「自律社会」実現のため「自律型人材」を育てる使命に向き合う――第333回(下)
竹林 一
京都大学経営管理大学院客員教授 オムロン イノベーション推進本部 シニアアドバイザー
構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2023.3.8/東京都中央区の天ぷらやす田にて
週刊BCN 2023年8月7日付 vol.1980掲載
【銀座発】「イノベーションを起こせ」というかけ声は、おそらくさまざまなビジネスの場で聞かれると思う。何となく前向きでかっこいい言葉だし、それに異論を唱える人はたぶんいない。しかし、竹林さんはイノベーションという言葉をバズワードとして使われないようにしなければならないと語る。かけ声倒れにならないために、「イノベーション」の定義を社内で決め、それを共通言語化することが必要だと。言葉だけに踊らされず、事の本質を見きわめることの大切さを改めて確認する。
(創刊編集長・奥田喜久男)
イノベーションを起こすために
「起承転結」理論
奥田 竹林さんは、イノベーションを起こすために最も重要な要素は何だと思われますか。竹林 最終的には「人」だと思います。
奥田 もう少し、その「人」の部分を詳しく説明していただけますか。
竹林 私は、イノベーションに必要な人材を「起承転結」の4タイプに分けて論じています。起承転結の人材は、クリエーションを担う「起承」型人材と、その後のオペレーションを回していく「転結」型人材に大きく分けられます。
奥田 ゼロから創造していくタイプと実務を担うタイプがいるということですね。
竹林 そうですね。さらに細分すると、「起」の人はまさに「ゼロイチ」を仕掛ける人で、「承」の人はそのアイデアを倍加する構造をデザインする人です。「転」の人は「承」の人が描いた事業構造を受けてKPIやリスクの設定を担い、「結」の人はKPIにしたがって仕組みをつくり、きっちりリスク管理しながら運用するのが得意なタイプです。
奥田 なるほど、まさに起承転結だ。
竹林 一般的には「転結」の人たちが「ヒト・モノ・カネ」を握っているため、「起承」の人たちはその経営資源をいかにうまく使えるかによって、イノベーションの成否が分かれるといえるでしょう。
奥田 でも、「起承」の人と「転結」の人の性格は正反対のような気もします。
竹林 おっしゃるとおり、「起承」と「転結」は往々にして対立してしまいがちで、イノベーションがうまく回らないことも多いのです。それだけに、相手の立場を尊重して仲良くやっていく必要があります。いわば「起承」という創業者タイプが持つ創造力と「転結」という番頭さんタイプの持つ実行力が合わさることで、新たなものを生み出すことが可能になるといえるでしょう。
奥田 こうした理論は、竹林さん自身が構築されたのですか。
竹林 いいえ。とある秘密結社のミーティングの場で提案され、それを整理したものがこの「起承転結」理論なんです。
奥田 秘密結社ですか(笑)。
竹林 なんか秘密結社って、ワクワクするじゃないですか(笑)。実は、いまから8年ほど前に次代の人材育成について友人たちとプライベートなブレストを行い、この理論を切り口に人材育成や組織改革を考えたら面白いのではないかという話になり、それ以来、自らの仕事に生かすとともに情報発信を行うようになりました。
奥田 竹林さんは、どのタイプなのですか。
竹林 「ゼロイチ」で面白いことを思いついた経験はないですが、「起」の人の発想を具体的にデザインする「承」が得意ですね。また、自由な発想や行動を求める「起」ときっちりマネージメントする「転」はハレーションを起こしやすいのですが、そこを取り持つのも「承」の役割ですね。
次の時代を担う若者たちに
面白い大人の生き方を見せてあげたい
奥田 この本(『たった1人からはじめるイノベーション入門』)によると、竹林さんは「しごと」も四つに分類されておられます。そう考えるきっかけは何だったのでしょうか。竹林 オムロンでは管理職6年目に3カ月のリフレッシュ休暇をとれるのですが、新規事業の立ち上げに忙しく先延ばしにしていました。10年目に人事から促され、捨てるのももったいないと休むことにしました。特に予定を入れているわけでもなかったので、当時、東京に単身赴任中で、滋賀県の大津にある家まで歩いて帰ることにしたのです。
奥田 歩いて大津まで!?
竹林 森信三の『修身教授録』だけをリュックに入れ、15泊16日の旅となりました。夜は宿でその本を読み、昼は「自分は何のために生きているのか」「自分は何をやりたいのか」「なぜ、いまの会社に入ったのか」といったことを自問しながら歩きました。
奥田 悟りを開くための修行のようですね。
竹林 いくぶん、ランナーズハイ的な感覚だったとは思いますが、このとき、自分自身がエネルギーをもらえる「私事」、業務に携わりその軸を定めて新しい世界観をつくる「仕事」、仕事とは直接関係なくても好奇心でワクワクするような「志事」、後進を育てるといった自分にとっての使命である「使事」という四つの「しごと」があることに思い至ったのです。
奥田 自分にとっての「しごと」を、より上位のレイヤーから俯瞰し、分析したのですね。構想設計が重要というお話がありましたが、どこかそれにつながるような気もします。
ところで、竹林さんはユーチューバーとしても活躍され、情報発信されていますね。そのお話を少し聞かせていただけますか。
竹林 タイトルは【オモロい大人のヒストリー】竹林一の「し~ちゃんねる」というのですが、2020年9月に始めた対談動画です。
狙いはタイトルのとおり、次代を担う若い人たちに対して、面白い大人の生き方を発信することなんです。若い人が身近に接する大人は限られているので、あらゆるジャンルの業界の方をゲストとしてお招きし、こんな生き方をしている人もいる、こんな方向性もあるといったことを、その話を通じて知ってもらおうということですね。もちろん、私自身も、この場を通じて新たな刺激を受けることは多々あります。
奥田 さきほど、後進を育てることが自分の使命であるとおっしゃいましたが、その一環でもあると。
竹林 オムロンは、いまから半世紀以上前の1970年、大阪万博の年に「SINIC理論」という未来予測を発表しました。
その理論は、当時から見た未来を驚くほど言い当てており、いまでもオムロンの経営の羅針盤になっているのですが、そこには「25年以降には精神的な豊かさを求める『自律社会』になる」とあります。その成熟した自律社会を実現するのは、まさに自律した人材なのです。
奥田 25年といったら、あと2年。時代の変わり目は目前に迫っているというわけですね。
竹林 ブロックチェーンなどの自律分散技術が登場してきたことを考えると、この予測もほぼ正確だといえるでしょう。
奥田 まさに、先見の明があったのですね。
自律というのは自ら律することができ、自らの判断で意思決定し行動できることと捉えれば、さまざまなタイプの大人の生き方を目の当たりにすることは、若い人たちにとって、きっと大きな糧となると思います。これからもマルチなご活躍、大いに期待しております。
こぼれ話
友人の縁で竹林一さんとお会いした。場所は銀座の新橋寄りの、とある天ぷら屋の上がり座敷。いい感じの店で、さつま芋の天ぷらとか、かき揚げを崩しながら「うめ~」といった気分に浸る感じなのだが、今回は残念ながら話を聞いておしまい。スゴスゴと地上に出るというありさまだった。陽の光が眩しかった。竹林さんはオムロンに勤務しておられた。旧社名は立石電機。本社が京都の御室(おむろ)にあったことにちなんでオムロンと名づけられた。その昔、新聞記者になりたての頃、旧社名の立石電機という名称に、なんてイカついのか、と思った覚えがある。創業者が医師であることにも意外な思いがした。現在標榜する「価値創造の歩み」にはオムロンならではの、個人の創造力と組織の創造力の二面性を物語っているように理解している。
コンピューター担当の記者としては、制御機器メーカーのオムロンとの接点は限られていた。それでも1980年代、世界中が半導体から生まれたパソコンの事業立ち上げに躍起になっていた。オムロンもそうであり、銀座の京橋寄りにショールームがあった。責任者は、ホンダのサーキット場の立ち上げに関わり、移籍した方だった。学ぶことが多かったので、当時は足繁く通った。やがてその事業も収束し、足は遠のいた。
しかし、昨年のことだ。『千人回峰』の仕事で三重県の尾鷲に出向いた折り、かつてお世話になったパソコン事業を推進しておられた方の消息に触れた。この地の市民講座で数カ月前に講師を勤めたとおっしゃる。お元気な様子に触れて、ホッとした。縁はさらに続き、その数カ月後に友人の縁でオムロンの竹林さんと対談する運びとなった。
そして対談の終了間際になって、席を立とうとした時、ライターの小林茂樹さんが「実は姉が御社で働いていました」と実に親しげに呼びかけた。それも実に嬉しそうな表情なのだ。「そうなんだ」と私…。縁は異なもの味なもの。
ライターの小林さんとは10年を超えるつき合いだ。もう150人を超える方々との対談の黒子役を務めていただいている。対談は一回につき90分。その間、存在の気配すら感じさせない徹底ぶりだ。その90分で得た話題をもとに、ライターの立場からインタビュアーの視点を通して、竹林さんを見つめる。その成果物が今回の記事だ。時折、我ながらいい質問をしているな、とうなずくこともあるが、よ~く考えて見ると、それはライターの援護射撃であることに気づく。『千人回峰』のファーストリーダーである私は、実に心地よい気分で竹林対談のゲラを読み進んでいく。いい流れだなーと、うっとりしながら、実はその原稿はライターの仕上げた原稿なのだ。読者からすれば、私の対談なのだが…。この連携は野球でいうバッテリーだ。ピッチャーの力とキャッチャーの引き出す力の融合だ。そう言いたい。
『千人回峰』のインタビューを年内で終えるので、告白しなくてはならないことがある。実はインタビューの質と量は毎回安定したものではない。そうした素材の状況にあって、原稿の水準を一定に保って読者に提供できているのはライターのおかげなのだ。書き手の気分としてここは“ライターさん”としたいところだが、そこは突き離すとしよう。竹林さんの書籍を読み進めるうちに、組織の中における竹林さんの立ち位置と役割を感じ始めた。それは黒子役なのだ。今回の対談でさらにその意を強めた。ピッチャーとキャッチャーの役割は違う。私の場合、相性のいいバッテリーに救われている。これまで何人のオムロンパーソンが竹林さんに救われたことだろうか。私にはできない仕事だ。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
竹林 一
(たけばやし はじめ)
京都・西陣生まれ。81年、大阪電気通信大学情報工学科卒業後、立石電機(現・オムロン)入社。流通・鉄道業界の大型プロジェクト、新規事業推進などに携わる。オムロンソフトウェア代表取締役社長、オムロン直方代表取締役社長、ドコモ・ヘルスケア代表取締役社長を経て、オムロンインキュベーションセンター長、データ流通推進協議会理事、京都大学経営管理大学院客員教授などを務める。著書に『たった1人からはじめるイノベーション入門』(日本実業出版社)、『ここまできた! モバイルマーケティング進化論』(日経BP企画)などがある。また、【オモロい大人のヒストリー】竹林一の「し~ちゃんねる」で情報発信するユーチューバーでもある。