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人間とは、「間主観性」で生きている生き物である――第344回(下)

千人回峰(対談連載)

2024/03/01 08:00

新宮一夫

新宮一夫

心理カウンセラー・心理アドバイザー

構成・文/浅井美江
撮影/笠間 直
2023.12.25/出雲市新宮家にて

週刊BCN 2024年3月4日付 vol.2004掲載

【出雲市発】取材の最後、本連載の原点である「人とは何ぞや」を新宮先生に問うた。解はタイトルの通りである。先生が天職とされている心理臨床は、人の心に深く分け入る職業だ。一角ならぬ繊細さと強靭なタフさが求められよう。だが、先生の物腰はあくまで穏やかで、優しいオーラさえ感じる。しかもかなりのイケメンときている。出雲弁で「少し」を「ちょっこし」という。新宮家の柱時計が刻む懐かしい音を背景に、ちょっこしうらやましい気持ちを抱きながらの取材となった。
(創刊編集長・奥田喜久男)

2023.12.25/出雲市新宮家にて
 

実は現在にも通じる
日本神話のテーマ

奥田 2022年に上梓されたご著書『出雲発!スサノオ―はるかなるこころの旅路―』は、先生の専門である乳幼児精神保健の面から、『古事記』に登場する神々の心情や行動を読み解くというユニークな内容です。そもそも日本神話に着目されたきっかけは?
 

新宮 小学生だった孫から「イザナギ、イザナミのお話を読んで」とねだられたことに始まります。実はそれまで日本神話をきちんと読んだことがありませんでした(苦笑)。

奥田 意外です。出雲の人だから、てっきり幼い頃から『古事記』や日本神話に慣れ親しんでいらしたものと勝手に想像していました。

新宮 違うんです(笑)。でも実際に読んでみると、私が関わってきた心理学や精神分析学などとすごくリンクしていて驚きました。とりわけスサノオの行動は、乳幼児精神保健の観点からみても非常に興味深く、心を動かされました。

奥田 本のタイトルにもなっていますね。

新宮 スサノオは幼少期から成年に至るまで、仕事もろくにせずに泣き暮らしています。しかもギャン泣き。姉のアマテラスを訪ねて行った高天原でも大暴れしますが、これはまさしく“心の満たし直し”だとピンときました。

奥田 心の満たし直しとは?

新宮 幼児がひっくり返ってわあわあ泣いているのをご覧になったことがあるでしょう。あれは何か、さみしかったり不安なときにお母さんに甘えて、安心を求めている姿。あるいは、思春期の反抗期にしても赤ちゃん返りをして満たし直しをしているわけです。

奥田 なるほど、神々のふるまいや心情が、臨床心理学の面から読み解けるわけですか。面白いなあ。実は私は『古事記』がライフワークなんです。

新宮 そういう方にお話するのは、ちょっと恐縮しますね(笑)。

奥田 『古事記』の元は複数の民話ですよね。当時の方々も元の話にある精神心理を分析しながら、いくつかの要素を取り混ぜてストーリーを創作したんでしょうか。

新宮 そうだと思います。『古事記』には人間が成長していく上で起きるさまざまな問題と、それをどう乗り越えていくかが描かれている。今、まさに人間の精神心理に携わる者が、世界中で取り組んでいるテーマと同じ。当時の見識はすごいです。

奥田 それが神話として今も残されている。

新宮 そこもすごいと思います。学会で小難しい言葉を使って論議しているのと同じ理論を、非常にわかりやすいかたちでファンタジーとして伝えている。

奥田 ただストーリーを追っているだけだと単なるファンタジーですが、専門的な観点から読み込むと、それだけではないものが顕在化してきますね。

新宮 もう一つ気づいたのは、民主主義です。神話では何かにつけて神様が集まって論議をされますよね。

奥田 まさに出雲にお集まりになって(笑)。

新宮 そうなんです。ああだこうだと議論を重ねてコトを決めていく。これは日本における民主主義の原点じゃないかと。

奥田 おお。そうきましたか。
 

国際的に着目されている
“間主観性”という用語

新宮 これは60年ぶりに出雲に帰ってきて、気づいたことです。出雲市はコミュニティ活動が活発で、今いる町内でも何かと集まっては行事や会合をするんです。ただし、意見の異なる相手を論破したり、白か黒かで対峙はしない。「ああだこうだ」とやり取りするうちに、司会者が頃合いを見計らって…。

奥田 何となく空気を読んで結論に持っていく。

新宮 まさにそれです。もちろん、多数決で決めることもありますが、それぞれの意見を聞いて「こんなところでどうでしょう」と何となく落とし込んで決めていく。出雲に戻ってそういう場面に遭遇していたら、神話の中の神様たちと同じじゃないかと。

奥田 重なったわけですね。

新宮 第二次世界大戦後、日本の教育から神話や神社の歴史などを学ぶ機会がなくなりました。私自身も古希を過ぎて日本神話を読み始めた手合いですから。でも出雲では世代に関係なく、当たり前のように神々を身近に感じている雰囲気があります。

奥田 風土に根づいているんですかね。

新宮 神社にお詣りをするだけでなく、太陽の光や風など、さまざまな自然にも神様を感じて挨拶をしたり、感謝をしている気がしますね。人同士でも会う度に、「いつもありがとうございます。お世話になっています」と。何もお礼を言われるようなことはないのですけど。

奥田 非常にプライベートな話になりますが、高校の時に受けた忘れられない授業があります。卒業間際、日本史の先生が「今日はこれまでしなかった話をします」と言って、日本の神代から江戸までの話や、日本人としての在り方や誇りについて話してくれたんです。僕はそれが非常に心に残りましてね。

新宮 とても興味深いですね。奥田さんが高校生の頃というと1960年代後半でしょうか。当時の教育指針の中でそうした授業をされることは、ずいぶん勇気が必要だったと思いますね。

奥田 同感です。僕はあの授業で“知る”ことの大切さを実感しました。今も鮮明に彩色されて残っている僕の原点です。

新宮 いいなあ。私も受けたかったですねえ。

奥田 先生に一つおたずねしたいことがあります。この取材の原点でもあるんですが、「人とはなんぞや」について。

新宮 (少し考えて)近年、心理学の世界で大切にしている概念に、もとは、哲学者フッサールが提唱した「間主観性」という現象学の理論があります。

奥田 間主観性…。

新宮 いかにも訳した感じで、日本語としてはちょっとこなれていないんですけどね。心理学の分野に与えた影響のうち、現代の乳幼児精神保健では、エジンバラの児童心理学者トレバーセンの赤ちゃんと母親の間主観性研究が有名で、学会でもお招きして講演してもらいました。

奥田 どういう概念なんですか。

新宮 例えば、今、奥田さんと私が話している時、(2人の空間を指して)人はこの“間”にあると。心という言葉を用いるなら、今のように対話をしている時、奥田さんと私の心は2人の間にある。

奥田 お互いの間に存在すると…。

新宮 そうです。人間は身体と心が表裏一体になっているように、人間関係はすべて“間”で動いている。自己と他者で対峙するのではなく、人と人の間に生まれる響きあいのようなものが大切であると。

奥田 ふむ(考えている)。

新宮 先ほどの奥田さんの問いに答えるならば、「人とは、間主観性で生きている生き物である」になるでしょうか。私たち日本人からすれば、今さら言われなくても昔からわかってるじゃないと思いますけどね(笑)。

 余談ですが、人工知能の究極の課題は、ライブな間主観性にどれだけ近づけるのだろうと空想します。

奥田 ありがとうございます。また一つの解をいただきました。お話していただいたことすべてにリンクしていくようです。新宮先生、お会いできてよかった。来てよかったです。

新宮 私も奥田さんとの対話から、いいヒントをたくさんいただきました。遠くまでお運びくださり、こちらこそありがとうございました。
 

こぼれ話

 つい最近移住した奈良の自宅の庭先に白梅が咲いた。隣接する樹林帯から小鳥たちが「チッチチッ」と鳴きながら飛び込んでくる。クルクル舞いながら花に戯れ、蜜を吸っては飛び去る。その様子を何とはなく目で追いながら、この原稿を書いている。

 島根県出雲市にお住まいの新宮一夫先生にインタビューしたのは昨年末だ。私の来訪をお待ちいただいた広い庭先は冬枯れの風情だった。寒い中、ご夫婦でのお出迎えには恐縮したが、同時に「しめた!」と思った。これでコラムの書き出しがつかめたからだ。出雲市駅からタクシーで10分ほど走る。車窓から先生の笑顔が見えた。「ああ、今回お会いするのは事前にイメージした通りの方だ」。クルマを降りて肩を並べながら対談が始まった。玄関先まで数分かかるほどの広い敷地だ。ここからは見えないが、出雲大社は少し高い位置の山裾にある。そこから街の風景を一望しながら「スサノオは何を考えたのか」と、すでに気分は神話の中の「出雲人」である。

 新宮家の庭の広さは規模が違う。よく見ると隣り合う庭との境はあるようだが、曖昧なこともあって実に広々している。周囲には低山の山並みが見える。その一つに出雲大社がある。その昔、夕飯どきになると、あちこちの家からカマドの煙がたなびいていたのかしら…。気分はすっかり古代人だ。

 対談が進む中で、新宮先生の像がクッキリしてくる。最初の出会いは新聞記事だ。お会いしたいと思い、新聞社の方の尽力もあって実現した。「人との出会いは不思議なものだ」とつくづく思う。かつて旅先の出雲で読んだ記事で、新宮先生のことを知った。ぜひお会いしたいと思い、新聞社に電話をして、先生に連絡をとってもらった。

 ふと思い返してみる。なぜあの新聞を手にしたのか。なぜ新宮先生の記事に目が止まったのか。なぜお会いしたいと思ったのかーーなどと、自分に問いかけるでもなく、気がついたらすでにスマホが手の中にあった。こうして『千人回峰』の対談が実現した。

 新宮先生は広いお庭の入り口に立っておられた。招かれたお家は黒く骨太でどっしりした佇まいの大きな旧家だ。陣屋にもみえる。内部の梁は岐阜高山の商家のそれをはるかに超える頑強な風体でお城並みだ。この地は雪が降るから、その重みに耐えるためなのか。そうであれば高山も同じだが、と考えてしまう。この集落の家はどこも同じ形というからこの地の立地を思うと、あながち、と思ってしまう。 “大陸”からの侵略を考えてのことだろう、とは思い過ぎかもしれない。板戸や襖で仕切られた部屋は、仕切りを取っ払えば即座に集会場に早変わりする。

 いろいろな妄想が入道雲の状態で膨らむ。スサノオ(須佐之男命、素戔嗚尊)は天照大神の弟。その子孫が出雲大社の御祭神となる大国主命。高天原を追放された乱暴者が歳月をかけて出雲国を開くまでに至った出来事を、新宮先生は「人間愛」で包み込んでしまう。包み込まれた人は時間の経過とともに、いつの間にか大国主命に進化してゆく、と新宮先生は確信しておられる。もちろん包み込まれた人とそうでない人がいる。その違いは「なぜ」起こるのか。それはその「解」を手繰り寄せた人かどうかによる。ではその解とは何か。私は『無償の愛』だと思っている。そして、その存在を確信するかどうかだ、とも思っている。そうではあるものの、大国主命並みになるにはこの先、人生を幾度となく繰り返さなくてはならない。であっても、「急がず慌てず拘らず」に自分の道を生きていこう、と自らに暗示を投げかけている。(直)
 

心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第344回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

新宮一夫

(しんぐう かずお)
 1946年、島根県出雲市生まれ。鈴鹿医療科学大学・元教授。四国学院大学文学部社会福祉学科を卒業後、大阪府立金剛コロニー(現・大阪府立こんごう福祉センター)に生活指導員(ソーシャルワーカー)として勤務。その後、愛媛県や高知県にある精神衛生センターや児童相談所の心理職を経て、2003年から鈴鹿医療科学大学教授。退官後は保育園や小児科クリニック、産後ケア施設、児童心理治療施設などでスーパーバイザーを務める。日本精神分析学会、日本乳幼児精神保健学会会員。22年に日本神話を精神分析の視点から読み解いた『出雲発!スサノオ―はるかなるこころの旅路―』を先前新一のペンネームで上梓。同書のイラストは孫であるあんじゅさんが担当した。