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すべての経験にムダはない どこかで誰かが必ず見てくれている――第211回(上)

千人回峰(対談連載)

2018/06/18 00:00

高橋昌彦

高橋昌彦

日本郵政 経営企画部門広報部 日本郵政グループ女子陸上部 監督

構成・文/浅井美江
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2018年6月11日付 vol.1730掲載

 高橋さんが監督を務める女子陸上部は、郵政の民営化で事業が分かれるに際して、「社員の気持ちを一つにするものがほしい」ということで創部された。“たすきをつなぐ”駅伝は、1通の便りを人から託され、人に届ける郵便事業と親和性の高いスポーツだ。会社からの大きな期待を背負いながらゼロから選手を勧誘して回った高橋さんは、創部の厳しさを味わいながら7人の選手からスタート。創部3年目にして全日本実業団対抗女子駅伝で見事に優勝を果たした。その強さはどこから生まれているのか。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.3.30/日本郵政グループ女子陸上部 小金井寮にて

ないない尽くしで始めた創部時の選手勧誘

奥田 立派な寮ですね。まだ新しい匂いがします。

高橋 2015年の3月に落成式を行いましたので、今年で4年目になります。

奥田 高橋さんが女子陸上部の監督に就任されたのはいつでしたか。

高橋 最初にお声がけいただいたのは、12年の11月1日です。

奥田 よく覚えておられますね。

高橋 えぇ、結婚記念日なんです。ちょうど外で妻と食事をしているときに携帯電話をいただいて。

奥田 それで出たら、「監督になりませんか」と?

高橋 いえいえ。実は知らない番号からだったのでそのときは出なかったんです。でも何か気になって翌日かけ直してみたら知人でした。日本郵政で女子陸上部をつくる動きがあるけど、力を貸してもらえないかという内容でした。それで13年5月に日本郵政の広報部の専門役という立場で採用され、およそ1年間の創部準備期間を経て、翌年4月に監督に就任しました。

奥田 日本郵政としては初めての陸上部になるのですか。

高橋 はい。初めての企業スポーツチームになります。社員の同好会はあるのですが、会社が組織としてチームを整備したのは初めてです。

奥田 創部のきっかけは何だったのでしょう。

高橋 郵政民営化によって各事業ごとに分社化をしたなかで、日本郵政グループ各社をつなぐもの、そしてグループ社員の気持ちを一つにするものがほしいということだったようです。いくつか候補があったなかで、本業の郵便事業に何らかの関連性があるものと考えると、駅伝がぴったりだと。

奥田 公式ホームページにもありますね。「たすきをつなぐ」と。できすぎです(笑)。

高橋 駅伝は日本発祥でとても人気がありますし、企業チームも多く、テレビ放映もあります。そのうえで男子よりは女子のほうが国内外で活躍できる可能性が高いということで決まったようです。

奥田 企業チームはどのくらいあるのですか。

高橋 実業団駅伝に本格的に取り組んでいる女子チームは、国内に約40社ほど、男子はトヨタやホンダなど、主要な自動車メーカーを含めて約80社近くあります。

奥田 それほど多ければ、創部に際しては選手を集めるのも大変だったのでは?

高橋 その通りです。採用活動の関係上、陸上部の創部発表の前から選手集めをする必要があったので、最初は企業名がおおやけにできなかったりで気を遣う時期もありました。

奥田 社名を出せば、先方も安心するでしょうけれど……。

高橋 確かに親御さんや先生はそうだとしても、相手が高校生となると、実は日本郵政と言っても興味をもってくれないこともありました。彼らがどういうポイントで会社を選ぶかといえば、“強いチーム”かどうかなんです。日本代表選手がいるとか、駅伝日本一のチームであるとか……。ですから、当時これからチームを立ち上げますというチームは、全国レベルの高校生からすると対象外。大学生であれば、会社もしっかりしているので就職先の一つとしてみてくれる可能性はあるかな、ということで、最初のうちは大学生を中心に回りました。

奥田 それでうまくいったのですか?

高橋 いや、予想していたほど簡単ではありませんでした。会社は優良だけれど陸上部としてはどうなんだ、スタッフは誰なんだ、と。「今、決まっているのは私一人です」「じゃあ、選手は何人いるの?」「まだ誰もいません」「それなら、ちょっと様子を見させてほしい」と。

奥田 うーん、厳しいですね。高橋さんはそういう時、めげませんか。

高橋 めげないというか、めげている暇もありませんでした。とにかく選手を集めないと活動できませんから。そうこうしているうちに、トヨタ車体時代に親しくしていただいた先生が鈴木亜由子の指導者であったことが縁で、会わせてもらえることになり、熱烈なラブコールを送ったら来てくれることになりました。当時の鈴木は野球のドラフト制度でいうと断トツのドラフト1位の選手でしたので、返事をもらえたときは本当にビックリしたと同時にうれしかったです。その後、鈴木さんが行くなら、と柴田千歳、そして関根花観も手を挙げてくれて、創部前の13年の秋には選手7人が揃いました。

キツネにつままれたような創部3年目の初優勝

奥田 そのような苦労をなさって、創部3年目にして全日本実業団対抗女子駅伝で優勝されました。優勝の要因は何なのでしょうか。

高橋 ひと言で説明するのは難しいですが、あえて言えば、『チームワーク』だと思います。選手、そしてスタッフのチームワークはもちろんですが、会社も含めた陸上部としてのチームワーク。実はこのとき、予選会では8位だったんです。本戦は前年度のトップ8のシードチームに予選会を通過した14チームを加えた計22チームで争うわけですが、われわれは14チームの中の8位ですから、レース前のランキングでいうと16位ということになります。

奥田 なるほど。決して上位のランクで本戦に臨んだのではなかったわけですね。

高橋 そうなんです。なので、まあ本戦で8位に入ってシード権が獲得できたらとんでもないことだろうな、とか思っていたのですが、レースが始まったら1区で4位。2区から4区で2位と3位を行ったり来たりして5区でトップになって……。実は、4区の時点で3位には入るかもしれないと思い始めました。5区と6区には調子のよい選手を配置していたので、もしかしたら1位、2位の競り合いもあるだろうと。ただ、欲を出してそんなことを選手に伝えると固くなってしまうので、あえて「8位でいいよ」と言い続けていました。

奥田 あのレースのアンカーは、社会人になって初めての方でしたっけ。

高橋 あの子は2年目です。前年度いい走りをしていたので、ある程度、自信をもって送り込んだのですが、後ろで競り合っていたのが強豪の第一生命さんだったので最後まで気が抜けなくて……。

奥田 しかし、トップでゴールされた。

高橋 はい。5区では17秒差で6区につないで、残り1kmのところで15秒差で逃げ切って。でも、ほんとにキツネにつままれた感じでしたね。狙っての優勝ではなくて、まあ本当に勢いでした。

奥田 そういうレース展開というのは、陸上競技の経験のなかでよくあるのですか。

高橋 いや、あまりないですね。個人競技についてはだいたい予測できますが、駅伝は予測がつきません。

奥田 予測がつかないパーセンテージはどのくらい?

高橋 たとえば優勝だけにこだわって考えた場合、50%は予測できないと思っています。やってみないとわからない。駅伝というのは流れがあるので、前半でいい位置にいると、選手の元気が出てどんどん走ります。ところが、最初に出遅れたら、気持ちが焦って本来の力が出せなくなってしまう。チームが遅れれば、当然、後方からのスタートになりますから、前方の集団に追いつくのに全力を出し切ってペースを乱してしまったりする。

奥田 個人競技とは大きく違うわけですね。

高橋 はい。そういう予期せぬ状況が起こり得るのが駅伝なんです。大丈夫かなと思っていてもダメなときもあるし、ダメだと思っていても流れでうまくいくこともある。そういう意味ではいい流れをつくるための区間配置はとても重要になってきます。

奥田 ということは、5割は監督の采配。残る5割が選手の力ですか。

高橋 いや、そんなことはありません。何割と数字で示すのは大変難しいのですが、やはり選手の努力が最も大切です。われわれの力は本当に小さなものです。でもその微力なエキスみたいなものが選手の努力と化学反応を起こし、選手の全力を引き出せるのかなぁと思っています。勝負事は時にコインの裏か表かくらいの運のよしあしもありますが、その運を引き寄せるにはやはり選手、そしてわれわれスタッフも含めたチーム全員の日頃の努力が大切だと思っています。
(つづく)
 

トレーニングルーム完備の専用寮

 JR武蔵小金井駅にほど近い住宅街にある女子陸上部専用寮。最新のマシンが並ぶトレーニングルームのほか、大浴場も完備されていて、12名の選手全員が寮生活を送っている。寮の周辺には小金井公園や野川公園などもあり、練習するには恵まれている環境だ。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第211回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

高橋昌彦

(たかはし まさひこ)
 1965年、新潟県生まれ。日本体育大学体育学部卒業。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。同大学院での女子マラソン選手に関する研究論文は「ランニング学会」で学会賞を受賞している。新潟県の中学校教員退職後、トライアスロンのプロ選手として活躍。プロデュアスロン・カナヤカップで総合優勝。小出義雄監督指導の下、陸上のコーチとして鈴木博美や高橋尚子をサポート。有森裕子の専属コーチとして、99年のボストンマラソン(3位)を指導した。UFJ銀行、トヨタ車体、東京電力で監督を務めた後、2014年4月、日本郵政女子陸上部の初代監督に就任。創部3年目の16年、第36回全日本実業団対抗女子駅伝で初優勝。