自分が蔵を預かる時間はわずかだけど、360年の歴史をさらに伸ばしたい――第135回(上)

千人回峰(対談連載)

2015/05/14 00:00

小川 せいこ

田中酒造店 代表取締役社長 小川せいこ

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年05月11日号 vol.1578掲載

 由緒ある蔵の末娘で小さな頃から酒づくりの仕事を間近に見てきたとはいえ、専業主婦がいきなり蔵元の当主を引き継ぐというのは容易なことではない。それも、名前だけのお飾りではなく、酒づくりのプロセスを学び、実践し、ベテラン杜氏に負けない実力を身につけた当主である。伝統ある『君萬代』というブランドをただ守るだけでなく、さまざまな新しい試みや遊び心で取手の街を活性化させる小川せいこさんの表情は、とても明るくいきいきとしている。(本紙主幹・奥田喜久男)

2015.2.27/茨城・取手市の田中酒造店にて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第135回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

創業360年の老舗酒蔵を仕切る女性当主

奥田 こちらの酒蔵はいつから始まったのですか。

小川 明暦元年(1655年)創業ですから、今年はちょうど360周年なんです。いい時に来ていただきました。

奥田 1655年創業というと、今は何代目ですか。

小川 私で14代目になります。ただ、厳密には女性は当主になれないので、何代目とは言ってはいけないらしいです。今まで、女の人はつなぎだったので……。

奥田 どういう意味ですか。

小川 会社の登記簿をひもといていくと、何人か女性の名前はあるのですが、数えてみるとその人はカウントされていないんです。旦那さんが亡くなって、子どもがまだ小さいため、奥さんが当主になるようなケースですね。

奥田 「女帝は認めない」というような話ですね。

小川 蔵の中には女性は入ってはいけないといったきびしい世界だったので、当主とは認めないということがあったのかなと想像しています。祖母も社長になっているのですが、自分で何代目ということはなかったですね。

奥田 当主として、お酒をつくるほうは?

小川 お酒はここでつくっていますが、いまは杜氏を呼んでいません。私と主人の二人でつくっています。

奥田 二人でできるものなんですか?

小川 人手が必要なときは手伝ってもらったりしますが、麹づくりなど大事なところは二人でやるようにしています。酒づくりは11月初めから始まって、ようやくこの間(2月下旬)仕込みが終わったので、2月末までですね。あとは順次搾っていくわけです。

奥田 11月に仕込んだものはいつ頃搾るのですか。

小川 12月の初めには新酒として出ています。

奥田 2月に仕込んだものは3月ですか?

小川 2月に絞ったものは濾過するなど保存がきくような状態にして、ひと夏越させるものが多く、秋上がりというかたちで出します。

 搾って最初に出るのはにごり酒という、白くにごっているものですね。その次に出すのは、年によって違うのですが、本醸造か純米酒の無濾過の生原酒です。搾ったままのものを瓶詰めします。その次は、濾過して、火入れという熱処理をして、ひと夏越させるお酒をつくっていきます。

奥田 そういう商品のラインアップは、昔からずっと同じなのですか。

小川 スタンダードなものは、だいたい変わりませんね。そのほかに、今年つくってみたのは「大吟醸の斗瓶取り」です。斗瓶というのは一斗(18リットル)入る瓶のことで、そのミニチュアの720ミリリットルのものをつくりました。

 普通のお酒は横にして搾るのですが、大吟醸酒は鑑評会などに出品するため「袋吊り」といって、もろみを袋に入れて吊り、ゆっくりとポタポタとたれるしずくを集めて斗瓶に取るのです。斗瓶に取ったものにも、一番取り、二番取り、三番取りというものがあるので、その中で一番よいものを出品し、二番、三番は、小さいレプリカの斗瓶に詰めて売りに出しています。これは、この時期(2月末から3月初め)限定の商品で、毎年出すわけではありません。
 

「やらないで後悔するほうが、後悔の度合いが大きい」

奥田 360年間も家業をつないでいくということについて、どんな思いをおもちですか。

小川 私は4人姉妹の4番目なのですが、一番上の姉は蔵元になるべく、学校も醸造科を出て、必要な知識や教養を身につけさせられていました。でも、その姉は自分で会社をつくって、酒造とはまったく違う仕事に就いてしまったんです。そんな状況で、跡継ぎが決まらないうちに父の具合が悪くなってしまいました。一番上の姉が跡継ぎ娘といわれていたため、2番目も3番目も私もすでに結婚しており、継ぐつもりはさらさらなかったんです。2番目の姉にも3番目の姉にも、継ぐには無理な事情がありました。それで、たぶん4番目の私が、家業に一番冷たかったと思うんですよ。

奥田 ほう、それはどういうことですか。

小川 私は、今の会社の財務状況はよくないから、潰してみんなで山分けするのが一番だと言ったんです。借金が残っている蔵を預かる人もたいへんだし、その借金を返済してみんなが利益を得るためには、店を潰して更地にして売ればいいと。親類にそう説明したのですが、それがアダになったんでしょう。「それだけの分析ができるのだったら、あなたはできるわ」と。

奥田 よく、そこで跡を継ぐという決断ができましたね。

小川 そうですね。父が亡くなって、私がどうしようかと悩んでいたときに「やっても後悔するし、やらなくても後悔する。でも、やらないで後悔するほうが後悔の度合いが大きい」と主人が言ってくれたんです。

 たしかにそうだと思いました。やって失敗して後悔したとしても、その失敗をリカバリーするために頑張れる機会があるじゃないですか。でも、やらないで後悔すると、そのチャンスは二度とめぐってこないですよね。

奥田 なぜ、そういう人生訓のような言葉がスラスラ出てくるのですか。

小川 どうしてでしょう。おそらく、主人とよく話し合ったからだと思います。実は、私は小さい頃、やらないで後悔ばかりしていたんです。姉たちがいたので、たとえば習い事など「あれがやりたい」といっても「それは、お姉ちゃんが途中でやめちゃったからやってもムダよ」といわれれば、それで納得してしまう子どもでした。それを押しのけてまでやり続けるという意志もなく、失敗するかもしれないことに挑戦することはありませんでした。それを大人になってから振り返り、私はやらないことで後悔しているのかなと自覚したんですね。

奥田 よくそこに思いが至りましたね。ところで、本はよく読まれますか。

小川 はい、歴史小説が好きです。司馬遼太郎さんや宮城谷昌光さんなど、勉強になりますね。例えば『奇貨居くべし』を読んで、その言葉の意味を知るようになってから、私は取手の芸大生(東京芸術大学の学生)を可愛がるようになりました。この二階をギャラリーにしたのも、彼らの才能を人の目に触れさせたいと思ったからなんです。(つづく)

 

田中酒造店の建物内部

 建物自体はおよそ230~240年前に建てられたもの。瓦は土瓦で自然な風合いを醸し、重厚な梁もお気に入りの部分だそうだ。

Profile

小川 せいこ

(おがわ せいこ) 2004年、父親である先代当主の急逝により、田中酒造店代表取締役に就任。夫の貴由氏とともに創業360年の酒づくりの伝統を守り続け、新製品開発や地域振興、若手アーチスト支援などにも力を注ぐ。一女の母。「あそびぃな(遊び雛)会議室」代表も務める。