社内の結束をはかり、社員・家族に「紙」で届ける社内報――第172回(下)

千人回峰(対談連載)

2016/11/28 00:00

あゆみ

あゆみ

大塚商会 社内報

構成・文/浅井美江

 前回、コミュニケーションの形は、時代によって変化すると書いたが、メディアについても、また然り。“デジタル”の出現は、既存のメディアに大きな変革をもたらした。とりわけ、“紙”に対する影響の大きさはここで言うまでもない。御多分に洩れず『あゆみ』もある時期、ネットに置き換わった方がよいのでは、という論議がなされたという。しかし、『あゆみ』は紙という形で現在に至り、未来に向かっている。『あゆみ』が紙として存在できているのはなぜなのか。紙に携わる者として、たずねてみた。(本紙主幹・奥田喜久男)

 


初期の『あゆみ』
創刊当時はすべて手書きだったのが、9号(左)では活字と写真が、
12号(右)ではタイプ印刷に。

 


(左)支店のおすすめスポット
本号より始まった広域支店紹介。第1弾となった神戸支店岩宮支店長率いるチームが「神戸北野ホテル」など
おすすめスポットを紹介。配布と同時に、社内外から反響が大きく好評とのこと。

 
(右)Family
社員の結婚、赤ちゃん誕生などの情報が満載の「Family」ページ。記事掲載は社員の自由意志だが、
ほとんどの社員が希望するという。自分の子供の掲載号は記念に取ってある社員も多いとか。

 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第172回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

夢にまでみるネタ探し

奥田 前回のお話では、各支店の営業部が持ち回りで制作されていたということでしたが、現在は?

あゆみ 当初、編集は各支店が交代で担当していましたが、その後総務部の担当を経て、2001年から広報部門『あゆみ』編集部が担当しています。

奥田 編集部は専任ですか。

あゆみ 専任ではなく、広報・IR課を中心に社員4人が兼任しています。

奥田 発行のサイクルはどのくらいでしょう。

あゆみ 1月、3月、5月、8月、11月、12月の年6回です。

奥田 誌面に入れるニュースの選定はどのようにされているのでしょう。

あゆみ 発行の2か月前くらいに、4人が編集会議をしています。ざっくばらんな形で話しているようですよ。このネタは入れた方がいいよね、とか。また、全国に編集委員が約150人おりますので、その方々にアンケートをお願いしたり、ネタを探してもらったり。

奥田 150人もいらっしゃるのであれば、たくさん集まりそうですね。

あゆみ いえ、なかなか大変なようです。集まらない時は、ネタ探しを夢にまでみるという編集担当もいるとか……。

奥田 それは大変だ。2か月くらい前に編集会議をして、企画が決まって原稿依頼という流れですかね。

あゆみ 少し早めに動いているので、会議の段階では空白ページも残してあるようですが。

奥田 編集方針というのは一貫しているのですか。

あゆみ 実は404号(2001年)までは、どちらかというと“会社から社員に伝える”という性格が強かったのです。社員の近況やプライベートに関するページも少なくて。当時の担当部署の方の言葉で、今でも使っているのが「前半分と後ろ半分」という言い方があります。

奥田 それは『あゆみ』誌面の前半と後半という意味でしょうか。

あゆみ 前半分は、会社からの伝達、というか社員に伝えたい事項、後ろ半分は社員のプライベートなことやコミュニケーションにあたるページです。前と後ろ、全体のバランスは取りつつも、少しずつ後ろを大きくしていきたいなという思いはあるようです。

奥田 表紙についておうかがいしたいのですが、現在は世界遺産シリーズですよね。確かカレンダーも世界遺産だと思うのですが……

あゆみ 大塚商会は2000年に東証一部に上場したのですが、これに合わせてオリジナルのカレンダーを作成することになったのです。その際、ITを前面に打ち出すよりは、風景写真などで親しみやすさを出したいと。これは、弊社のミッションステートメント「目標」のなかに、「自然や社会とやさしく共存共栄する先進的な企業グループとなる」もありまして。

奥田 それはどなたが進められたのですか。

あゆみ 当時、副社長であった大塚裕司です。いくつかの候補のなかから、継続性や知名度などを考慮して、世界遺産シリーズに決まりました。カレンダーは2000年にスタート。カレンダーに使用する写真(場所や季節)は、スタート時からずっと大塚裕司が選定しています。『あゆみ』の表紙が世界遺産と連動するようになったのは、その1年後からです。
 

“紙”だからこそ、持って帰って家族で楽しめる

奥田 出版に携わる者として、紙とウェブというのは大きな命題です。『週刊BCN』も紙媒体であり、ウェブへの移行というのは会社存続に関わる大きな問題になります。私自身は紙の役割というか特性を知っていますし、愛着もあるので「やめない」ということで、ずっときているのですが。『あゆみ』はそういう問題には遭遇されたのでしょうか。

あゆみ 2000年頃にイントラネットが普及し、ウェブへの意識が高まっている時期に、2か月に1回のペースで発行される紙の社内報がコミュニケーションツールとして、どこまで役に立つんだろうという意見が出始めました。

奥田 紙をやめて、ウェブの社内報にした方がいいんじゃないかと。

あゆみ 折しも、IT不況といわれている時代で、経費削減が叫ばれてもおりました。紙で発行するのはムダじゃないか、ウェブにすればすむんじゃないかという意見もありました。社内イントラネットやグループウェアが急速に社会のなかに広まっていたこともあって、そちらの活用も考えるといった事情もあったと思います。

奥田 他の会社でも耳にしたことがありますね。

あゆみ 当時グループウェアには、社員が自由に書き込める掲示板のようなものはあったのですが、書き込んでいるのは一部の少数の社員だけで、そこに社内報というものを乗せるのは、やはり無理があると。また、同時期、定年退職される方が出始めていて、「やはり紙で読みたい」という意見をいただくようになったんです。いろいろなことを鑑みた結果、あえてウェブにする必要はないんじゃないかということになりました。そのことについては、ずいぶん試行錯誤もしたようですが。

奥田 最終的に、紙でいくという意思決定はどなたがされたのですか。

あゆみ 現社長の大塚裕司です。

奥田 当時、何かの機会に大塚裕司社長が「『あゆみ』は絶対“紙”をやめません」と、きっぱりおっしゃったことが記憶に残っているんです。

あゆみ そんなことがあったのですね。

奥田 非常に印象に残っています。そうして“紙”に決まった後、01年にリニューアルされたんですよね。

あゆみ 01年が創立40年で社長が大塚実から大塚裕司に交代いたしました。それを機に、リニューアルをしたんです。判型をB5判からA4判にして、フルカラーに。写真も増やして、ヨコ組にしてと、ずいぶん変わりました。

奥田 結局のところ、『あゆみ』は、紙でよかったということでしょうか。

あゆみ その時には、とくに「紙でよかった」という話題にはならなかったようです。でも、社内報をウェブにしてしまうと家族が読めなくなるねという意見はありましたし、今もあります。

奥田 それは確かにそうですね。

あゆみ 紙だからこそ、持って帰って家族で楽しむことができるねと。例えば、自分の子どもが掲載された号は親御さんにとってはいわば宝物。掲載号は大事に保管してある社員も多いようですし、なかには、お子さんが結婚される時、自分では保管していないんだが、確か掲載されたはずなので、その時の号がほしいと探しにくる社員もいるようです(笑)。弊社には「社員とその家族のために」という創業理念があります。社員だけでなく、家族の方々にも読んでいただきたいので、紙という形を継続していきたいと思っています。

奥田 いい話ですね。紙だからこそ宝物になる、家族に読んでいただける。もしかしたら、ウェブになっていたら、『あゆみ』そのものがなくなっていたかもしれませんね。

あゆみ そうかもしれません。そういう言葉を聞くことも、実はあります。

奥田 そうですか! そこ、ちょっと大きく書かせていただこうかな(笑)。今日は本当に貴重なお話をありがとうございました。どうぞ600号を目指して、頑張ってください。
 

こぼれ話

 メディアの仕事に携わって、45年が経つ。取材先の企業からは毎日いろいろな情報が流れてくる。記者会見の通知、新製品のニュースリリース、展示会案内、株主総会資料、そして社内報だ。大半はネットで送られてくるが、紙に印刷した社内報もある。結論からいうと、ネットで送られてくる社内報はそのまま削除することが多い。これは紙慣れした私の場合だ。

 大塚商会の社内報『あゆみ』を手にするようになったのは、取材担当になった1979年頃からだ。毎号事業内容が掲載されているので、必ず目を通す。二代目社長の大塚裕司さんが就任されてからも基本的なテイストは引き継がれている。ネットの時代になったことと、リーマン・ショックを境にして紙の社内報が減ったように感じる。
 


「あゆみ」編集チームの秘書課・毛利寿代さん(左)と広報・IR課の岸朋美さん

 総じて短命な社内報のなかにあって、500号52年の発刊は立派さを超えて企業の信念すら感じる。いつものように手にした『あゆみ』に目を通しているうちに、500号であることに気づいた。さてさて幾人の大塚社員の方々が登場したのであろうかと思いを巡らしているうちに、『あゆみ』は人格を形成していると感じた。そうだ『千人回峰』に登場していただこう、と相成った次第である。いかがでしたでしょうか。