やはり法律の部分で日本とはかなり勝手が違うので、苦労しておられる会社も少なくないようです。

新美 私が初めて中国に行ったのは1978年で、まさに改革開放が始まったところでした。法律関係のミッションがあって、私は下っ端としてついていったのですが、団長が東京大学の加藤一郎先生でした。同時期に経済学関係のミッションもありました。そこでは、一橋大学の都留重人先生が団長でした。

 30代の頃、法律家としてみた中国の印象は、いまだに強烈です。法律といっても、党の指導の下につくられるものですから、党則のほうが優先されます。ですから、党がダメだといえば、法律は勝手に変えられるんですね。もう一つ驚いたことは、最高裁は最終判断をする場ではなく、監督審として下級裁判所の指導をするだけであること。何度も下級審に差し戻されて決着が最後までつきません。私たち日本人の考える法律に対する感覚が、まったく通用しなかった。

奥田 そのとき、中国のどこを訪問されたのですか。

新美 北京と上海の社会科学院に行って、内陸の武漢にも行きました。武漢大学には国際法の権威がいたんです。当時、80歳近い先生でした。

奥田 ということは、その先生は共産党が政権をとる前から法学者として活躍されていたということですか。

新美 おそらく、フランスに留学されていたのだと思います。中国は、文化大革命によって法律家を全部ダメにしてしまいました。そういう意味では、当時、中国には法律家は1人もいなかったんです。その国際法の先生も武漢のような中央から離れたところにいたために生き残れたのでしょう。私たちが北京に行ったとき、法律家としてきちんと活動していた人はほんのわずかでした。

奥田 当時、中国では法律家を養成するために、どのような教え方をしていたのでしょうか。

新美 ソ連(現ロシア)の共産主義の法律をそのまま教えていました。民法はどういう法律なのかと、大議論していた時代です。

奥田 共産主義下では、民法はないですよね。

新美 わが国でいうような民法はありません。計画経済ですから。ところが市場経済に移行しようとすると民法が必要になる。でも、まだ彼らは計画経済を捨ててはいませんでしたから、計画経済と市場経済をどうやって結びつけるかということに四苦八苦していたんです。

奥田 その後、民法はどんな変化をするのですか。

新美 原理原則だけを定めた「枠組み法」がまずでき、その後、民法典が整備されています。しかし、司法は、法を文字通りに適用するものであり、法の解釈をしてはならないという大方針があるため、党の指導の下、最高裁がいくつかの領域で「条令」というものをつくり、それが法としての実質的な役割を果たしてきています。条令はしばしば書き替えられるため、現在に至るまで、法律が法律として安定していないというのが実際のところです。

奥田 日本企業にひと言アドバイスをいただけますか。

新美 法律があるから、権力が恣意的にはならないと考えてはいけません。その法律がどう解釈されるかわからないと自覚する必要があるということですね。

奥田 中国はFTAなどを通じて、アジアでリーダーシップをとるといっていますね。

新美 その際に、中国国内でのルールメイキングの考え方をそのまま対外的にも適用するとなると、他国がそれに従うかどうかは疑問ですね。

 何年かかるかわかりませんが、中国が今のやり方のままでは独善的すぎると、いずれ気づくと思います。ただ、そのためには司法がもう少しきちんとしないといけない。法というものは公平であるべきものです。時の政権の都合でしばしば変えられてしまったら、それは法ではなくなります。中国がそれをどう自覚できるかが、一つの大きなカギになるでしょう。

 習近平氏が「法治主義」をその政治目標として掲げましたが、その法治とはなんなのか。rule of lawとrule by lawは違うといわれます。前者は権力を法で拘束する「法の支配」であるのに対し、後者は人民を統治するための法というニュアンスが強く、今の中国司法はrule by lawであるといえるでしょう。でも、本当に米中で世界のリーダーシップをとるというのなら、rule of lawにしないといけないでしょうね。

奥田 同感です。本日は有益なお話をうかがいました。ありがとうございました。

 

こぼれ話

 新美先生との対談日程が決まった。初対面の方なので事前準備に時間をかける。明治大学の法学部の先生である。弁護士でもある。新美先生はどんな方なのだろうか、と構えながら検索する。まず出てきたのが「明治大学の法学部大量留年事件」。24年前の出来事だ。検索記事を読み終えて、何とも強い信念をもっておられる方だ、と思わず唸ってしまった。

 対談当日の最初の質問は決まった。穏やかな雰囲気の先生は、当時の出来事をていねいに語り始めた。なぜ大きな話題になったのか、当時の社会状況を解説された。「学生の就職に関して、何らかの圧力がかかっていたんじゃないですかね」と。1991年3月のことである。バブル崩壊の直後で、就職氷河期はずっと後のことだ。今もそうだが、学生が商品になっているわけだ。

 新美先生の教育者としての決断が思わぬ影響を与えた出来事は、今も輝きを失ってはいない。

Profile

新美 育文

(にいみ いくふみ) 1948年、愛知県半田市生まれ。名古屋大学大学院修了。名城大学、筑波大学、横浜国立大学を経て、87年より明治大学法学部教授。専攻は民事法学、研究テーマは科学・技術の進歩と法。モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)の理事も務める。