《 歴代受賞者座談会 》ぼくたちの確かな歩みが後輩や先生方へのエールになる――第134回(下)
【BCN ITジュニア賞10周年記念企画】
構成・文/谷口一
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2015年04月27日号 vol.1577掲載
NPO法人ITジュニア育成交流協会は、20社のIT企業に協賛をいただいている。協賛企業のトップの方々からの熱いメッセージのタイトルだけでも紹介したい。「ITジュニアのパワーが明日の日本のIT業界、製造業を支える」「自分たちの手で新しい可能性を切り開こう!」「ITジュニアの皆さんはとても頼もしい存在」「日本発・天才ソフト開発者誕生に期待」「新しいことにチャレンジできる行動力と精神力を養おう!」──などなど。ITジュニアに対するIT業界の期待が読み取れる。きょう参加していただいた6人は、その期待に応える人材なので、頼もしいかぎりだ。次の世代につながっていってほしいと切に願う。(司会・進行 奥田喜久男 BCN会長兼社長 NPO法人ITジュニア育成交流協会ファウンダー)
最初はみんな緊張の面持ちだったが、座談会が進むにつれて笑顔が見られるようになってきた
2015.1.16/東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて
2015.1.16/東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて
写真1 秋山貴俊さん「自分で調べる人はみんな強いということを実感しています」
写真2 山崎将平さん(左)「先生の指導はちょっとずつ落ちてくる感じです。私たちもやる気が出てきました」
折川祐耶さん(右)「ITジュニア賞をいただいたというのは今も心の支えになっていて、仕事の励みになっています」
写真3 高橋勲さん「この先生が指導したチームや生徒が勝ちましたというのは絶対あるはず。表彰の推薦者に生徒たちの名前を入れてもいいと思います」
写真4 佐々木康汰さん(左)「(先生は)答えを明確に教えてくれるわけではないんですけれど、そこに私たちがたどり着くためのサポートを全力でやっていただきました」
大城泰平さん(右)「ぼくが学んだ久留米高専も放任主義の先生でした。先生は何も考えていないのではなく、いろいろ考えたうえで任せているんですね」
写真2 山崎将平さん(左)「先生の指導はちょっとずつ落ちてくる感じです。私たちもやる気が出てきました」
折川祐耶さん(右)「ITジュニア賞をいただいたというのは今も心の支えになっていて、仕事の励みになっています」
写真3 高橋勲さん「この先生が指導したチームや生徒が勝ちましたというのは絶対あるはず。表彰の推薦者に生徒たちの名前を入れてもいいと思います」
写真4 佐々木康汰さん(左)「(先生は)答えを明確に教えてくれるわけではないんですけれど、そこに私たちがたどり着くためのサポートを全力でやっていただきました」
大城泰平さん(右)「ぼくが学んだ久留米高専も放任主義の先生でした。先生は何も考えていないのではなく、いろいろ考えたうえで任せているんですね」
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
<1000分の第134回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
熱血と放任、その裏にみえる 教育への情熱
奥田 きょうは非常に優秀な学生・生徒だった方々に集まっていただいています。皆さんにとって、先生の役割とか存在価値とは、どういうものだったのでしょうか。高橋 われわれの学校(鈴鹿高専)は、基本は放任でした。学生としては、先生があれこれ指示するよりも、勝手にやらせてほしいと思っていました。ぼくらのときは高専プロコンの自由部門で、好きなものをつくるというジャンルだったので、自分たちの思う最高のプログラムをつくろうとしました。先生は、いろいろ裏で調整などをしてくださったんだろうなあと、いまになってすごく思いますね。卒業してから気づきましたが……。
高橋理事長 自由放任っていっても、何もない自由じゃなくて、土俵はちゃんとつくってあるんですよね。
奥田 宮城県工業高校といえば、名物先生がいらっしゃいますね。どんな存在でしたか。
佐々木 すごく安心感を与えてくださる先生です。目標を立てて、達成へのサポートを一生懸命していただきました。その道程や答えを明確に教えてくれるわけではないんですけれど、そこに私たちがたどり着くためのサポートを全力でやっていただきました。
奥田 「先生との出会いがなかったら、今の私はありません」という感じですか。
佐々木 その通りです。あの先生に出会ったことで、自分自身がかなり変わりました。
大城 ぼくが学んだ久留米高専も放任主義の先生でした。基本的には何も言ってこない。先生は何も考えていないのではなく、いろいろ考えたうえで任せているんですね。先生と話をしたときにそう感じました。大会に出場すると他の高専の先生と話す機会があるのですが、例えば沖縄高専の先生は、部活動をかなり取り仕切っていらっしゃった。高専ではすごく珍しいことなんですけれど、そういう話を聞いて、逆にうらやましいというところもありましたね(笑)。
山崎 私たち富山工業高校のパソコン部は大会出場経験のない部活動で、たまたまそのときに顧問になられた先生に「大会に出てみないか」と勧められて、「じゃあ出ようか」ということで、それがきっかけで2連覇……という流れでした。
奥田 先生のリードがよかったんですね。どんな指導だったんですか。
山崎 ときどきヒントを与えてくださるという指導でした。競技プログラムだったんですけれど、「これで大丈夫だろう」というものをつくって先生に見せると、「こういう敵が出てきたらどうなる」とか「こういうふうにやったらどうか」とか、そんなレスポンスをときどき落としてくれる。それが絶妙な落とし方なんです。どう表現すればいいのか難しいですが、例えば水を一度にジャバっとかけられると「もうやめてくれ」となりますが、先生の指導はそれがちょっとずつ落ちてくる感じです。私たちもやる気が出てきました。
奥田 富山工業高校の後輩の折川さんも同じような印象ですか。
折川 ええ。そういう流れがあって2連覇を果たせたのだと思います。
奥田 富山工業高校は、そのあと優勝がありませんが、その先生は転任されたのでしょうか。
山崎 そうです。別の工業高校に移られました。私自身、母校で教育実習をしたときに部を訪ねたら、部自体は存続して活動しているんですが、活発ではないというか……。母校に教員として戻ることがあれば、うまくレスポンスを落とす立場になりたいと思っています。
真木理事 高専の先生は、大きな囲いのなかでなるべく自由に、勝手にやらせて、そこからはみ出たときに注意する。あとは、チョコやアメ玉を用意する(笑)。工業高校の先生には、いわゆる熱血指導をする先生が多い。だから高校の場合、その先生が他校に移られたら部活動が弱くなってしまうということをよく聞きますね。
すばらしい先生の下でこそ逸材が輝く
秋山 ぼくら東濃実業高校の先生も放任主義でした。プログラミングを始めると、基本的には何も教えてくれない。参考図書だけを用意してくれて、自分たちでひたすら調べていました。当時はちょっと不満でした。でも、いつだったかは覚えていないのですが、先生から「自分で調べることができる人間は強い」という話を聞いたんです。そのときはあまりピンときていなかったんですが、大学でも会社でも、確かに自分で調べる人はみんな強いということを痛感しています。学生時代にベンチャー企業でアルバイトをしたときも、たしかに自分で調べ、自分で考えてやる人は強いんです。伸びる人と伸びない人の違いはそんなところにあると思います。放任主義にも理由があって、だからぼくも強くなれたと思います。高橋 受賞後、先生が「学生に自分たちでやっているんだと思わせたら、俺の勝ちだ」って言っておられて、このあたりを目指して指導されている先生もおられるんだと思います。
真木理事 先生にとっては、子どもたちがきちんと育って、大会で優勝するといった成果が出るのが一番うれしいらしいですね。
奥田 それは強く感じますね。
真木理事 技能五輪で企業から出場している選手たちを、かつての先生が応援に来るんですよ。「今は企業の社員だけれど、俺の教え子だから」って。自腹で応援に来るんですよ。
奥田 先生がすぐれていると、皆さんのような逸材が輝きを増すという気がします。今度は先生に賞を出さないといけないですね。
高橋 いいと思いますね。表彰されるときって、学校の名前と学生の名前は絶対に出ますけど、先生の名前はあまり出ませんよね、「この先生が指導したチームや生徒が勝ちました」というのは絶対あると思うんです。先生って、なかなか表彰される機会がないんですよね。
奥田 高橋理事長がプレゼンターになって、先生方に賞を渡すといいですね。
高橋理事長 先生といっしょに、ぜひとも皆さんに先輩としてこれから育ってくる若い人たちの応援団になっていただきたいですね。
奥田 そうですね。後輩たちに清々しい先輩の顔を見せてあげてください。
こぼれ話
「子どもは大人の背中を見て育つ」と幾度も繰り返しながら、大人のわが身に照らしてみると、怖い言葉だと、つくづく思う。BCN ITジュニア賞を創設して10年の節目になる。受賞者は延べ168人。最年長者は32歳だ。その『ITジュニア賞』受賞OBたちのうち、37人が当日の表彰式に集まって、現役の後輩たちにエールを送ってくれた。この様子を少し距離を開けて見守る先生たちは、目を細めながら実にうれしそうだ。こうした光景を見続けて10年になる。その間に、少しずつ師弟愛を垣間見てきた。最初は米子市で開かれた高専プロコンの大会の時だ。数百名の高専生と付添いの先生が全国から集まる。街じゅうがワイワイ賑わっている。大会は3日間行われるので、一泊、二泊目の夜はプログラムの更新開発に絶好の時間だ。夜が更けてからますます盛り上がる。乗り合わせたエレベータの中でも議論は白熱する。あれっ、あの方は先生らしいぞ。まるで兄弟のようだ。
その数年後、親しくなった先生が、他校に赴任された。元いた学校の名前は聞かれなくなり、赴任先の校名が2年後から登場した。「すぐれた子どもはすぐれた指導者の下で育つ」と思った。この言葉も噛みしめるほどに、厳しい言葉だなぁ、と心に刺さり始めた。そこで今回、すぐれた先生たちとの触れ合いを聞いてみた。すると、多くの教え子たちが「放任でした」という。次回は、先生方とBCN ITジュニア賞受賞者との座談会を企画したい。