感動は物語を生み、人は共鳴する。
【対談連載】2023年総集編 人には物語がある。
構成・文/奥田喜久男
週刊BCN 2023年12月18・25日付 vol.1996掲載
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
感動は物語を生み、人は共鳴する。
そして、さまざまな示唆を得る。
今年も物語を紡げただろうか。
人生を織りなす縦糸、横糸。
一本一本紡げただろうか。
“千人”の回峰は“千”の物語を生む。
そして、さまざまな示唆を得る。
今年も物語を紡げただろうか。
人生を織りなす縦糸、横糸。
一本一本紡げただろうか。
“千人”の回峰は“千”の物語を生む。
【注】登場していただいた方々の肩書きは取材当時のものです。
319人目
青いケシの花に魅せられて ヒマラヤの奥地を渉猟する
『週刊BCN』vol.1951(1/2) 『週刊BCN』vol.1952(1/9)
320人目
大きな思い入れのなかった音楽が生涯の仕事に変わるまで
『週刊BCN』vol.1953(1/16) 『週刊BCN』vol.1954(1/23)
321人目
文学と映画とジャズに没頭した少し長めの学生時代
『週刊BCN』vol.1955(1/30) 『週刊BCN』vol.1956(2/6)
322人目
ハードウェアづくりの世界から新たなビジネス創造への転換
『週刊BCN』vol.1957(2/13) 『週刊BCN』vol.1958(2/20・27)
323人目
アウシュヴィッツで未来を断たれた人々のことを決して忘れてはならない
『週刊BCN』vol.1959(3/6) 『週刊BCN』vol.1960(3/13)
324人目
少年時代の好奇心と探究心が人生と仕事の核をつくり上げた
『週刊BCN』vol.1961(3/20) 『週刊BCN』vol.1962(3/27)
325人目
転職を促すのではなく 企業の維持・発展のための方策を提供する
『週刊BCN』vol.1963(4/3) 『週刊BCN』vol.1964(4/10)
326人目
来日して35年 中国古典に学びつつ、新たなビジネスを模索する
『週刊BCN』vol.1965(4/17) 『週刊BCN』vol.1966(4/24)
327人目
嫉妬心が火をつけたアーティストへの転身
『週刊BCN』vol.1967(5/1・8) 『週刊BCN』vol.1968(5/15)
328人目
シンクタンク時代に培ったスキルを生かして チェンソーアートの活動を開始
『週刊BCN』vol.1969(5/22) 『週刊BCN』vol.1970(5/29)
329人目
餅屋の21代目が挑む「伊勢」発、世界最高のビール造り
『週刊BCN』vol.1971(6/5) 『週刊BCN』vol.1972(6/12)
330人目
小さな村が活発に情報発信することで 日本全体の元気を取り戻したい
『週刊BCN』vol.1973(6/19) 『週刊BCN』vol.1974(6/26)
331人目
天皇皇后両陛下の前で名前を呼ばれた瞬間 米づくりをやっていてよかったと思った
『週刊BCN』vol.1975(7/3) 『週刊BCN』vol.1976(7/10)
332人目
40代半ばにして作曲家・ピアニストとして生きることを決意
『週刊BCN』vol.1977(7/17) 『週刊BCN』vol.1978(7/24)
333人目
社会的課題の解決こそがイノベーションの源泉となる
『週刊BCN』vol.1979(7/31) 『週刊BCN』vol.1980(8/7・14)
334人目
“もっと勉強しなければ”という思いが語学習得や留学へのモチベーションとなった
『週刊BCN』vol.1981(8/21) 『週刊BCN』vol.1982(8/28)
335人目
景気の波に翻弄されつつも 若き日から経営者としての経験を積み重ねる
『週刊BCN』vol.1983(9/4) 『週刊BCN』vol.1984(9/11)
336人目
地図は人間の社会と過去、現在 そして未来を描く情報のプラットフォーム
『週刊BCN』vol.1985(9/18・25) 『週刊BCN』vol.1986(10/2)
337人目
さまざまなステージを経て鍛えられ起業の道にたどり着く
『週刊BCN』vol.1987(10/9) 『週刊BCN』vol.1988(10/16)
338人目
「現場をつくること」が介護クリエイターの大きな役割だ
『週刊BCN』vol.1989(10/23) 『週刊BCN』vol.1990(10/30)
339人目
自分たちの頭で新たな事業を考え 自分たちの手によるものづくりに挑み続ける
『週刊BCN』vol.1991(11/6) 『週刊BCN』vol.1992(11/13)
340人目
「元気に挨拶」「しっかり考え」「きびきび行動」「全力でがんばる」
『週刊BCN』vol.1993(11/20・27) 『週刊BCN』vol.1994(12/4) 『週刊BCN』vol.1995(12/11)
番外編 こぼれ話
「もうい~くつ寝ると お正月」。この歌詞を口ずさむと、あの新年の凛とした朝の空気感を覚える。きょうは12月12日、『千人回峰』総集編のコラムを書いている。掲載記事を読み返せば、新年号はブルーポピーの千葉盈子さんで、12月号は元・尾鷲小学校校長の世古博久先生。総勢22名。その折々の対談風景が蘇る。靴を脱いでご自宅の居間に上がったことがあるし、田んぼのあぜ道で耕うん機を眺めながら、松永孝さんの農業に従事するまでの飛び跳ねた人生の話をお聞きする機会を得たりした。その耕うん機を運転していた方が、前述の世古先生なのである。社会人同期の新聞記者・大橋太郎さんとは「おれ、おまえ」的な会話で話が弾んだ。『千人回峰』で長年の相棒であるライターの小林茂樹さんは、その分、記事の執筆段階で苦労したようだが…。私と縁の深い伊勢に話を広げよう。この地にはおいしい“お餅”がある。二軒茶屋餅がそれだ。その餅屋の21代目経営者・鈴木成宗さんは、クラフトビールづくりに挑戦し、世界コンクールで金賞を獲得、一代で伊勢角屋麦酒というブランドを確立された。
これまで多くの方々と人生を語り合ってきた。人と人とがつながりあう「縁」というのは、なかなか乙なものである。つくづく、そう思う。 (BCN 奥田喜久男記)