日中韓がアジア経済をリードし世界秩序の安定につなげる――第151回(下)
瀬口 清之
キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2016年01月11日号 vol.1611掲載
「徳」という字は、奈良時代まで「いきおい」と読んだんです、と瀬口さんが言う。なぜかとたずねると、いつも目の前の困っている人を助け、そうした「徳」を積み重ねていけば、やがてその人のまわりには常に人の輪ができて、大きな勢いが生まれるからだと。中国古典の師から学んだ話とのことだが、瀬口さん自身がこの逸話を自ら体現しているように感じられる。お話をうかがっているうちに、自分の活動を通じて「みんなのためになりたい」という熱い思いが伝わってきたからだ。(本紙主幹・奥田喜久男 構成・小林茂樹 写真・津島隆雄)
写真2 自由な立場で情報発信される瀬口さんの声は、ぶれることのない貴重な情報である。笑顔がとても人なつっこい。だから万国共通で好かれるのだろう。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
中国が「マーケット慣れ」するのは時間の問題
奥田 現在の中国経済の状況は、およそ30年前の日本のレベルというお話ですが、当時の日本にそのまま重ね合わせて考えていいのでしょうか?瀬口 日本は、明治維新からそろそろ150年ですが、150年かけて市場経済の仕組みを取り入れてきたといえます。ところが中国は、1990年代の前半くらいまでは計画経済でしたから、まだマーケットに慣れていないという違いがあります。今、中国はいろいろなところで市場化を進めていますが、そうした背景があるゆえに壁にぶつかって非常に苦労しています。
奥田 マーケットに慣れていないというのは、どういうことですか?
瀬口 中国政府は、基本的に何でもコントロールできると思っているのですが、市場もコントロールできるという認識の誤りが表面化する事態が、今年(2015年)続々と起きてしまいました。中国の株式市場は08年のリーマン・ショックの後、ずっと低迷していました。10年の初頭には信用取引が解禁されましたが、市場は低調なままでした。ところが、14年11月から突然相場が上がり始めて信用取引が活発になり、やがて市場は過熱してきました。そこで政府は信用取引に規制をかけて、株価の高騰を抑えようとしたのです。
奥田 株式市場も意のままになると……。
瀬口 先進国の金融関係者は、信用取引に規制をかけたらマーケットがどう反応するかわかっていますが、中国は信用取引を導入して間もないため、それを規制すればどういう反応が起こるかということをおそらく把握していなかったのでしょう。規制をかけると発表した翌営業日には大暴落です。政府は慌ててその勢いを止めようとしましたが、一気にマーケット全体が下がるときは対処のしようがありません。その後、外国為替市場でも、元安をコントロールしきれない状況が起こりました。政府が止めようとしても止まらないマーケットが存在することを実感したと思いますね。
奥田 日本では、そうした失敗をいつ頃経験しているのですか?
瀬口 有名なところでは、72年に外国為替市場が変動相場制に移行したとき、混乱が起きたまま、いたずらにドル買いの介入を繰り返し、結果的に大きな損を出した経験があります。
奥田 そういうことは、経験知として残るものですか?
瀬口 残ってはいきますが、失敗は繰り返します。財務省が強引な為替介入によって大損したことは何度もありますし、バブル期に日本の機関投資家が海外資産の運用に失敗して巨額の損失を出したこともありました。
奥田 そうした失敗から学んで、中国は何年後くらいに日本並みになりそうですか?
瀬口 たぶん、数年で追いつくでしょう。もともと中国人のほうがマーケットに対する感覚が鋭く、投機が大好きで、マーケットと常に向き合う癖があるからです。いずれ日本人よりも機敏に動くようになるだろうと思います。
中国を成長させることで、日本も成長する
奥田 瀬口さんは、中国の専門家として多くの場で発言されていますが、留意されていることはありますか。瀬口 私心をもたないことです。私利私欲ではなく、みんなのために発言することを心がけています。日本人も中国人も米国人も、みんなが幸せになる方法はないかと。
奥田 そんな方法はあるのでしょうか?
瀬口 あると思います。安保の面では難しい部分がありますが、経済の面ではできると考えています。とくに、日中韓の三国が緊密に協力しあってアジア経済をリードすれば、世界の経済発展に大きな貢献をして、世界秩序の安定にも寄与できるというのが私の持論なんです。
奥田 なるほど。その三国にフォーカスするBCNにとっても心強い発言ですね。
瀬口 中国の発展は、日本が提供した技術によって支えられている部分がかなりあります。技術が中国に流れて、日本が追いつかれるのではないかという意見をよく聞きますが、中国に技術を教えて発展させるくらいでないと日本の発展はありません。日本だけが成長するよりも、その10倍の規模をもつ中国とともに成長したほうが、アジア経済、ひいては世界経済に有益なはずです。
奥田 元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが中国杭州のチームの指揮をとったとき、アジアで日本がもっと強くなって世界に挑戦するためには、中国に技術を伝授して強くなってもらう必要がある。だから中国に行って教えると言いました。私は、感銘を受けましたね。
瀬口 まさにそういうことだと思います。私たちも中国人民銀行に日銀のもつあらゆる知識を伝えてきました。だから人民銀行と日銀は、日中関係が悪くなっても、往来が途切れることも信頼関係が崩れることもありません。
奥田 とはいえ、ここ数年「嫌中」のムードが高まっています。瀬口さんとしては、日本人に対して、中国はそれほど嫌な国ではないと……。
瀬口 そうは言いません。現実は現実として捉え、多くの人たちがそうでなくても、自分は中国のいいところを好きになればいいという立場です。
これは中国古典の師匠から教わったのですが、「正」という字は「一」と「止」で構成されています。この一線で止まることが正しいということを意味しており、この「一」が「規範」を表しています。日本が世界のなかでどんな立ち位置をとるかというとき、日本は常に横をみる「横並び」の癖がありますが、それは自分自身の規範がしっかりしていないためです。こうした「嫌中」の問題にも自分のもつ規範にしたがって対処すべきだと考えます。
奥田 なるほど、そこに規範という一本の芯が通っているわけですね。私も中国や中国の人のことが好きですが、瀬口さんもかなり中国に入れ込んでおられる。改めてうかがいますが、その理由はどこにあるのでしょうか?
瀬口 大親友がいるからです。尊敬している師のような人物もいれば、政権の中枢で奮闘する志の高い人もいます。でも、私は国籍にはこだわりません。米国人でも中国人でも、親友であることに違いはないのですから。
こぼれ話
中国と日本の関係は地球儀的には遣唐使の頃と変わらない。それなのに政治の世界では5年周期で雰囲気が行ったり来たりしている。この5年の間に日中の距離は開きに開いた。身近な人たちに嫌中の人が増えた。そんな方々から「中国の仕事はこれからも続けるの」「なぜ続けるの」と聞かれる。2年ほど前に元中国大使の宮本雄二さんに講演していただいた。その時に著書『これから、中国とどう付き合うか』(日本経済新聞出版社刊)に署名をいただいた。添えられた言葉は“義”。「中国の人はこの言葉を大切にしていますよ」。
宮本さんの日中関係に対する姿勢はぶれない。ぶれない人の言葉を聞かないと中国事業の軸がぶれそうな時がある。ぶれない人がもう一人いる。瀬口清之さんだ。以前からお会いしたいと願っていた。中国情報といえば瀬口さんとなる。中国はもちろんだが、米国にも頻繁に通って情報のバランスをとっておられる。2016年は習近平時代の方向が明確になりそうだ。瀬口評はさらに重要度を増す。まずは新年号を飾っていただいた。
Profile
瀬口 清之
(せぐち きよゆき) 1982年、東京大学経済学部卒業、日本銀行入行。91年4月、在中国日本国大使館経済部書記官。2004年9月、米国ランド研究所にて日米中三国間の政治・外交・経済関係について研究。06年3月、北京事務所長。08年12月、国際局企画役。09年3月、日本銀行退職。同年4月、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹に就任するとともに、10年11月、アジアブリッジを設立し代表取締役を務める。