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  • 【対談連載】チェンソーアート世界チャンピオン(チェンソーアーティスト) 精進菜食・ベジタリアン どらごんワンコの会 事務局長 城所 ケイジ(下)

手掛ける活動に共通するのは 万物に再び命を吹き込むこと――第328回(下)

千人回峰(対談連載)

2023/05/26 08:10

城所 ケイジ

城所 ケイジ

チェンソーアート世界チャンピオン(チェンソーアーティスト)

構成・文/浅井美江
撮影/笠間 直
2023.2.22 /チェンソーアート・ジャパンにて

週刊BCN 2023年5月29日付 vol.1970掲載

 【田辺市龍神村発】城所さんにはこれまでいくつも転機があった。家業の廃業という自ら望まぬ転機もあったが、城所さんは「どこかワクワクしていました」と振り返る。きっといろいろな条件をプラスに取り入れていく力が大きいのだろう。その力は「一度潰えそうになったものに命を吹き込む」ことで、チェンソーアートや犬の保護活動にも生かされている。それは今、城所さんが挑戦している野菜の再生にも通じる。また一つ、命を吹き込む取り組みが始まっている。
(創刊編集長・奥田喜久男)

2023.2.22 /チェンソーアート・ジャパンにて

龍神村に越してから
大きく変わった仕事と身体

奥田 前号では、木の中に龍の形を見たという興味深い話をうかがったのですが、それを最初に感じたのが伊太祁曽(いたきそ)神社だったと。

城所 そうです。伊太祁曽神社が木の神様をお祀りされていることから奥重視・宮司(『週刊BCN』1936・1937号小欄掲載) とのご縁が始まって、龍神様を彫らせていただくことになったその時です。
 

奥田 木の中の龍は、城所さんだけに見えるんですか。

城所 場合によります。伊太祁曽神社の次にみなべ町に奉納した龍神様は、誰が見ても明らかでした。高さが3m幹の太い部分が2.2mという巨大な楠の原木の中に、龍神様の頭部があって。

奥田 龍神様が城所さんを選んでおられる…。

城所 うーん。たまたま短時間で彫り上げることができるので、彫らせていただく役割をちょうだいしているだけだと思います。

奥田 ずいぶん謙虚な言い方を。言っててちょっと照れたりしません?(笑)。

城所 いや、本当にそうなんです。実は龍神村に越してから、ちょっと言い方が難しいんですが、木の神様が味方についてくださっているというか…。

奥田 それは目に見えない霞のようなことを言うと、人の心がなびくという情報戦略の一環…(笑)。

城所 違います(笑)。あまりに不可思議なことが起こるので、そう思わざるを得ないというか…。

奥田 例えばどんなことですか。

城所 あるお寺で、ご神木が風災で倒れて切らざるを得ない。ご神木ゆえに捨てられないので彫ってほしいが、手元に費用はなく、檀家さんにも迷惑をかけるわけにはいかないと。

奥田 どうなったんですか。

城所 篤志家の方が全額負担してくれることになりました。原材がない時にちょうどのタイミングで、廃棄予定の木を提供してもらったこともあります。それが必要なことであれば、ちゃんと造るべく道筋ができるのかと。

奥田 なるほど。仕事への向き合い方が変わりそうですね。

城所 はい。以前はあれこれと戦略を張り巡らしてマーケットを創り出していましたが、今は一心に取り組んでいると、来るべき仕事が然るべきタイミングで入ってくる。ですから、いっそう謙虚な気持ちを持っていないと、いつでも足元をすくわれるという思いがあります。

奥田 ほかに変わられたことはありますか。

城所 食生活が変わりました。それまで体重が100kgあってパンパンだったのが、今は73kgです。

奥田 マイナス27kg! 具体的には何を?

城所 肉と卵と乳製品を一切断ちました。いわゆるベジタリアンですね。龍神様の奉納彫刻を依頼された方から言われまして…。神様に奉納するのだから神饌(神様にお供えする食事)と同じものを食べなさいと。

奥田 よく決心されましたね。

城所 当時の私の食生活では身体が持たなくなると言われたりしましたが、なぜか素直に聞けたんです。確かにステーキとハンバーガーをたらふく食べては胃腸薬を飲むという生活でしたから。

奥田 それで健康になられた。

城所 非常に調子がよくなりました。身体だけでなく感性が冴えて、造りたいものを瞬時にデザインに落とし込むことができるようになりました。

奥田 直感力が研ぎ澄まされてきたんですかね。

城所 そうですね。自分の身体が変わって思うんですが、もしかすると食べる物によって、人間が持っている本来の能力が抑えられているところはあるのかもしれません
 

野菜の命を循環させるため
家庭栽培に挑戦中

奥田 先ほどの話に、倒れたご神木を彫られた事例がありましたが、普段の作品の材料はどうされるんですか。

城所 「あげる」と言ってくださる方もいますが、ポリシーとしてもらいません。中が腐っていたり、落雷を受けたりして売れなかった杉材を、森林組合などから買うことにしています。お金を払うことで、次の木の管理に回すことができますから。

奥田 城所さんは倒れたご神木や売れない木材など、一度命が潰えたと思われる木に彫刻をして、再び命を吹き込んでおられるわけですね。

城所 それは私も感じるところがありますね。

奥田 ところで、城所さんは犬の保護活動もやっておいでです。

城所 はい。「どらごんワンコの会」という名称で、現在は和歌山県動物愛護センターに収容されている犬を中心に、2014年からこれまでに150匹ほどを保護して里親を探しました。

奥田 きっかけは何だったんですか。

城所 たまたま妻と近所を散歩していて、一匹の犬を保護したことです。その子との出会いがその後の活動につながりました。

奥田 保護活動を続けられた原動力は何でしょう。

城所 正直、保護活動は大変です。手間もかかるし治療費も高い。でも、保護した犬が少しずつ元気になって新しい家族に巡り合い、幸せに暮らしていく姿を見ると、何ものにも代えがたい幸せを感じますね。

奥田 うーん。捨てられたり傷ついたりした犬を保護することで命を護っているわけですよね。それって倒れたご神木や売れない木材を彫刻することで、再び命を吹き込むことと共通してません?

城所 なるほど。ああ、そうですねえ。

奥田 城所さんにはそういう力が備わっておられるんでしょうね。では最後にこれからのことをうかがいます。10年後はどうされていますか。

城所 まずは犬の保護活動はそろそろ収束していこうかなと。殺処分もずいぶん減ってきているので。

奥田 チェンソーアートはどうですか。

城所 とても楽しい仕事でやりがいもありますが、体力的な問題や社会情勢から、辞めざるを得なくなったらいつでも辞める覚悟は持っています。

奥田 ふむ。今、興味があることは?

城所 食べた植物の種や芯を育てて収穫すること。キャベツ、小松菜、パパイヤなどを植えておくと、発芽してまた育ってくるんです。命は終わらない。
 

奥田 それは今後ビジネスにされていこうと。

城所 いえいえ。社会情勢の変化に備えて、自立して暮らせるような循環を構築しておこうかなと。あとはいかにものを持たずに暮らすかに興味があります。実家が廃業した経験を通して、土地も家もモノも財産なんてこれっぽっちもいらないとつくづく思います。

奥田 大きな転機でしたね。

城所 大きいです。とても大きい。昨日まであたりまえにあったものがないんです。生まれ育った家もありません。手元にあったのは現金で15万円ほど。それだけを持って上京しましたから。

奥田 うーむ。それは不安しかない…。

城所 でも、不謹慎ながら、実はどこかワクワク感がありました。これから何が起こるんだろうと(笑)。

奥田 やっぱり、城所さんはマイナスをプラスに変える力が備わっているんですよ。実に面白い。今日は興味深い話を本当にありがとうございました。
 

こぼれ話

 紀伊田辺駅からタクシーに乗る。市街地を抜けて山道に入る。とても整備された舗装道路だ。グングン高度を上げる。顎をしゃくって見上げていた尾根が、今はそのままの目線に見える。クルマはさらに高度を上げる。山好きな私は気分が徐々に高揚してくる。「あれっ、今日は山行だったっけ…」。右手で足元を探るがザックはない。残念だな~。「そうだよな~。今日はチェンソーマンとの対談だ」。事前の知識では、城所ケイジさんはアーティストである。では、お会いして感じた記憶から記すことにする。

 「円空」をご存じですか? 私の郷里である岐阜に縁のある放浪の仏師である。最初、10代の頃に円空仏に出会った。子どもながらに見入ってしまった。というか、釘付けになった。円空は鉈で手頃な材木から仏像を彫り出した。歳月を経て、飛騨高山・古川の千光寺で再び出会った。同じように引き込まれた。それも強く強く引き込まれた。仏像を見るのが好きだから、あちこちで出会っている。展示会場ではなく、定位置での存在が良い。仏像は移動してほしくないな(独り言)。三十三間堂に至っては見飽きることはない。お気に入りの仏像も決まっているが、訪ねるたびに移り気な自分がいる。

 「考える人」で有名なフランスの彫刻家ロダンの作品の中で、大理石から女性の頭だけが浮かび出ている作品「ラ・パンセ」が好きだ。実物が見たくて、パリにあるロダン美術館を訪ねたことがある。ホテルからタクシーに乗ることも考えたが、すぐ見るのがもったいなくて、地図を見ながら徒歩で近づくのを楽しんだ。着いた。見た。見入った。ロダンは作品を彫刻するときの心境を「大理石が求めるままに手を動かす」という。彼以外でもこうした心境表現のゾーンを語るアーティストは多い。アスリートであれば、スポーツハイの領域と同じかもしれない。自分が自分でない世界だ。

 ケイジさんへのインタビューはご自宅の居間でおこなった。窓辺には芽を出して、これから成長するぞと自己主張している鉢が20ほど並んでいる。その視線を少し上げて窓の外の遠くに横たわる尾根に目をやると、そこは標高900mはあろうか。空がスカッと広がる清々しい環境に囲まれている。この高さの場所に住居は3軒。たった3軒だ。ケイジさんはここが生活の場だ。海外から仕事が入ると、ここからクルマで関西国際空港まで移動する。周囲は樹林帯。材木は豊富だ。この地は龍神村、龍の作品も多い。仏像も彫り出す。話の中から見つけ出す要素をつなぎ合わせていくと、緻密なマーケティングの匂いがする。

 話しながら、気がつき始めたことがある。ケイジさんは「ある考え」に沿った人生航路を歩んでおられる、ということをだ。その、ある考えは何だろうかと、興味が湧いたが、ついぞ掴めなかった。ケイジさんもそうではないかとも、思った。いやいや、生きていること自体が何かを掴む作業の過程ではないか。円空もロダンも同じではないのか。そんなことを思いながら山の風景を見ていると、あっという間に紀伊田辺駅前商店街に差し掛かった。

 城所ケイジさんを紹介していただいたのは、「木の神様」を祭神としてする伊太祁曽神社の奥重視・宮司である。ここであらためて感謝の意を表します。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第328回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

城所 ケイジ

(きどころ けいじ)
 1967年、愛知県豊橋市生まれ。高校卒業後、3年間の修業を経て家業を継承。91年、廃業に伴い東京の民間シンクタンクに勤務。94年、愛知県設楽郡にIターン。地域シンクタンクの主任研究員を経て、97年、チェンソーアートの世界的チャンピオンのブライアン・ルース氏との出会いをきっかけにチェンソーアーティストの道へ。2003年、チェンソーアート・ジャパン設立。04年、和歌山県田辺市龍神村に移住。05~08年、チェンソーアート国際大会で4年連続チャンピオン獲得。14年、山中に捨てられたと思われる犬を保護し、里親との縁結びを行う「どらごんワンコの会」を夫妻で設立。