企業の競争力はスピードと効率 その前提で着実に改革を進める――第216回(下)
李 文麗
ハイセンスジャパン 代表取締役社長・CEO、取締役社長
構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
週刊BCN 2018年9月3日付 vol.1741掲載
今年6月から7月にかけて行われたサッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会。連日の好試合に、テレビにくぎ付けで寝不足に悩まされた人は少なくなかったのではないか。ところで、ふとピッチ外の電光広告に目を移すと、「Hisense」の文字が頻繁に流れていくことに気づく。同社は今回W杯の公式スポンサーとなり、全世界に向けてその存在をアピールしている。こうした広告戦略を通じて、同社の猛烈な勢いを改めて感じることとなった。もちろん、李さんの勢いも。(本紙主幹・奥田喜久男)
2018.5.22/東京都千代田区のハイセンスジャパン本社にて
(7月30日より神奈川県川崎市に移転)
日本から学んだ技術や経営手法がハイセンス発展の源泉に
奥田 ハイセンスグループは東芝映像ソリューション(TVS)を買収しましたが、これまでもその規模のM&Aを世界で行っているのですか。李 中国国内では、このクラスの大型M&Aは日常茶飯事ですが、世界でみると、シャープのメキシコ工場のM&Aを行ったくらいではないか、と思います。
奥田 日本の家電メーカーであるシャープを台湾の鴻海精密工業(フォックスコン)が買収しましたが、フォックスコンのトップである郭台銘さんは非常に厳しく強烈な個性の人ですよね。それと比較して、李さんはどんなタイプですか。
李 優しいですよ(笑)。でも、格がまったく違うので、比較の対象にはなりません。 ハイセンスグループの会長、周厚健と比べると、周は仕事の面では非常に厳格で、なおかつ専門性が高いですね。そういうところをみると、郭さんのイメージとはかなり違うと思います。
奥田 なるほど。
李 また周は、非常に日本に友好的な人物です。それは、ハイセンス発展の源泉の多くは、日本から学び取ったさまざまな技術や経営管理の考え方にあるからです。彼は、1980年代から日本と中国を100回以上行き来していたという経歴があり、日本の文化にも非常に精通しています。
奥田 周会長も日本とゆかりの深い方なのですね。ところで、ハイセンスの創業は69年ですが、当時の中国はまだ文革(文化大革命)の時代ですね。
李 はい。周が経営トップに就いたのは92年ですが、それ以前の中国は計画経済でした。ハイセンスが初めてテレビを生産したのは84年で、このときに松下電器産業(現・パナソニック)からテレビの生産設備を導入しています。
奥田 計画経済下でテレビ生産を始め、92年の鄧小平の南巡講話があった後から本格的な事業の拡大を図ったということですね。
李 そうですね。それ以降、ようやく改革開放路線を歩み始めたということがハイセンスにとっても発展につながったと思います。
5年後には2倍のシェアを目指す
奥田 10年後、ハイセンスとレグザの両方に対してどのような夢を描いておられますか。李 10年後は考えたことがないですね。いま考えられるのは、5年後、3年後の目標です。3年後には、レグザブランドを日本のトップブランドにしたいということを目標に置いています。5年後には、ハイセンスブランドとレグザブランドの二つを合わせて、日本市場でのシェアを40%にしたいと思っています。
ハイセンスにとってハイセンスブランドもレグザブランドも同格ですが、日本市場でのポジショニングはその認知度からレグザブランドのほうが高い位置を占めていると考えています。
奥田 いま、日本でのシェアは何%ですか。
李 現状はハイセンスが7%くらい、レグザが12~14%くらいです。合わせると20%前後ですね。
奥田 5年後にはその2倍にすると。
李 私自身は、達成可能な目標だと思っています。
奥田 ハイセンスの部品調達能力をもってすれば販売価格に柔軟性をもたせられますし、レグザには高品質という強みがありますから、双方が融合すれば、より強い商品ができそうですね。
李 そうですね。お互いの欠点を補い、よいところを掛け合わせることによって、より競争力のある商品が生まれてくると考えています。
ハイセンスは、中国国内市場では14年間連続でテレビシェアナンバーワン、世界でも常にシェア3位、4位の位置につけています。それを成し遂げた要因の一つに、ハイセンスの高い経営管理能力がありますが、これをTVSに適用すれば、いち早くその体制を立て直すことができると信じています。
奥田 具体的には、どのような経営管理能力に長けているのですか。
李 まず、上層部の人々が常に現場の近くにおり、仕事の内容をきちんと理解し、自ら参画していること。そして、査定は能力本位で行われ、年功序列ではないというのが基本的な体制となっています。会長の周は、リーダーとなる人材は必ず財務・経理の知識をもたなければならないと強調しており、この点も他企業に差をつける経営管理能力であると私は感じています。
奥田 だから李さん自らが、経費支出のチェックをしているわけですね。
李 そうです。浪費を極力抑えることが重要だと考えています。そして、誰が何をいつまでにやるということを決めて、常に高い効率で業務を動かしている点もハイセンスの強みです。インセンティブとしての自社株譲渡や査定時のKPI活用などにより、各人の努力の方向性がみえやすいことも組織の活性化につながっていると思います。
奥田 なるほど、私はハイセンスも東芝も応援していますから、それは心強いですね。
李 ところで奥田さんにうかがいたいのですが、ハイセンスがTVSを買収したことで、日本の消費者はレグザブランドにマイナスイメージをもつのでしょうか。
奥田 シャープがフォックスコンに買収されたとき、日本人は非常に驚きました。このとき日本人は、中国系企業に日本の大企業が買収されるという洗礼を受けたわけです。そういう意味からは、買収されたからといってレグザブランドの価値が下がるということはありません。
ただし、シャープも東芝も日本人にとって誇りとなる企業でした。そうした企業が買収された恥かしさとか情けなさというものを、おそらく日本人の9割以上は感じているのではないでしょうか。
李 なるほど。
奥田 そしてフォックスコンがシャープを一年で黒字化したことにも、日本人は非常に驚きました。それは、中国系企業であるフォックスコンもハイセンスも日本の企業をすでに抜いて、フォーブズの上位にランクされる世界的企業になっていることを、日本人の多くが知らなかったからです。こうしたところはとても不勉強ですね。
李 それは、日本の環境がよすぎて居心地がいいので、外に目が向かなかったからかもしれませんね。
奥田 ところで、TVSの社長としても多忙ななか、息抜きには何かなさっているのですか。
李 オフの時間が少ないので、自宅で娘と話をしたり、彼女の様子を見ることが気分転換になっていますね。
奥田 当分、多忙な日が続くとは思いますが、ますますのご活躍を期待しています。
こぼれ話
女性の経営者と会う機会が増えてきた。共通するのはご家族の話をされることだ。それもお子さんについての話題が多い。李さんが『千人回峰』の“お気に入りの品”に選んだのはお嬢さんとのツーショットだった。その写真は、社内旅行のひとこまだと楽しそうな表情を見せてくれる。写真に写る李さんは素顔だ。子育てと経営、それぞれが激務だと思って質問を投げかけると、「もちろん、とても忙しいですよ」との返事が返ってくる。あたりまえでしょ、と言わんばかりの話ぶりに嬉しさが見え隠れするのだ。それを羨ましいと思った。私は32歳で新聞社を起業した。1981年8月18日のことである。以降、ものの見事に家庭をなげうって新聞の発行に没頭した。李さんの話を聞いていると、何か人生で大きな忘れ物をしたのではないかと心が疼いてしまった。それはさておき――。
ならば、李さんの仕事は私のそれに比べて楽なのかを考えてみた。私の場合は、ただひたすらに新聞発行にいそしめばよい。もちろん人手不足、資金難、複雑な人間関係は組織にはつきものだ。対して李さんの場合は、買収企業が東芝の一部門なだけに、完成されている異なった経営システム、風土、文化を“あるべき姿”に形づくらなければならず、その過程で莫大なエネルギーを要する。そのことを想像するとゾッとする。もちろん東芝の側の身になってもである。そのトップに立つのが李さんだ。もしかすると、一番確かなものをわが子に感じるのかもしれないと思った。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
李 文麗
(Vivienne Li)
1972年生まれ、中国・青島出身。95年、青島大学電子工学科卒業、Hisense国際有限公司入社。2001年、Hisense USA、03年、海信オーストラリアオフィス、07年、Hisenseヨーロッパ、11年、海信韓国事務所、ハイセンスジャパン代表取締役社長・CEOに就任。18年3月、東芝映像ソリューション取締役社長を兼務。