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祇園で学んだ心得はビジネスの世界にも通じます――第221回(下)

千人回峰(対談連載)

2018/11/15 00:00

岩崎究香

岩崎究香

日本文化芸術国際振興協議会 代表理事

構成・文/浅井美江
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2018年11月12日付 vol.1751掲載

 置屋を廃業した岩崎さんは、その後、伴侶を通じて日本画の修復を学んだ。華やかな祇園とは対局にある静寂の作業だが、自分では修復こそ天職と思うのだそうだ。そして、そこで知り合ったさまざまな職人たちの苦労と窮状を知り、岩崎さんはNPOを立ち上げた。文科省の外郭団体のような名称の法人は、来年、設立10年を迎える。どこまでも筋を通して生きる岩崎さんの祇園は、一文字を差し替えた「義園」として続いているのかもしれない。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.6.20/京都南禅寺「菊水」にて

「ぶぶ漬けでもどうどす?」は最大のおもてなし

奥田 結果として廃業はされましたが、祇園という世界はいかがでしたか。

岩崎 舞妓、芸妓をして良かったなと思うのは、お酒をお召しになるとお客様は割と真実を話してくださることです。小座敷にお一人で見えた時とか、「おねえさんにこんなふうに言われたけど、どう思わはります?」と私が聞くと、「そら、あんたが悪い」とたしなめられたり…。

奥田 本音で対応してくれた。

岩崎 そうどす。逆にお客様が奥様と揉めた時は、送っていくから一緒に謝りましょう、というようなことがよくありました。奥様にもそれをちゃんと分かっていただいたりして。

奥田 お座敷というと、もっと派手なイメージがあります。

岩崎 テレビや映画では、派手などんちゃん騒ぎが当り前のように描かれますけど、そうやあらしまへんねぇ。

奥田 いつもどんちゃん騒ぎをしているわけではない、と。

岩崎 楽しいのはよろしおすけど、いつもいつもとは違いまっせ。お客様によっては、「それはちょっと不細工どすね」と言わしてもろたりしてました。

奥田 岩崎さんのおっしゃる不細工というのは、どういう意味ですか。

岩崎 いつの世にも変わらない常識的な考え方というのがありますでしょ。そこから逸脱するのは、かなり不細工になります。要するに、人の道を外れるということ。私たちは小さい頃、道を外すと、おばあさんとかお師匠さんとかが、びしっと叱ってくれはりました。

奥田 確かに。よく叱られましたね。

岩崎 それで泣きまっしゃろ。そうすると「自分が悪いと思てへんさかい涙が出んにゃ」とか言われて、「ああ、そうか」と自分で分かる。そういう教わり方をしてきました。

奥田 要はしつけですかね。

岩崎 家庭の教育やと思います。

奥田 もう一つ教えてもらっていいですか。京都に取材に行くと仲間に言ったら、お茶漬けが出たら気をつけてと言われたんですが、どういう意味ですか。

岩崎 京都はその昔、生ものがなくて、お漬け物や佃煮が命やったんです。「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす?」と言うのは自分たちの最大のおもてなし。それを勧めてもらえるというのはすごいことやと思います。お茶漬けは命、大切なものですから。

奥田 もう帰れということではないんですね。

岩崎 京都というのは長い歴史がある都なんですが、古くから京都に住んでる人は、割と竹を割ったような人が多いんです。もし帰ってほしかったら、私も私の周りもはっきり言います。お茶漬けが出たら帰れとか、どうしてそんなふうに伝わるのか、私にはちょっと分かりません。

奥田 そうしたことを伝えるために、NPOを立ち上げられました。

岩崎 特定非営利活動法人「日本文化芸術国際振興協議会」のことですか。

奥田 文科省の外郭団体みたいな名前ですねえ。

岩崎 わざとまぎらわしくつけました(笑)

奥田 設立はいつでした?

岩崎 2009年の2月。来年で10年になります。ちゃんと内閣府のNPOホームページにも掲載されています。

奥田 定款には、「この法人は、後継者の枯渇により衰退の虞(おそれ)のある日本の伝統文化を正しく継承するために、それに係る人材を広く求め、育成するとともに、国内外にその文化を伝承することを主たる目的とする。また、人的インフラを整備し、各団体、企業、行政、個人、アーティストなど、あらゆる人・組織・団体に門を大きく開き、知恵とチカラを集結させ、目的の実現を目指して活動を続けることを目的とする」とあります。

日本の文化を語れないと世界とはつき合えない

岩崎 自分で日本画の修復を手掛けて知りましたけど、表具屋さん、お道具屋さん、截金(きりかね)屋さんなど、日本の伝統文化の職人さんたちはたくさんおいでになるんですが、本業だけで食べていけるのはほんの一部の人だけ。ほとんどの人は食べていけずにアルバイトをしておられます。

奥田 それをなんとかしたいと。

岩崎 自分たちが食べて行けへんさかい、後継者を育てたいと思てもできしまへん。仕事自体の需要も少のうなってきているのに、なんや、ややこしい決まりもあって、ほんまに生きにくい。そういう人たちが一人でも食べられるようになればいいし、一人でもお弟子さんがとれるようになったらええのにと思て。

奥田 具体的にはどういう活動をしておられるんですか。
 
東京・目黒で開催されたイベントの様子。若手企業家や著名クリエイターが多く参加した。
岩崎さんの講演のほか、ステージ上でお座敷遊びが体験できるコーナーも

岩崎 大勢の方を対象に、本物の京文化(日本伝統・お座敷文化)を体験していただく「和の心得講座 課外授業」から、こぢんまりした宴会風でお一人ずつから私に質問していただくというのまで、いろいろです。

奥田 講座の開催は京都ですか。

岩崎 昨年の夏は東京の目黒雅叙園で開催しました。「昇る人生の課外授業 ~祇園から学ぶ日本人の心得~」というタイトルで。昇る人というのは優秀な人材という意味です。そういう人に共通する特徴や実際にお座敷であった出来事などを話させていただきました。

奥田 面白そうです。大勢集まりましたか。

岩崎 若手の企業家さんが100人くらい来てくださいました。

奥田 盛況でしたね。若手というのは何歳くらい?

岩崎 30代から40代前半。20代の方もいらっしゃいました。

奥田 いろんな業種の方がおいでになりますね。呼び掛けはどうされていますか。

岩崎 幹事さんにやってもろてます。その時々によって幹事さんは変わりますけど。昨年の12月は京都の老舗料亭「瓢亭」さんでした。

奥田 その時のカリキュラムは?

岩崎 舞妓さん、芸妓さんをお呼びして衣装の成り立ちをひもといたり、着物と衣装の違いを説明したり。あとはお客様をもてなす時の心得みたいなことを。

奥田 若手の経営者にとっては、京都との距離を縮めたいということでしょうか。

岩崎 それもあると思いますけど、皆さん、世界とお付き合いしてらっしゃるので、日本の文化を語れなければ話にならないということを身にしみておられるようです。

奥田 ああ、日本を知ろうということですね。

岩崎 あと、舞妓さんや芸妓さんたちの接客術や話術の力はすごいので、そこもコミュニケーションの勉強になると思います。

奥田 NPOは伝統工芸の職人さんを救うこともありますが、自分がこれまで教わったことを還元しようということもあるのでは?

岩崎 まあ、ちょっとでもお役に立てばとは思てます。祇園には一流の方々がいらしてましたから、そこで見聞きしたことはビジネスの世界にも通じるところがあるでしょうしね。

奥田 今日は興味深いお話をありがとうございました。次回の心得講座が決まったらぜひ教えてください。

こぼれ話

 「岩崎究香」と書いてスラスラ読める人がいるのだろうか。運勢の“気”とでも言うのだろう。究香は、姓名判断によって付けられた名前だ。文字そのものに生命が宿っていると考えるわけだ。「みねこ」さんと読む。以前の名前は「岩崎峰子」で、京都の祇園甲部で凛とした生き方を貫いた方だ。私と同い年なので、半世紀ほど前の話だ。当時のことを数冊の書籍に記しておられる。祇園の名で通る独特の世界の話だけに興味深い。

 当日は指定された南禅寺の料理旅館「菊水」でお会いした。タクシーの車窓から見る街並みは、雨が甍をしっとりと濡らし、靄にかすんだ山肌が目前に迫ってくる。狭い道を曲がるたびにヒヤヒヤする。「こちらです」と運転手に促されて降りる。玄関はシーンとしていた。奥に声をかけると、予想に反して今風の若い女性が現れた。スリッパを探してキョロキョロしていると、「どうぞ、そのままで…」と。躊躇していると再び促されて、土足で床を踏んだ。子どもの頃、かあちゃんに叱られたシーンを思い出して、一瞬、戸惑った。

 「同い年なんですね」。共通性をきっかけとして話が始まった。年明けに古希を迎える年代にあっても、岩崎さんの生き様には、“10代”で培った資産の大きな存在を感じる。話題、所作、機転、居住まい、息遣いまでもがきっと岩崎峰子さんなのだ。ひょっとすると、私自身も10代のあの頃に身に付けたものが今の自分を形成しているのかもしれない、と思った。そうだ、時間をつくって70代の己を見直してみよう。

 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第221回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

岩崎究香

(いわさき みねこ)
 1949年生まれ。京都市出身。置屋を営む女将に見初められ、将来の跡取りとして4歳で養女となり、15歳で祇園甲部の舞妓としてデビュー。21歳で芸妓となり、6年連続売上ナンバーワンを達成、お座敷以外にも広告やCMなどで活躍する。29歳で現役を引退後、日本画家の佐藤甚一郎氏と結婚。日本画や油絵の修復を学び生業とする傍ら、2001年に自伝『芸妓峰子の花いくさ』を出版。同書は日本図書館協会選定図書となる。02年には米国で『Geisha,a Life』を発売しベストセラーに。09年「日本文化芸術国際振興協議会」を立ち上げ、日本の伝統文化を正しく継承するために人材の育成や情報の発信に勤しんでいる。