目指すは、今世紀の教育改革。21世紀の福澤諭吉になりたいと思っています――第207回(下)
水野雄介
ライフイズテック 代表取締役CEO
構成・文/浅井美江
撮影/松嶋優子
週刊BCN 2018年4月30日・5月7日付 vol.1725掲載
水野さんに企業家として思う人は誰かとたずねたら「盛田さんです」と即答した。SONYの冠もなくフルネームでもなく盛田さん。出会いは盛田さんの著書。考え方もブランディングも組織づくりもファイナンスも含めて、水野さんがビジネスに対してもっているイメージに近いという。そういえば人相が似てるかなと言ったら、「ほんとですか!最高です」とさわやかに笑った。盛田さんも物理出身である。E=MC2の理論でつながっているのかもしれない。(本紙主幹・奥田喜久男)
2018.2.22/ライフイズテック 会議室にて
「教育のために一生を使おう」
心が決まった非常勤講師時代
奥田 水野さんは小さい頃から何かにこだわるところがありましたか。水野 今思うとかなりあったと思います。僕、物理が好きなんですがその理由は、“本質をシンプル化する”からです。アインシュタインの特殊相対性理論 E=MC2って、すごくシンプルなのにさまざまな原理をすべて表すことができる。眼でみると複雑なことが実にシンプルに表現されるところにすごく興味がありました。だから、人間はなぜ生きるのか、幸せとは何なのか、自分とは何のために生きるのか――など考えていましたね。
奥田 それは何歳くらいの時ですか。
水野 18から20歳くらいです。それまではずっと野球一色でした。
奥田 野球はいつ頃からですか。
水野 始めたのは小学校2年生で高校3年まで一筋でした。高校は進学校でしたからチーム自体はそんなに強くなかったんですが……。
奥田 進学校にいながら野球に熱中。そして物理好き(笑)。大学は?
水野 慶應です。京都大学に行きたかったんですが落ちてしまって。
奥田 京大くらいだと落ちたことも自慢になりますね(笑)
水野 いや、そんなことはないです。自慢にならないです。
奥田 卒業されてどうされたんですか。
水野 大学院に行ったんですが、週に2~3回開成高校の非常勤教師をやっていて。この時に“中・高生の教育のために一生を使おう”と決めました。
奥田 いつ決めたとか、明確な日にちはあるんですか。
水野 それはないです。でもすごくやりがいがあるというか、尊いというか、気持ちがいい仕事だなと。
奥田 水野さんの“幸せ”の定義に合致した。
水野 中・高生のために自分の時間を使うことが、自分の幸せにつながると確信しました。
奥田 2年間大学院に行きながら教師を務められて、その後はどうされたんでしょう。
水野 正式に教師になろうと思ったのですが、社会経験がないままでは子どもたちに伝えることができないと考え、3年間と期限を決めて就職しました。でも、勤めている間に教育自体を変えたいという思いが強くなって、教育変革にチャレンジしようと。
奥田 それで起業された。現在、手がけられているITキャンプについてうかがいます。2011年のスタートからこれまで延べ2万5000人が参加されたとのことですが、ゴールの完成図を100とすると現在はどのくらいの完成度ですか。
水野 7~8割はできていると思います。ここ2年くらいで8割まで行けたかなと。
奥田 あとの2~3割はなんでしょう。三つ挙げていただけますか。
水野 う~ん。ぱっと浮かぶのはリピート率が10割でないこと。二つめはカリキュラムと教える大学生の質の向上。年に1度募集をかけて絞り込んで採用し、100時間の研修をして受かった大学生だけが現場に出て中・高生に教える仕組みなのですが、そこの成長がないといいものが還元できません。
奥田 私は確信をもって言えるんですが、教える側の先生は本当に大事です。子どもたちへの影響はとても大きい。だから大学生の質を上げるのはとても
重要なことだと思いますね。それで最後の一つは。
水野 外部との連携です。既存の中学や高校、地方自治体、国や企業などの外部をより強く巻き込むことによって、新しいカリキュラムや環境が提供できたり、まわりに啓発できたりします。
共感してもらえる
チームであることが大事
奥田 先ほど挙げていただいた三つに売り上げは出てこないんですね。水野 出てこないです。
奥田 どうしてですか。事業ではないと……。
水野 いえ、もちろん事業です。
奥田 売り上げ、収益は事業において成長の源泉ですよね。
水野 売り上げが成長の源泉かというと……。サービスの質が源泉だと考えているので。売り上げはあとからついてくるというか。
奥田 サービスは貧困であれば貧困のサービスしかできないですよね。例えば慶應は豊かな財務内容だと思う。そして豊かではない大学はやはりそれなりのように感じる。となると、教育においても経営者としての収益というのは重要じゃないかと思うんですが。
水野 サステナブルにずっと継続するという意味で、売り上げを伸ばすことはもちろん重要だと思います。ただ、それを目標にしたことはありません。子どもたちに、僕たちがいいと思っている教育を届けて、一人でも多くの子どもたちの人生がよくなればいいなと思っています。ただ、インパクトだけを追い求めて、プロフィットがついてこなければサステナブルに続かないので、両方が重要であるとは思っています。
奥田 今、35歳。10年後の自分は?
水野 自分も会社もめちゃめちゃ油が乗って、グローバルの教育業界において注目を置かれている存在になっていたいです。
奥田 グローバル、一目置かれる、油が乗っている。最後のは違う気がしますね。油はもう乗ってますから(笑)。水野さんが考えるグローバルのイメージはなんでしょう。
水野 最低でも50か国で自分たちの教育システムが使われていること。スタートアップで教育といえばライフイズテックだよねと言われるような。ただ、10年後なので覇者という感じではないと思います。
奥田 覇者の雰囲気をもった人になっているということですね。50か国の分母はどのくらいですか。
水野 200くらいです。日本で今50か国で展開して
いる教育企業もあるので、まずはそこが目標です。
奥田 具体的でいいですね。では、一目置かれることの具体的なイメージはおもちですか。
水野 企業家としては“盛田さん”です。
奥田 SONYの盛田さんですよね。ちょっと古くないですか。私は少し時代がかぶっているので“盛田”と言っていただいた方がわかりますが、若い人だと説明が必要かもしれません。
水野 盛田さんの本を読んでいると自分が抱くビジネスのイメージとしてすごく近いんです。
奥田 いつ頃出会ったんですか、盛田さんとは。
水野 2年前くらいです。英語に関する著書がすごくよくて……。
奥田 では、水野さんの20年後はどうでしょう。覇者になっていますか。
水野 20年後は、盛田さんのようにあの人の言うことだったら耳を傾けようと思われていて、米国の大統領も水野の言うことは聞いてみようという状態になっている気がします。
奥田 不思議な上昇志向をもっていらっしゃるんですね。おもしろいなあ。今日は素敵な話をありがとう。ところで水野さん、ご家族は?
水野 独身です。子どもも欲しいし、39歳までには結婚したいと思っています。
こぼれ話
人から人へ『千人回峰』は流れ始めている。ありがたいことである。今回の水野さんは205人目に登場いただいたサイオスの喜多社長の紹介である。「この同じビルの1階にすばらしい経営者がいるんだけど会ってみませんか」。プログラミングの世界に子どもたちを誘う仕事をしておられる。この子どもたちの延長線に喜多さんたちの仕事が成り立っている。将棋や卓球と同じように若い年令からの筋肉強化がスーパーヒーローを生むことは間違いがない。それが水野さんの志だ。人が人を紹介する場合、同質のことが多い。といっても人を形成する要素は一筋縄ではかなわない複雑ものだ。『千人回峰』は対談と写真撮影で90分の工程である。そんなに長い時間ではないのだか、集中して臨むものだから、終えた途端に細長い息を吐くことが多い。一人の生き様を、幼少期からの積み上げてきたものと対峙するわけだから真剣勝負である。お会いする方々の年令はさまざまだ。少年から大先輩までおよそ80才ほどの開きがある。
心のなかにあるどこかの襞に触れると、話題は輝き始め、同時にその場も生き生きとなり、あたかもランナーズハイの状態に入る。それは対談者だけに起こる現象ではなく居合わせた人にも伝わる。言葉は人のエネルギーそのものとしか思えない。水野さんは“さわやか”であることを自分に言い聞かせておられる。生き様も見た目も志もである。生き方と現実の狭間は誰しもにある。だからこそ、そこからの声は周囲に伝搬する。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
水野雄介
(みずの ゆうすけ)
1982年、北海道生まれ。小学2年から高校3年まで野球一筋、ポジションはセカンド。慶應義塾大学理工学部物理情報工学科卒、同大学院修了。大学院在学中に、開成高等学校で物理の非常勤講師を2年間務める。その後、ワイキューブを経て2010年ライフイズテックを設立。14年、コンピュータサイエンスやICT教育の普及に貢献している組織に与えられる“Google RISE Awards”を受賞。東アジアでは初の受賞となる。「日本のIT業界にイチロー並みの人材を送り出す!」を目標に世界を駆け巡る日々を送る。