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コンピュータのなかには夢を実現する環境がある――第145回(下)

千人回峰(対談連載)

2015/10/15 00:00

堀内 征治

特定非営利活動法人高専プロコン交流育成協会顧問 国立長野工業高等専門学校名誉教授 前長野市教育長 堀内征治

構成・文/谷口一
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年10月12日号 vol.1599掲載

 堀内先生は多才だ。高専プロコンを立ち上げられ、長年にわたってその屋台骨を支えてこられた。情報教育の先生としてのお名前は全国に響きわたっている。そしてもう一つが、音楽家としての顔だ。長年にわたって、長野県合唱連盟の理事長や吹奏楽連盟の事務局長などの要職を務められ、小澤征爾さんが指揮する「千人の合唱」で3年にわたって指導もされた。人をまとめてやる気にさせる。慕われる秘訣は何なのだろうか。(本紙主幹・奥田喜久男)

2015.6.15/BCN本社にて
 

写真1 サイトウ・キネン・フェスティバル松本の「千人の合唱」の練習を指導
写真2 1997年には研究分野の「1/fゆらぎ」をやさしく解説した『ゆらぎの不思議』(信濃毎日新聞社)を上梓
写真3 1974年、新設なった電子計算機センターの研究室にて
写真4 昨年の第35回bitの会は東京で開催。5名の外部講師を招いて講演会を行った
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第145回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

孫弟子まで集まり盛り上がる 年に一度の「bitの会」

奥田 堀内先生は、教え子を集めたOB会をやっておられると聞いています。

堀内 はい、「bitの会」といいます。「1ビットの情報でも、集めていけば大きな情報が完成する」という思いからの命名です。いろんな方にお世話になりながら、年一回、6月の第一土曜日に、東京と長野で交互に開催しています。今年で36回を数えます。

奥田 始めたのは、教職に就かれて10年ほどたってからですか。

堀内 高専生活の第二期にあたる情報教育センター時代の頃の子どもたちが、やろうかと言ってくれて始めたんです。毎回50人は集まってくれますね。現在は堀内研究室のOBだけでなく、私の教え子で現在長野高専の教員である鈴木(宏)、岡田(学)、伊藤(祥一)先生の研究室のメンバーも含めてやっています。卒業生は全体では300人を超えて、すでに孫弟子もいます。

奥田 近い将来、「教え子の教え子」の研究室もできるかもしれませんね。

堀内 そうなるといいですね。せっかくの集まりなので、ただの飲み会にしたらつまらないですから、外部の方にも来ていただいて、講演会なども催しています。新しい話題を提供してもらいながら、みんなの日々の生活のなかでの思いとか、苦労話などで盛り上がりますね。みんな喜んで来てくれます。本当に教師冥利につきますね。

奥田 うらやましい限りです。そうなるまでには、さまざまなご苦労もあったかと思いますが、人を育てる極意のようなものを教えていただけますか。

堀内 私は、子どもたちの可能性というものを信じています。ですから、一人のずば抜けた人間をピックアップしてやっていくというよりは、チームでやってきました。チームで活動するなかで、一人ひとりが育っていく過程が好きですね。目が光っている子どもは、学力は別にしても、どんどん伸びていく。学校では個性をつぶさないようにすべきだと思っています。

奥田 子どもたちを、育んでいくコツのようなものはあるのでしょうか。

堀内 教師側から子どもたちに押しつけるというのは、経験の幅を狭めてしまうと思いますので、できるだけ押しつけない教育を大事にしてきました。はやりの言葉でいえば、課題探求型の教育ということですね。その意味では、環境をできるだけ整えてあげるというのが大事だと思います。最新のハード、ソフト、それに情報ですね。
 

教育と音楽には共通の要素がある

堀内 ちょっと自慢してもいいかな、と思うのは、私の授業は寝る子がいないんですよ。

奥田 それはすごい。何かコツがあるのですか。

堀内 一つにはリズム、もう一つは緊張感、そして最後は関心を引くためのネタですね。

奥田 リズムというのは、具体的にはどんなことでしょう。

堀内 これは、私の研究テーマである「1/fゆらぎ」に関係があります。刺激だけだと人間は疲れてしまう。規則的なものがつながると眠くなってしまう。どちらかに偏っていてはダメなんです。両方がうまく混じり合った環境をつくるということですね。

奥田 それは合唱を長くおやりになっていることと関係があるのでしょうか。

堀内 たしかに音楽はリズムがあって、「ゆらぎ」という言葉がしっくりきます。多少影響があるかもしれません。

奥田 二番目の緊張感とはどういうことですか。

堀内 子どもたちに「学ぶということが、自分にとってどういうものか」をわかってもらって、「この瞬間を逃してはいけない」と思ってもらうことですね。

奥田 そのコツを教えてください。

堀内 言葉のトーンですとか、対面したときの目と目の合わせ方とか、そういう対人的なものです。ちょっと気になる子は、そばに行ってやるとか。常に子どもたちとの間でネットワークが通じていることですね。

奥田 同じことをみんなに投げかけているけど、一人ひとりと別の会話をしているという。いいかえると、指揮者ですかね。スコアを各人に任せて、みんなが最高の音をだすために、一人ずつと会話する。

堀内 音楽の場合も、それぞれが自分たちの役割をもっていますが、コンダクターがいないとまとまってこないので、各人に対してコンタクトが非常に重要ですね。

奥田 音楽との接点はいつごろからなんでしょうか。

堀内 中学校の担任の先生が音楽の先生で、非常に大きな影響を受けました。先生は、いわゆるコンクールで優勝するという教え方ではなくて、音楽というのは、人生を楽しく豊かにするものであるという、教えでした。

奥田 「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(※1)」には、どんな経緯で参加されたのですか。

堀内 1998年の冬季オリンピック長野大会の開会式で、小澤征爾先生の指揮で『歓喜の歌(ベートーヴェンの交響曲第9番)』の大合唱を行いました。そのときに長野県合唱連盟の一員としてお手伝いしたご縁です。その後、2000年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本で1000人の合唱を、という企画があって、小澤先生にお引き渡しする前段階での練習指導者としてお手伝いをしました。

奥田 普通ではありえないことですね。

堀内 そうですね。一人じゃなくて、アシスタント指揮者が数人いらして。アマチュアは私だけでした。大変うれしかったのは、カーテンコールのときに私たちも呼ばれて紹介していただいたことです。

奥田 貴重なご経験ですね。先生はいろんな立場で、いろんな方とお会いされていると思いますが、「人とはなんぞや」と思ってらっしゃるのでしょうか。

堀内 やはり、つながりというんでしょうか。教えることによって、教えられますね。人は一人ではなにもできない。人は連携することによってものごとをなしとげていける。連携するなかで、いかに一人ひとりの気持ちを大事にしていくかということじゃないかと思いますね。

奥田 教育者としても音楽者としても、すごい人生を送ってこられました。今日はありがとうございました。

 

こぼれ話

「先生、ありがとうございます」と堀内先生にお会いする時は、まずこの言葉が先にでる。その訳は、全国高等専門学校プログラミングコンテスト「第16回米子大会」に参加した時に遡る。前年からお願いしていた案件に対して、「学生たちを来年開催される『BCN AWARD 2006』に参加させることができます」と承諾していただいたのだ。「おおっ!」。これで高専プロコンで優勝した学生たちを、BCN AWARDに招くことができる。

 表彰式の会場では子どもたちに大人たちの喜ぶ姿を見てもらい、子どもたちには『BCN ITジュニア賞』を大人たちの前で授与する。これで大人と子どもの感動の世代循環が成立する。こんな意(おもい)が実現することになった瞬間だった。

 あれから10年になる。「子どもたちを育てる」という、燃え尽きることのない情熱をもっておられる堀内先生の情熱の源に触れたい。教育長のお役目を退任されたことによって、今回、ようやくこの対談が実現した。次回お会いしたら質問したいことがある。小澤征爾さんの名前の由来は知っている。堀内先生の“征治”の由来を聞いてみよう。


※1
サイトウ・キネン・フェスティバル松本
桐朋学園大学で教鞭をとっていた指揮者・チェロ演奏家の齋藤秀雄(1902 ~ 74)没後10年にあたる1984年、小澤征爾の呼びかけによって、齋藤に師事した演奏家、桐朋学園大学出身の演奏家が集まり、サイトウ・キネン・オーケストラを結成。小澤征爾総監督の下、オーケストラとオペラを柱とする音楽祭として1992年9月にスタートした。今年、「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に名称を変更

Profile

堀内 征治

(ほりうち せいじ) 1968年、信州大学工学部機械工学科を卒業し、長野工業高等専門学校で教員生活に入る。電子制御工学科・電子情報工学科教授。2009年、長野高専を退任し、長野市教育長に就任。2009~13年にはNPO法人高専プロコン交流育成協会(NAPROCK)理事長を、また2000年から14年にわたって長野県合唱連盟理事長を務めた。