高度な技術力と意地で F1チームの 無線システムを支える――第161回(上)
JVCケンウッド 無線システム事業部 プロダクト開発統括部 プロダクトマネジメント部 技術法規グループ
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2016年05月30日号 vol.1630掲載
F1サーキットでのエンジン音は凄まじい。およそ120デシベル。騒音というよりは爆音。ジェット機のエンジン直下と同じくらいの音量なのだそうな。そうした環境下で、ドライバーと大人数のメカニッククルーのコミュニケーションを支える無線システムを提供するJVCケンウッド。25年間にわたり、F1の名門マクラーレンの信頼を勝ち得てきた。あのアイルトン・セナのヘルメットに“KENWOOD”のロゴが今も輝く。その背景には、脈々と受け継がれてきた技術革新と改善、そして技術者一人ひとりの責任感と意地があるように感じられる。(本紙主幹・奥田喜久男)
2016.2.17/横浜市緑区のJVCケンウッド白山事業所にて
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
<1000分の第161回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
常に完璧な無線システムを目指す
奥田 F1レースでの無線は表舞台には出ない存在ですが、その重要度はどのくらいのものなのでしょうか。松田 無線システムは、ドライバーと話す唯一のコミュニケーションの手段です。チームの戦略を伝えたり、ピットインのタイミングの指示、ドライバーから情報を報告するなど、すべて無線を利用します。無線なしではチームを勝利に導くことはできないと思います。
奥田 無線システムの優劣で、勝負が決まったと感じられたことはありましたか。
松田 勝負が決まるというよりは、通信できる環境があたりまえの環境なので、電波干渉などで音声が聞こえなくなるようなトラブルを起こすことなく、完璧なシステムを提供しなければならないという気持ちが強いですね。
奥田 常に完璧を求められているわけですね。
及川 でも、レース中にトラブルが起こって、急いで原因を追求したり部品を交換したりということは何度もあります。100%完璧にとは思っていますが、実際にはなかなかそうはいきません。
奥田 素人にはF1での通信といっても、放送されるドライバーとピットのやり取りくらいしか想像できないのですが……。
松田 実は放送される音声はものすごくわずかで、全体の1%くらいです。ガレージのなかではたくさんの人たちが、せわしく会話のやりとりをしています。
奥田 その音声は全員が聞いているんですか。
松田 マクラーレンホンダのドライバーは、現在フェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンの2人ですが、担当するエンジニアごとにチャンネルを分けたり、アロンソ側とバトン側と分けて指示を出したりとかなり複雑です。
奥田 相当大がかりなシステムなんですね。
及川 マクラーレンチームが使用している無線機は、私たちのNEXEDGEというモデルをベースにしてカスタマイズしたものですが、車両に搭載する車載機、基地局にクロスバンドレピーターと呼ばれる中継機、クルーが着けているポータブル無線機とヘッドセット、そして有線システムを使う人たちが無線機とつながるために有線システムにつなぐ無線機(ピットラジオ&インターカム)の4要素で構成されています。
奥田 無線機は、全部で何台くらいあるのですか。
松田 クルーに100台、車載機と中継機はクルマが2台なので2台、ピットラジオ&インターカムはチャンネルごとに。
奥田 クルーだけで100人ですか。
松田 人によっては二つの無線機を使うこともあるので、実際には80人くらいですね。
車載無線機を400グラムから120グラムに!
奥田 お話をうかがっていると、F1そのものの仕組みがわからないとなかなか対応できないことがわかります。1991年に最初に無線システムを請け負ったときは大変だったでしょうね。及川 おそらく試行錯誤を重ねて、システムのつくり方や、周波数がいくつ必要なのかといったことについて、徐々に会得し、改善してきたのだと思います。
奥田 マクラーレンへのサポートを始めて今年で25年、一昨年に400戦を達成されましたが、それはすごい数字なのですか。
笠原 たぶん、日本の会社では初めてです。ドライバーの場合も200戦とか300戦でマクラーレンがセレモニーを開いてくれますが、それと同様、400戦というのはかなりの数字だと思います。
奥田 それだけ長い間サポートを続けてきたということは、難しい要望に応え続けてきたということでしょうね。
松田 マクラーレンが私たちに要求する無線の性能は、民生品であるNEXEDGEの機能でカバーできる部分もありますが、それに加えて、エンジン音が大きいので音質を向上させるといったF1ならでは機能が求められます。電波妨害を受けた場合のシステムの復旧策、セキュリティ性能の向上、バックグラウンドノイズの低減、車載機の小型化・軽量化なども同様ですね。
奥田 ときには無理難題もあるのですか。
及川 ありますね(笑)。例えば、一代前の車載機の重さは400グラムほどでした。かなり長期間使われてきたので、マクラーレンから新しいモデルに代えてほしいと要望されました。そこで、マクラーレン本社にミーティングに行くと、担当の方が、手元にあったエアコンのリモコンくらいのサイズにできないかと。彼らは無線機のメカニズムにはまったく興味がありませんので、結論ありきなんですね。
奥田 厳しいですね。
及川 私たち設計者は経験があるだけに、頭のなかで「それは無理だよ」と思いがちです。でも、そのときは「ああ、そうですか」と。マクラーレン側も純粋にそれがほしいといっているのですから、いかに不要なものをそぎ落とすかと考え、軽量化するためにディスプレイやボタンのついた操作部をつけませんでした。
奥田 それで使えるのですか。
及川 走行中に無線のディスプレイを見るドライバーはいません。ステアリングについている送信ボタンだけあればいいのです。その結果、400グラムが120グラムにまで軽量化することができました。
奥田 それはすごい。でも、そういう要望を出されて「そりゃ小さすぎるよ」とは言えないわけですか。
及川 絶句して何も言えませんでした。ふだんのミーティングでもそうですが「いや無理だよ」というとそこで話が終わってしまうので、ちょっと考えるんです。ただ、「リモコンの大きさに」と言われたときは、無理だと言いたかったですけど(笑)。
島村 F1を25年やってきて思うのは、お客さんの要望をこれほど直接的に受けるプロジェクトは他にないということです。現場で猶予なしに厳しい要求がなされ、それに応えなければいけないので、F1の現場を離れて量産品の設計などに携わるようになっても、その経験が生かされていると思いますね。
奥田 マクラーレンの無理難題が、会社全体の技術レベルを上げているということですね。
(つづく)