プロフェッショナルの介護プレイヤーをつくり 地域の人々の支え合いを復活させる――第338回(下)

千人回峰(対談連載)

2023/10/27 08:05

横木淳平

【対談連載】介護クリエイター 横木淳平(下)

構成・文/小林茂樹
撮影/押田幸久
2023.7.18 /千葉県君津市のもくもく村にて

週刊BCN 2023年10月30日付 vol.1990掲載

 【千葉・君津発】亡くなったおじいさまの勧めで福祉の専門学校に進んだ横木さんだが、当初は介護に対してそれほどの思い入れがあるわけではなかったという。それがいまでは、最初はほぼ例外なく現場の反発を受けるアウェーの施設に赴いて、介護の質の向上を図るとともにスタッフのモチベーションを高める伝道師的役割を果たしている。そして、「いま、介護にしか興味がない」と言い切る横木さんは、介護を担う人材のキャリア形成とその向上をも視野に入れている。おじいさまの先見の明に敬服する。
(本紙主幹・奥田芳恵)

2023.7.18 /千葉県君津市のもくもく村にて

施設のお年寄りに
「与える立場」になってもらうこと

芳恵 6年間、施設長を務められた介護付有料老人ホームでは、どんな新しい試みをされたのですか。

横木 「限りある人生を限りなく自由に」というコンセプトの元、塀も設けず、鍵もかけませんでした。そして、そこに工房と生涯学習教室、カフェをつくり、地域の人と交わることができるようにしました。

芳恵 ずいぶんオープンな感じですね。

横木 ただ「地域に開かれた老人ホーム」というコンセプトはよく聞かれるのですが、開かれただけでは意味がないと私は思うんです。

芳恵 というと?

横木 「地域に開かれた」といっても、多くの場合、ボランティア精神のある人が来てくれるだけです。それだと、施設に入居しているお年寄りは「与えてもらう立場」にとどまります。

 私が考えたのは、お年寄りが「与える立場」になり、近隣の方からつながりたいと思ってもらえる施設だったんです。そこで、もらってきた廃材からコンポスト(堆肥)を工房でつくるプロジェクトを立ち上げました。そこに生ごみや落葉を加えて、土を再生して堆肥とするわけです。当初は、幼稚園などでワークショップをしていたのですが、いまでは小学校に教えに行くようになりました。

芳恵 お年寄りが教えに行くのですか。

横木 はい。車椅子に乗って、おじいちゃんやおばあちゃんが教えに行きます。SDGsの授業の一環として行われているんです。

芳恵 「与える立場」というのが、一つのキーワードになるのですね。

横木 人は、最高の介護を受け続けたとしても、本質的には幸せになれません。人が本当に幸せになるのは、社会や生活の中で与える側に回り、役割と居場所を確保できたときだと思います。要介護の状態だったり認知症であったりしても、それを実現するために伴走するのが、プロとしての自分の役割だと思います。

芳恵 横木さんは、これまで他の介護者が手を出さなかったことに挑戦されていますが、そこに不安はありませんでしたか。

横木 不安がないと言ったら嘘になりますね。でも、私には100人以上の方を看取った経験があり、そのつど、湯灌(ゆかん)もさせていただきました。そのときは家族の方から感謝されるのですが、心の中では「どうして昨日生きているうちに、お風呂に入れてあげられなかったのだろう」といつも後悔し、自分を責めていたんです。

芳恵 感謝される状況にあっても、自分の介護のあり方に満足できないと……。

横木 私の介護観は、この100人の方々から教わったものであり、その犠牲の上に成り立っています。そこで得たものは一般的な理論や仕組みではなく、一対一のケアから得たスキルと実績であり、それが私のベースになっているのです。

芳恵 不安を超える自信があるのですね。

おむつ替えよりトイレに連れていくほうがスタッフの負荷は小さい

芳恵 現在、介護クリエイターとしての活動の中心はどんなことですか。

横木 大きくは二つあって、その一つはプロフェッショナルの介護プレイヤーをつくる活動です。現在、北は北海道名寄市から南は香川県三豊市まで、毎日どこかの介護施設に行き、そこで現場アドバイザー・クリエイターとして、現場改革と人材育成をメインに活動しています。

芳恵 横木さんにアドバイスを依頼する施設は、何らかの課題を抱えているということですか。

横木 そうですね。介護業界は課題だらけですが、むしろそれに気づいて私に連絡をくれる施設というのは、とても立派だと思いますね。

芳恵 実際に施設を訪問する際、横木さんはどのように課題の解決に導いていくのですか。

横木 課題解決には、できていないことをできるようにすることと、スタッフたちがやりたいことをできるようにすることという2種類があって、私は後者の課題を解決することが、スタッフの自己実現につながると考えており、ここに力を入れることが重要だと思います。そのためには、現場の体温を上げて、小さな熱狂を生むことが肝心ですね。それにより、スタッフが自分事として仕事に取り組むことができるからです。

芳恵 小さな熱狂というのは、どんなことですか。

横木 たとえば、私がおむつを外すことを提案すると、ほとんどの施設のスタッフから反対されます。人手不足だから、そんなことができるわけないという固定観念があるからです。

 でも、たとえ意思表示ができなくても、人間の尿意や便意はなくなりません。それならばデータをとってその頻度を調べ、たとえば2時間おきにトイレに連れていけば、おむつなしの生活が実現できるというわけです。

芳恵 施設の利用者とスタッフ双方にとって、とても大きな変化ですね。

横木 そうしたことを実践し、成功体験をすることによってスタッフ間に盛り上がりが生まれ、仕事に対するやりがいも生まれます。実際、おむつ替えをするよりもトイレに連れていったほうが効率的なのです。

芳恵 そのあたりの人的配置や全体のマンパワーも考慮した上で、課題の解決にあたっているということですね。ところで、もう一つの活動は?

横木 矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、介護保険の導入や私たちのような介護のプロが前面に出てきたことによって、地域における人と人の助け合いや支え合いが希薄になってしまったように感じます。

 そこで、私たちは栃木県下野市で「ふくろうプロジェクト」という活動を行っています。これは、市内のゴミ収集車の方にお願いして、町を歩いているお年寄りの履物をチェックしてもらい、何か不自然な状況(左右で違う靴を履いているなど)の人がいた場合、関係機関に連絡してもらうという活動です。認知症の方による徘徊が増えるなか、町全体で守っていこうということですね。

 もう一つ、香川県三豊市で展開しているのが、「暮らしのライフセーバー事業」です。これは、私たちプロが実践している介護技術や認知症の方とのコミュニケーションスキルを、町の図書館職員、カフェの店長、ゲストハウスのオーナーといった方々に学んでいただくというものです。私たちは「ベーシックインフラ」と呼んでいますが、町の介護リテラシーを上げていく活動の一環です。

芳恵 全国の介護施設を回りながらも、地域に根差した活動をされている横木さんですが、そうした仕事を続ける中で、何か大切にされていることはありますか。

横木 自分にしかできない仕事をするということと、実践者であり続けるということですね。あくまで、現場を大事にしていきたいと考えています。

芳恵 これからも、ますますのご活躍を期待しています。

こぼれ話

 「お手本を見せましょう」。最近、体重が増加気味と照れるライターの小林さんをベッドに座らせ、車椅子に移す動作を実演してくれた横木淳平さん。要介護者に見立てた小林さんを抱えると、瞬時に移動させてしまった。おおー!これが介護のプロフェッショナルの技の一つなのか。これまでに100人以上の老人を看取った経験があり、そこから得たのは一般的な理論や仕組みではなく、一対一のケアから習得したスキルと実績だという横木さんは、施設の現場に根差した介護のあり方を指導してこられた。コンサルティングに入る現場は、必ずしも歓迎ムードに包まれているわけではない。むしろ、煙たがられることが多いようだ。そのような現場で指導力を発揮するのは、経験に裏打ちされた介護のスキルであることは間違いない。

 介護といえば、どうしても「してあげる」「してもらう」というイメージがつきまとう。しかし、人が本当に幸せになるのは、社会の中で“与える側”に回り、役割と居場所を確保できたときだと横木さんは断言する。かつて施設長を務めた介護付有料老人ホームでは、お年寄りが小学生相手に堆肥の作り方を教えに行くという活動をしていた。車椅子に乗って小学校へ出向いたおじいちゃんやおばあちゃんが生徒たちの先生役を担う。最近の例でいえば、千葉県木更津市の介護施設で行われた納涼祭がある。近隣の住民やボランティアの人たちが盆踊りのステージを組み上げて、入居者の皆さんが屋台の出店で売り子を務めたそうだ。施設と地域との交わりを重視する横木さんの考えが生かされたイベントとなっている。

 横木さんは、これからも自分にしかできない仕事をすると力強く言い切った。自分にしかできない仕事を見つけるのも、自分にしかできないと言い切るのも難しい…。にもかかわらず、迷いを感じさせない強い人だ。これは自分にしかできないと思える大きな自信と誇りがあり、それは紛れもなく、自分が現場で得た技術と実績がつくり上げたものだからだ。横木さんの強さの根拠だ。介護業界は課題だらけだと言う。しかし、横木さんが思い描くプロフェッショナルな介護プレイヤーが全国で育成され、最後までその人らしく生きられる人が増えていくことは間違いない。それだけの行動力と情熱に満ち溢れているのだから。
(奥田芳恵)
 

心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第338回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

横木淳平

(よこぎ じゅんぺい)
1983年、茨城県生まれ。栃木県小山市の中央福祉医療専門学校を卒業後、2003年、茨城県の老人保健施設に就職。25歳で介護長に就任。15年、小山市の社会福祉法人丹緑会を母体とする介護付有料老人ホーム「新(あらた)」の立ち上げから携わり、施設長に就任。「その人らしい生活」「施設への出入り自由」などの本質的捉え方を軸にした独自の介護論などを実践してきた。21年、STAY GOLDcompany代表取締役に就任。著書に『介護3.0』(内外出版社)がある。